大阪ラセン管工業株式会社
(画像=大阪ラセン管工業株式会社)
小泉 星児(こいずみ せいじ)――代表取締役社長
1979年(昭和54年)生まれ。大学卒業後、2001年に大阪ラセン管工業の取締役に就任し、資材調達や製品開発に従事。社長就任前の2014年には、代表的な製品となっている「ワームフリーフレックス®」の開発を主導。2015年に代表取締役社長就任。社長就任後も新製品開発、社内環境整備など、時代の変化に対応すべく様々な改革を行っている。
大阪市に本社を置く、金属製フレキシブルチューブ、ベローズ式伸縮継手の専門メーカー。創業は1912年と歴史は長く、培ってきた技術力で数々の製品を生み出してきました。石油化学、電力、ガスなどの基幹産業だけではなく、水素関連事業、半導体製造装置、医療機器、食品関係など、あらゆる産業で当社の製品が使用されています。品質、安全性の高い製品作りを心掛けており、さらに未来を見据えた製品開発も積極的に行っています。

目次

  1. 創業からこれまでの事業変遷と貴社の強み
  2. 承継の経緯と当時の心意気
  3. これまでぶつかってきた課題や変革秘話
  4. 今後の事業展開や新規投資領域
  5. メディアユーザーへ一言

創業からこれまでの事業変遷と貴社の強み

—— 御社の創業からこれまでの事業変遷と強みについてお聞かせください。

大阪ラセン管工業株式会社 代表取締役社長・小泉 星児氏(以下、社名・氏名略) 大阪ラセン管工業は1912年に創業した会社です。創業地は大阪の西区新町で、海外からチューブを作る機械を導入して始まったと聞いています。

その後、1936年に国の会社となり、社名を日本航金工業に変更しました。日本航金工業は航空機のエンジンホースを製造しており、当時は3000名ほどの従業員がいたと言われています。戦後は蓄積した技術を活かし、一般企業向けのホース製造を行い、復活を遂げました。

1960年代には静岡県袋井市に工場を建設し量産体制を確立、4代目の祖母が社長の時は石油化学、ガス、水道、電力などのエネルギーやインフラ系のプラント装置産業分野、建築資材向けなど大量生産・販売を中心に事業を展開、1990年代5代目の父が社長の時は半導体製造装置用のフレキシブルチューブを開発し、新製品の投入を積極的に行ってきました。

私は2015年に6代目社長として就任し、既存分野向け製品のブラッシュアップや、宇宙産業、水素エネルギー、医療、食品など、技術難易度が高い分野向けの新製品開発、製品を市場に投入することにより、優位性が確保できる製品作りに注力する方針を掲げております。我々は「めんどくさいし、物量が少なくて、生産できない」「難しくて作れない」「手間をかけてまで、やりたくない」など、生産量が少なく技術難易度が高い、他社では生産できなかたり、敬遠されたりする製品を積極的に受注しております。非常にマニアックな製品を開発し続けており、12社ほどある同業他社中でも突出した存在です。

—— 同業の中でも突出しているとのことですが、その具体的な強みについてもう少し詳しく教えてください。

小泉 我々の製品は、例えば非常に柔らかいものや細いもの、耐久性や耐圧性能が高いものを得意としています。一般的にはトイレのタンクや給湯器の金属ホースなどが知られていますが、それ以外にも大規模な工場の煙突配管なども手掛けています。

特に注力しているのは超柔軟性や耐圧性、耐久性の追求です。2005年に開催された愛知万博では、燃料電池バス用のホースを開発しました。以来、水素社会に向けた超耐圧ホースの開発を続けています。この流れの中では超高圧で耐性能が高い製品、さらに柔軟で細い製品、具体的には、世界一を目指す3つの製品として、金属製にも関わらず「超柔軟」・「超極細」・「超高圧」を追求していく方針です。

—— なるほど、やはり長年の歴史があると、技術の蓄積というのは大きいですね。

小泉 私たちは金属製フレキシブルチューブメーカーとして、日本で最も歴史のあるメーカーです。2番目に古い同業メーカーが100周年を迎えると聞いていますが、それでも私たちより10年以上後に設立されています。

承継の経緯と当時の心意気

—— 社長就任の経緯について教えていただけますか。

小泉 父である先代が2015年に亡くなり、私が6代目社長に就任しました。その前は祖母が昭和30年頃から長く社長を務めていました。ですから、4代目の祖母、5代目の父の代の社長しか私は知りません。3代目は私の祖父で、その前も父からの継承という形です。

—— 代表者の交代は急な出来事だったようですね。

小泉 外部から見れば急な交代に見えたかもしれませんが、父は病気がちでしたので、半年ほど前から社長就任の可能性を認識しておりました。しかし、社内でもそのことを知っていたのはほんの数人だけでした。

—— 半年とはいえ、準備の期間としては短いですね。

小泉 ただ私は2001年に大阪ラセン管工業に入社し、社長就任前から当社の代表的製品のひとつである超柔軟「ワームフリーフレックス®」の開発も行っておりましたし、父の下で経営的な視点も学んでいたことから、父が亡くなる半年前からは実質的に私が経営を担っていました。

—— 入社された時から、いずれは継ぐというお気持ちだったのですね。

小泉 創業家の一人として生まれたことで、当たり前に家業を継ぐもの、生まれた時から何らかの形で会社を率いることになると思っておりましたので、プレッシャーというより「自分の出番がまわって来た」というぐらいの認識でしたので、動揺することはなかったと思います。様々な要素が重なり、想定より早くその時が来ましたが、今思えば良いタイミングだったと思っています。

—— 社長に就任された時のお気持ちはどうでしたか。

小泉 正直なところ、あまり覚えていません。ただ、当時35歳で社長になったので、同じ立場の人がいたら大変だろうと思いますね。

これまでぶつかってきた課題や変革秘話

—— これまでの10年間で、特にぶつかった課題や変革についてお聞かせいただけますか。

小泉 最初に取り組んだのは、社内の風通しを良くすることでした。先代の父や祖母は非常に厳しい昭和のワンマン経営者でしたので、社内はピリピリした雰囲気でした。皆が意見を言いにくい環境だったので、まずはこれを変えなければと思いました。

—— 社内環境を変えるのは大変だったと思いますが、どのように取り組まれたのですか。

小泉 コミュニケーションを重視しました。僕が全て指示するのではなく、人の意見を必ず聞くようにしました。父が亡くなって社長になった時、大阪の社員50名の前で、私は素人であり、皆さんの力が必要だと伝えました。会社は100名以上のプロ集団で、皆が何らかのプロです。経理や営業、工場の溶接技術など、各分野にプロがいる中で、私一人では何もできません。だからこそ、皆さんの協力をお願いしました。その後、静岡工場でも同じ話をしました。

—— 実際、風通しは良くなってきていると思われますか。

小泉 随分と良くなってきましたよ。技術的なことも含めて、私がトップダウンで指示するよりも、むしろ下から意見を上げてもらうことが多いんです。もちろん、私が「これを開発してほしい」とお願いすることもありますが、基本的には皆さんの提案を否定しないようにしています。

よほど無茶なことじゃない限り、やってみる価値はあると思って進めています。

—— そういう環境だと、社員も言いやすいでしょうね。

小泉 ネガティブなことも含めて何か問題があれば早めに言ってもらえるようにしています。最悪の場合でも、責任は彼らに押し付けません。

—— 社長交代時に反対勢力のようなものはいませんでしたか。

小泉 特に覚えていませんね。多分、気にしなかっただけかもしれません。先代が非常に厳しかったので、古参の社員たちは私を苦手に感じているかもしれませんが、それも特に問題にはなりませんでした。

今後の事業展開や新規投資領域

—— 今後の事業展開や新規投資領域についてお伺いできますか。

小泉 事業展開に関しては、世界一を目指す3つの製品「超柔軟」・「超極細」・「超高圧」製品のブラッシュアップを続けていきます。現在開催中の2025年日本国際博覧会「大阪・関西万博」では、大阪ヘルスケアパビリオン「リボーンチャレンジ」に出展が決定しております。フレキシブルチューブとベローズの未来体験を提供として、「医療」「宇宙」をテーマに貢献ができる提案製品を開発しました。新規開発した2種類の製品が描く未来を、空間型VRで臨場感のある体験と共に提供いたします。また、静岡の工場を刷新し、生産と技術の増強を図ります。

—— 万博での新製品について、もう少し詳しくお聞かせください。

小泉 万博では、世界で最も細い製品と、非常に柔らかい製品を紹介します。これらは見た目で分かりやすく、説明なしでも理解できるような製品です。

世界で最も細い製品は、従来品の内径1.6mmから、内径1.0mmに挑戦したフレキシブルチューブで、医療・研究や計測機器分野からのご要望に挑戦した製品です。

—— 静岡の工場刷新についてですが、どのような目的で行われるのでしょうか。

小泉 静岡の工場は築60年近く経っており、災害時に耐えられるか不安があるため、新しくすることにしました。リクルートの観点からも、快適な環境で働ける工場が必要です。2018年の台風で大阪工場が被災した際に建て直しを行い、災害に強く冷暖房完備の工場を作りました。静岡も同様の体制にしたいと考えています。2025年11月着工、2028年末に完了を予定しております。

—— 工場は大阪と静岡にあるとのことですが、他にも拠点はありますか。

小泉 以前は中国にも工場がありましたが、2年前に撤退しました。理由は、利益が出ず、技術的な問題もあったためです。他には、東京、仙台、博多に営業所があります。

—— 現在の従業員数は110名ほどと伺っていますが、工場での技術者の割合が多いのでしょうか。

小泉 静岡には従業員が60名ほどいますが、ほとんどが工場所属です。大阪も50名中25名が工場所属ですので、半分以上が工場勤務ですね。残りが内勤者や営業、企画部、総務、設計部門、技術部などです。東京営業所には5名、東北の仙台と九州には1名ずつ配置しています。

—— 現在の事業展開における課題はどのようなものがありますか。

小泉 社内の課題としては、工場の要員は比較的確保できているのですが、設計部門や技術部の人材確保が難しいですね。特に理系の人材はなかなか集まりません。将来的にはこの部分に力を入れなければならないと感じています。

今のところ最も若い技術者が30歳ぐらいです。これでは30年後には技術者がいなくなってしまいます。そこで、少数精鋭でスペシャリストを育成しようとしています。例えば、30代の社員を東北大学の社会人ドクターに通わせています。

—— 人材に関する課題は多くの企業で共通していますね。離職率についてはいかがですか。

小泉 離職率は極めて低いですね。新卒採用は行っていないので、新卒者の離職率は出していませんが、10年で平均すると3〜4パーセント程度です。これは低い方だと思います。

—— それは素晴らしいですね。

小泉 あと、例えば社員旅行は8割以上が参加します。行きたい場所をアンケートで決めることもあります。先日リニューアルした作業着や製品名など、その都度社員からのアンケートを募り、全員参加型の取り組みを心掛けています。

普段の業務に関しても、全体として風通しの良い雰囲気を保つようにしています。

何より、社員が楽しそうに仕事をしてくれているのが一番です。

メディアユーザーへ一言

—— 最後にメディアユーザーに向けて一言いただけますか。

小泉 当社は110年以上の歴史を持ち、さまざまな製品を提供しています。現在も多岐にわたる分野でご利用いただいています。主力製品は半導体製造装置に使われるチューブですが、農業にも使われるホースやジャガイモを植える際に利用されるものなど、意外なところでも使われています。最近では、H3ロケットの1段目エンジンに我々の配管が採用されました。畑から宇宙まで幅広く手掛ける会社です。

また、台風で工場が潰れた経験から、BCP(事業継続計画)にも力を入れています。「常に備えよ」というのが私たちの基本姿勢です。これからもその姿勢を大切にしていきたいと思っています。

氏名
小泉 星児(こいずみ せいじ)
社名
大阪ラセン管工業株式会社
役職
代表取締役社長

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