なぜ大谷翔平は2017年、負傷明けにメジャー挑戦を決断したのか
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(本記事は、佐々木 亨氏の著書『道ひらく、海わたる~大谷翔平の素顔』=扶桑社、2020年3月26日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

不完全だからこそ今行く

たとえば、二〇一九年に大谷は25歳を迎える。もしも、その年にメジャー挑戦となれば、契約面での状況は大きく変わる可能性がある。少なくとも現時点でのメジャーの労使協定にある「25歳未満」の契約条件は大谷に適用されることはなく、大型契約でのメジャー挑戦も十分にあり得るのだ。

それでも、今このタイミングでの挑戦を決めた。野球少年のような「好奇心」に導かれるように海をわたる決断をした。大谷は言う。

「仮にこのタイミングで行かなかったとして、その先にアメリカへ行くかどうかはわからないことですし、今とこれから先のことを比べること自体がわからないこと。僕のなかでは、『今、行きたい』という気持ちがあったので、その思いを行動に移したというだけなんです。また、契約自体がマイナー契約なだけで、プレイできることに変わりはありません。僕にとって肝心なのはそこだけ。頑張れば、数年後は(年俸も)上がりますし、そこは自分次第。日本ハムに入団して1500万円から始まった一年目から、今の金額(推定年俸2億7000万円)になった五年間と、僕のなかでは感覚的にあまり変わらない。アメリカでは年俸は下がりますし、大変なことも増えると思いますけど、『やりたいこと』には変えられないと思っています。もしも二年待てば一生安泰ぐらいの金額をもらえる可能性はあるかもしれません。親のこととかを考えれば……。もちろんお金はあったに越したことはないですし、いらないなんて気持ちはないですけど、ただ今の自分に、その金額が見合うかと言えば、僕はあまりピンとこないので、それよりも今やりたいことを優先したい。たまたま優先したいものがあったということなんです」

二〇一六年の日本シリーズで走塁時に痛めた右足首の怪我は、その後の侍ジャパンの強化試合で悪化し、二〇一七年に開催されたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の代表辞退を余儀なくされた。怪我は結果的にチームのペナントレースにまで影響した。それでも大谷の「優先したい」ものへの思いは変わらなかった。

「怪我をした直後はそんなに(治療に時間が)かからないと思っていましたし、普通にシーズンもいけるだろうと思っていました。でも、結果的に(右足首の怪我の状態が)長引いてしまいました。ただそれでも、そこは関係なかったですね。怪我は、どのタイミングでするかわからないですし、もしかしたら事故的なものもあるかもしれない。それはわからないですし、自分ではどうしようもできない部分もあると思います。だから、自分のやりたいことを優先しました。アメリカへ『行きたいな』という気持ちが出てきたので、『じゃあ、行こう』となった感じですね」

たとえば、日本プロ野球での五年間を経た大谷に、その世界で戦うモチベーションが薄れてしまったということはあっただろうか。比較するものではないかもしれないが、かつて日本ハムに所属していたダルビッシュ有は「野球をやる上でモチベーションを保つのが難しくなってきた」とメジャー挑戦の一つの理由を語ったことがあった。たとえば、ピッチングにおいて自身がイメージする軌道ではない、あるいは意図しないボールでも相手打者を抑えられてしまう。そこに物足りなさを感じたり、満足できないということが、大谷のメジャー挑戦に拍車をかけた事実はあっただろうか。

「それはないですね」

何の迷いもなく大谷はそう語り、言葉を加えた。

「まず、自分がバッティングでもピッチングでも日本でトップだと思っていません。そもそも、トップになったから(メジャーに)行くという発想自体がありません。僕は、日本のトップじゃなくてもアメリカへ『行ってもいい』と思っています。それは球界のためになるとも思っています。そういう考えがなければ、そもそも高校からメジャーへ行きたいとは言わなかった。絶対的な実力を日本で身につけてから行くのが普通かもしれませんし、一般的に考えると『まだ行くべきじゃない』と思うんでしょうけど。もちろん、『トップに上り詰めてから』というのは素敵だと思いますし、格好良いとも思います。でも僕は『今、行きたい』から行く。日本でもまだまだやり残していることがあると思うんですけど、それが向こう(アメリカ)に行ってできないのかと言えばそうではない。向こうでもできることがあるし、日本でやり残していることを向こうで埋めることもできる。今行くことで、今以上のことを身につけたりすることもあると僕は思うんです」

道ひらく、海わたる~大谷翔平の素顔
佐々木 亨
1974年岩手県生まれ。スポーツライター。雑誌編集者を経て独立。著書に『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)、共著に『横浜VSPL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)、『甲子園 歴史を変えた9試合』(小学館)、『甲子園 激闘の記憶』(ベースボール・マガジン社)、『王者の魂』(日刊スポーツ出版社)などがある。主に野球をフィールドに活動するなかで、大谷翔平選手の取材を花巻東高校時代の15歳から続ける。

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