ジダン監督
フアン・カルロス・クベイロ
リーダーシップ論とコーチング論のエキスパート。ビジネスコンサルタント会社IDEOの業務執行社員、AECOP(スペイン・コーチング&プロセスコンサルティング協会)名誉会長、デウスト商科大学教授、ESIC教員、フンデセム・ノバカイシャガリシア校長を歴任。スペインにおける、リーダーシップおよびコーチング論の第一人者として知られ、世界のトップ企業400社あまりの戦略コンサルタントを手掛け、著書も多数。
タカ大丸(タカだいまる)
1979年、福岡県生まれ、岡山県出身。英語同時通訳・スペイン語翻訳者で、韓国ドラマの字幕制作も手掛けるポリグロット(多言語話者)。英語翻訳書に『クリスティアーノ・ロナウド ゴールへの渇望』(実業之日本社)、『ザ・マネージャー』(SBクリエイティブ)、『ジョコビッチの生まれ変わる食事 新装版』『クリスティアーノ・ロナウドの「心と体をどう磨く?」』(新装版・ともに扶桑社)、『エムバペ』(扶桑社)のほか、スペイン語翻訳書『モウリーニョのリーダー論』(実業之日本社)、『貧困脱出マニュアル』(飛鳥新社)など多数。

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ジダンが犯した7つの大罪

どれほど注意深く事を進めていても、「無知」は静かに忍び寄り、学びへの謙虚さを置き去りにしてしまうこともある。少々厳しい指摘となるが、ジダンの判断ミスが招いた大きな敗退に迫ってみる。逆に見れば、最終章の偉業達成へと続く道程に必要だった〝失態〟だったとも言えるだろう。

2017─18シーズンに立ち込めた暗雲は、年明け1月24日の本拠地サンティアゴ・ベルナベウで、コパの対レガネス戦で悪夢のような敗退へとつながっていく(試合の詳細は第8章をご覧いただきたい)。ジダン自身も「監督就任後、最悪の瞬間だった」とのちに振り返った。

その敗戦の翌日、大手スポーツ紙マルカには「ジダンの7つの大罪」というタイトルが付けられた記事が掲載された。

「ジネディーヌ・ジダンはコパ・デル・レイにおいて屈辱的な敗退を喫したわけだが、同時にレアル・マドリードの第2黄金期も潰えた。この失敗の責任を引き受けなければならないが、大きく分けて彼は以下の大罪を犯していた」

7つの〝大罪〟とは何か。記事を引用し、詳しく見てみたい(括弧内は記事からの抜粋)。

【大罪その1】せっかくの〝資産〟を無駄にした

「レアル・マドリードの頂点はカーディフ(2017年CL決勝)での2度目の優勝だった。だが、いつか世界の頂点から転落することは誰にでも予測できたことだ。最初の間違いは、リーガで2、3試合悪い結果が続いたことが要因で、シーズン開幕当初のフットボールを見失ったことと、その間に永遠のライバルであるバルサがネイマール退団という夏のつまずきから見事にチームを立て直したことだ」

事実、ジダンはメンバーの入れ替えを断行することはなく、前年と同じ顔ぶれで戦い続けた(疲れ切っていて、飽きていて、脆弱になっていて、前年のようなモチベーションが持続していない連中だ)。以前よりも能力が下がり、忠誠心も低下した面々が集まっているだけでは力を発揮するのは難しかった。

【大罪その2】コンセプトの間違い

「メンバーの顔ぶれが滅茶苦茶だ。これもひとえに大成功に味を占め、病的なまでに楽観的になってしまったジダンの責任だ。(中略)クラブの下部組織では若手も育ってきているはずなのに、結局は誰も上がってこない。セバージョス、テオ、ジョレンテ、マヨラル……。だが、クリスティアーノのほうが強いままだ。戦力は落ちる一方だ。アクラフのおかげで、ダニーロが神々しく見えてくる。見ればすぐにわかることだ」

事実、クリスティアーノ・ロナウドは戦力が落ちていると公言し、それはその通りだった。バロンドールを受賞したこの男も誰もが、ラ・リーガとチャンピオンズリーグの2冠を望んでいたものの、白軍団は弱体の一途をたどっていた。

【大罪その3】頑固さ

「ジダンは、ロッカールームを完全に支配しているという自信があって、裏切られたと感じているのだろうが、いつでも同じ結果を得られると過信していた。(中略)今シーズンは今までの魔法は通用しない。その結果としてリーガ優勝を逃し、コパでもジズーは負けた。解決策は少しずつ新しい選手を混ぜていくことであり、一気に変えることではない」

実際のところ、選手の顔ぶれはどんどん広がって連携も深まり、先発と控えの選手の間の風通しもよくなって機能するようになっていた。そんな中で、コパのまさかの敗退とリーガでバルセロナとアトレティコに救いようのない大差をつけられたという結果は、部分的には監督に柔軟性が欠けていたことが原因だと言えよう。

【大罪その4】流動性のなさ

「監督としての経験に基づいた決断をほぼしたことがなかったので、試合中にどうすれば事態を動かせるのかをよくわかっていなかった。ジズーはただスター選手たちをなだめ、ベニテスの手法と決別するときにそこにいただけだ。(中略)本来試合に出せる状態ではない、体調も実力も伴っていない連中を試合に出し、本来もっと評価されるべき選手の起用があまりにも少ない。ファン一同は、この男が本当にチームの実情を把握しているのか、本気で心配している」

最高レベルの競争においては、チームに最大限の利益をもたらさなければならない。才能の有効活用がしきれていない、マルコ・アセンシオ、イスコ・アラルコンやダニ・セバージョスのような有望な若手の出場が限られ、ベンゼマやベイルのような名前だけで結果が伴わない選手が重用され、アクラフ・ハキミもほとんど試合に出してもらえず、GKのキコ・カシージャとマルコス・ジョレンテについては世界最高の選手たちが集まる中でプレーするには力が足りないと監督から判断されたということだ。

【大罪その5】杓子定規すぎた

「ジダンはレールから外れることを決めて、それを誰も引き留めることができなかった。リーガ優勝の道が断たれると、ローテーション起用をするようになった。こんなのはお笑い草だ。Bチームがコパの戦いで非常に出来が悪いのをわかっていながら、またその顔ぶれに固執しようとした。クリスティアーノがプレーできなかったのはたしかだ。昨晩のような試合でベイルやマルセロをベンチに置いておくのは明らかに間違っていた。選手交代を渋り、選手の選び方もよくないのはいつも通りのことだった」

適切な瞬間に適切な選手や戦術の変更を行うことは、試合のゆくえを決める。つまりは、監督は試合を正しく読むことができるという意味で、試合の力学を把握して展開がよくないときに流れを変えることができるのだ。そこが監督の手腕が問われるところで醍醐味でもあるが、ひとつ間違いが起こればその責任は重くのしかかる。

【大罪その6】無責任

「あの敗退はいろいろな意味で大きなつまずきだった。マドリードにとって、よりによって、ベルナベウでレガネスに負けるというのは考えられない事態だった。もうこれ以上言う必要はあるまい。(中略)だがジダンは、今ある順位を確定させようとせず、Bチームを登用して何とかしようとしたが機能するはずがなかった。全くわけがわからない采配だった」

勇気とは、臆病と無謀の中間に位置する概念だ。実際のところ、ジダンがコパでやったことは無謀だった。それゆえに、対戦相手に歴史的な絶好機を与えてしまい、アシエル・ガリターノのようなモチベーションアップに長けた名監督にしてやられたということだ。

【大罪その7】信用がなくなった

「今やジダンはリーガもコパも諦め、すべてを次の対パリ・サンジェルマン戦に賭けるしかなかった。チャンピオンズリーグでマドリードが神がかった強さを発揮するという伝説は根強いものの、事態は複雑化し、審判らがレアルに味方するかどうかは誰にもわからない。会長が推していたGKケパの獲得を拒否したことで、クラブ全体の眼も厳しくなってしまった。今いるメンバーを守るために、せっかくの戦力補強の機会を放棄してしまったのだ。同時にカシージャを信用しすぎた。そのためにサポーターの信用を失った。ジダンは、かつてないほど敵意の中で孤独な決断を下さなければならなくなってしまっている。3月までにレアル・マドリードがタイトル獲得の可能性を完全に失って、休暇モードに入ってしまったのを見たことがあるか?」

アスレティック・ビルバオのGKであるケパ・アリサバラガと契約しようとした一件で、クラブ上層部との亀裂は決定的なものとなった。対レガネス戦の惨劇により、ジダンと会長のハネムーン期間は終わったようだった。

あとはCLのパリ・サンジェルマンとの2戦にすべてがかかっていた。欧州で最強豪のひとつで、百戦錬磨の名将ウナイ・エメリに率いられ、バルセロナを4対0で、バイエルン・ミュンヘンを3対0で下して勝ち上がった相手と、どう戦うのか。リスクは非常に高かった。

露骨な依怙贔屓(えこひいき)と認めない事例

よく言われるのが、ジネディーヌ・ジダンは好き嫌いが激しい監督であるということだ。チームにとっての利益以上に明らかに選り好みをして、監督の嗜好が選手選考に影響をおよぼしていると見られている。

カリム・ベンゼマについて言うと、ジダンが贔屓にする理由は明らかなように思われる。2人とも北アフリカ系のフランス人で、国内のクラブの下部組織で育った(ベンゼマはオリンピック・リヨン出身で、17歳でトップチームに昇格)。ベンゼマは2009年にレアル・マドリード入りし、ジダンが監督就任した時点で6年の実績を誇っていた。2011年にはフランスの年間最優秀選手でもあった。さらに、ベンゼマとジダンはどちらもストリートスマート(つまり、街路でフットボールの練習を続けた)な存在だ。また、性格もよく似ている。シャイで内気で、メディアの注目を好まない。

だが、2人の間には明らかな違いも存在する。ピッチ内でのジダンは華麗なプレー、パス、ゴールで〝語る〟選手だった。一方で、ベンゼマはそうではなくなっていた。2015─16シーズンには1試合当たりの平均ゴール数が0・8で、翌シーズンはその半分、2017─18シーズンにはさらに0・26(4試合に1得点の割合)まで下がった。たしかに2018年CL準決勝と決勝ではゴールを叩き出したが、数値的に見れば代わりになりそうな選手はいくらでもいるではないか。

ジダンは、それでも公然とベンゼマをかばい続けた。「エル・コンフィデンシャル」(2014年3月7日)のインタビューで、「ベンゼマの問題点はすべてピッチの外にある。ほとんど語らないからだ」と語り、「ある意味で我々は似た者同士だ」と続けた。

「ピッチ内でプレーすることだけに集中していて、そこで全力を尽くし、あとは家で家族と過ごすことだけを考えていた。ベンゼマも少し、そういうところがあるからね」

ジダンによると、「あいつはいいヤツだから」すぐに復活するのだという。このストライカーに関しての唯一の問題点とは「内向的な性格で、非常に控えめで、あまり話さないことだ。フットボール以外のことに関心を示さないが、あいつはまだ若いのだし、それが普通だ」と、ジダンは結論付けた。

「ベンゼマの才能は素晴らしいものがある。あいつはピッチに足を踏み入れると、気分がよくなるんだ。そこで私がどうすればいいか、説明すればいいだけだから」

そして、ベンゼマは今後生まれ変わっていくと言い張り、「クラブもそういう方面で気を配っているし、あいつはマドリードで満足している。何も問題はない」と断言した。

問題は、彼の期待を下回るパフォーマンスだった。フランス代表でもジダンはアイドルだったが、ベンゼマは2015年の秋以来、ディディエ・デシャン監督率いる代表チームに招集されなくなっていた。2017年12月23日に0対3で負けた対バルセロナ戦で負傷し、翌年1月21日のベルナベウで復帰を果たしたものの、マドリードのサポーターは笛を鳴らして辛辣に迎え入れ、クリスティアーノ・ロナウドはサポーターたちに対して怒りをあらわにした。

もう一人、ジダンがアンチェロッティの助監督だった時代からお気に入りだった選手がいる。カナリア出身のヘセ・ロドリゲスだ。練習場のバルデベバスでは個人的に指導を続けるほどだった。ただ、ヘセには短気で、まるで粗野なロックスターのように振る舞うところがあった。2016年の夏に移籍したパリ・サンジェルマンではウナイ・エメリ監督が試合で途中交代を命じたまま放出を主張し、そのシーズン終了までUDラス・パルマスへとレンタル移籍した。また、そこでは「期待以下のパフォーマンス」と「ピッチ外での揉め事」(訳註:当時彼は元妻との揉め事が発生していた)を理由に契約更新されず、パリ・サンジェルマンもあらためてイングランドのストーク・シティにローン放出を決めている。

彼らと正反対だったのが、前にも触れたハメス・ロドリゲスとイスコ・アラルコンだ。

2014年ワールドカップで大活躍し、大スターとしてレアル・マドリードに迎え入れられたはずのハメスは、2017年夏にバイエルン・ミュンヘンへ放出された(買い取りオプション付きの2年間のレンタル移籍)。その後の記者会見で、ハメスはジダンを激しく非難した。

「どれだけプレーして、パスを通して、得点やアシストを供給しても、僕はあの中に入ることができなかった。ジダンにも好みがあることはわかるけどね。(当時バイエルンの)ユップ・ハインケスは最高の監督だよ。たくさん話し合うことができている。助けてくれるし、スペイン語でも話してくれる」

また、マラガ出身のイスコ・アラルコンは2013年6月にレアル・マドリードと契約を交わした。前年には、21歳以下の最優秀選手に与えられるゴールデンボーイ賞を受賞していた。ギャレス・ベイルの負傷に伴ってトニ・クロース、ハメス、ルカ・モドリッチとともに中盤を構成するようになったが、前線に〝BBC〟が固定されるようになると出場機会は減ってしまった。

2018年夏に、クラブは彼をイングランドに売却したい意向を持っていると噂されるようになり(たとえば、親友のモラタがいるチェルシーや、グアルディオラが監督をしているマンチェスター・シティなどだ)、その移籍金を1億ユーロと目論んでいるとされている(マラガからの買い取り金は3000万ユーロを払ったとされているが、これはスペイン国内の選手としては最高額だった)。

ジダン本人も認めているように、内向的な性格であまり多くを語らないがゆえと言うべきか、選手の起用だけで好ましい者とそうではない者がいると、周囲は勝手に判断してしまう。当然、選手側からも不満のひとつやふたつは出るだろう。それらを含めて、クラブ全体を見渡したうえでのチームづくりをする監督業は、苦悶に満ちたものだとあらためて言わざるを得ない。