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「ただのスター軍団」と「強さを誇る軍団」を分かつもの
実際、いい選手たちを集めることと、その面々が団結していいプレーを披露することを混同している人は少なくない。個人の能力と集団として発揮できる力とは別物なのだ。よって、フロレンティーノ会長の〝ジダンたちとパボンたち〟戦略は別に目新しいものではなかった。GОAT、つまり「Greatest of all times(史上最高の面々)」の略だが、もとはヤギを意味する「Goat」と掛け合わせた言葉である。最高の面子をそろえるだけでは不十分で、単なるヤギのような弱い存在となってしまう。
勝利する集団の構築方法について研究を続けるメレディス・ベルビン教授は、これを〝アポロ症候群〟と名づけ、「もっとも悲惨な結果に至る集団は、もっとも優秀な人材によって作られている」と説いた。フットボール界でいえば、アルフレッド・ディ・ステファノやヨハン・クライフ、クリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシが祖国代表でW杯優勝を果たしていないのが好例だ。
なぜ、最高の才能を備える個人がそろう集団は、チームとして機能しないのか? その理由に対する幾多の専門家の見解を次にまとめてみたい。
① 無駄な会議ばかりに時間が費やされ、実行のための時間が少なすぎる。
② 決断を下すことが困難である(これを「グループ・シンク」と言い、歴史的にも事例は枚挙にいとまがない)。
③ 共感の欠如、つまり勝てば自分の功績であり、周囲の尽力や協力に思いを致すことがない。
④ 期待通りの結果を手にできなさそうになると、軋轢を避けて妥協した答えを求めるようになり(これが有害である)、そのうえで少しはマシな結果を得ようとする。
9年間にわたる徹底調査ののち、ベルビン教授の研究チームは、「自己崩壊に至る集団の傾向とは、期待以下の成果しか出せないことである」と結論を出した。加えて、分析能力に長けている人は往々にして創造力には欠け、一方、創造力に長けているプロフェッショナルは最高の面子がそろった集団では重んじられず、ゆえにその集団はイノベーションを生み出すことができず、結果として競争においては力を発揮できずに勝利することはない。多様性が足りないために、貧弱な結果に終わってしまうということだ。
2010年に公表されたテキサス州立大学の研究によると、スポーツでも企業でも、カギとなるのは「個々の才能の間にある距離感」だという。スーパースターの地位がほかのメンバーと比べて高すぎる場合、チームとしての成果は往々にして低くなるのだという。ゆえに、最高の成果を出すチームとは、さまざまな才能が集結し(スターである必要は全然ない)、才能の格差が小さい一団である。バランスがうまく取れているチームでは、議論も民主的で有意義なものとなりやすい。
もちろん、1992年バルセロナ五輪におけるバスケットボール米国代表(マイケル・ジョーダン、ラリー・バード、マジック・ジョンソン)や1950年代終盤のレアル・マドリード(アルフレッド・ディ・ステファノ、フェレンツ・プスカシュ、レイモン・コパ、フランシスコ・ヘント)、あるいはウォルト・ディズニーのクリエイター集団やグーグル、マンハッタン計画やオックスフォードにおけるペニシリン開発のように、〝ドリームチーム〟というものは実在する。
ウォール・ストリート・ジャーナルでスポーツ記者を務めるサム・ウォーカーは、今までにないテーマの調査を重ねて著書『常勝キャプテンの法則』(早川書房)にまとめ、その中でレアル・マドリードの〝銀河系〟を取り上げてこう指摘した。
「即効的な効果は目覚ましいものだった。最初の3シーズンで、レアル・マドリードはリーガ・エスパニョーラ優勝2回とチャンピオンズリーグ優勝1回を果たしたのだ。だが、時が経つにつれ、スーパースター集団の統率を保つことは困難となり、その後の3シーズンにおいては、クラブは無冠に終わってしまった。才能が豊富にそろっていたのは言うまでもないが(もちろん個人レベルでの話だが)、レアル・マドリードのパフォーマンスは著しく低下した。2006年には、〝銀河系〟は解体されるに至った」
そして、憤懣やるかたないフロレンティーノ会長は退任に追い込まれた。そこには(集団の)才能もなければひとつのチームもなく、(圧倒的な成果を出す集団に必ず見られるはずの) 相乗効果が生まれなかったからだ。
長年にわたりマンチェスター・ユナイテッドの監督を務めたサー・アレックス・ファーガソンが吐いた有名な言葉に次のようなものがある。
「ジダン一人と木の欠片を10個くれれば、チャンピオンズリーグで優勝してやる」
これは史上最高のフランス人選手および監督となった男に対する、一種の冗談交じりの称賛ととることもできよう。だが一方で、この言葉は私たちが勝つチームについて考えたときには別の意味を持つことも事実である。勝つチームに備わっているのは指導者の力であり、同じく主将の尽力であり、チーム全体のバランスなのだ。
才能の前に人の温かみを備えよ
父スマイル・ジダンの自伝(2017年に出版)には、息子が幼少時代の担任から「お宅の息子さんはクラスでは全くと言っていいほど声を出さないのに、動きは激しいですね!」と評された話が紹介されている。それを聞いた父親は満面の笑みを浮かべて教室を出て、大変ご満悦だった。ヤジッドは控えめで内向的な子だったが、思慮深さもあった。決して豊かとは言えない環境の中で、父親が息子に教え込んだ価値観がきちんと伝わっていることに大いに満足だったということだ。祖国アルジェリアで、自分もまた父親からそういった価値観を植え付けられていたのである。
内向的、恥ずかしがり屋、共感があるという人間性の組み合わせは、勝者の特徴になりえるものである。
マサチューセッツ大学の研究によると、「共感」は職場における成功に決定的な役割を果たす要素なのだという。テクノロジーが発展すればするほど、共感の意義はさらに大きなものになるようだ。賛否はあるとしても、共感のある人の主張は受け入れられやすくなる。また、親しみやすく共感のある人は選抜されやすく、仮に間違いを犯したとしても容易に許してもらえるだろう。コミュニケーションの専門家が口をそろえて言うのは、「ものの言い方は、話す内容そのものと同じか、それ以上に重要」ということだ。
ギリシャ語の「patheia」という単語は「感情」、あるいは「苦痛」という意味である。この語根から派生して生まれたのが「ホメオパシー(同種療法)」「テレパシー」「アンティパシー(嫌悪感)」といった言葉だ。ここでいう「共感」とは、他人に居心地の良さや安心感を与えるということだ。それによって相手に笑顔が浮かび、周囲の雰囲気はよくなる。相手の立場に立ち、(何が起きているかを把握して)知的レベルにおいて自発的、あるいは味方になるかたちで対処する(事態を改善する)ということだ。
共感は、感情移入とは別物である。感情移入の中には感情のつながりも含まれていて、そうすると共感が不足する可能性もある。心の知能に関する専門家のアランチャ・メリノは、感情移入を通じて共感を深める方法について明かしている。
「共感するときは、相手の行動様式を理解して決して批判しないことだ。あなた自身も物事がうまくいかなかったことが多々あり、友人の力を借りたこと、つらい時期を過ごしたことがあったはずだ。共感はそんなところから湧いてくる。相手の立場に立つだけではなく、内面にまで踏み込んで結束を固くすることだ。それによって、互いに苦痛から自由になれることが望ましい。相手を判定せず、肯定した返答をすることである。友人としてそばに寄り添い、温もりを提供し、説明を求めず、無用な助言をしないことだ。それが実践できれば、人間関係は著しく向上し、さらに重要なことは、私たちの思考に静謐さと穏やかさが訪れるということである」
また、他人に対してはまずそれぞれの個性を受け入れること、自分自身に対してはあるがままに受け入れることにより、調子がいいときも悪いときも、自らを奮い立たせるメッセージを内面で送り続けることが重要だと述べている。
史上もっとも才能に恵まれた選手だった男は、人間として大切な三要素(寛大さ、謙虚さ、共感の心)を兼ね備えていたということだ。ところが今の社会では、この共感の心を軽視している傾向にあるのも事実だ。それはなぜか。残念ながら個人主義を重要視するばかりに、共感の心が人間性の強さではなく弱みとしてとらえられてしまっているからだ。学びの中で、共感の心を育むことはできないものと勘違いしてしまっている。
政治社会学を専門とする、西コネティカット州立大学のクリストファー・カック教授は、著書『The Compassionate Achiever』において、「共感の心にあふれる人たちは、最終的には〝ともに〟頂点へたどり着く」と記している。それは単にいい人に備わる資質ではなく、成功につながる重要な要素ということだ。また、カック教授は共感の心を育むために必要な4つの要素〝LUCA〟を提唱している。
① Listen(=聴く): まずは相手の言うことに傾聴する
② Understand(=理解する): どのような選択肢が助けになるのかを知る
③ Connect(=つなげる): 必要な能力がある人とつなげる
④ Act(=行動する): 問題解決、事態向上のために実際に動く
私たちの多くは、聞くことは聞くが注意深く耳を傾けていないことが多いのではないだろうか。傾聴するためには「考え、行動し、再考すること」に集中することだ。いつ、どこで質問するかを把握する、いわゆるソクラテスの問答である。そして、沈黙の意味を再認識することである(抱擁、観察、非言語コミュニケーションに存在する価値を確認することだ)。
共感に関してさらに言えば、助けようとする相手の心理状態を正しく把握し、相互理解を深めるために心の知能指数を高め、そして最終目的地にたどり着くために必要な人やデータ、事象、アイデアなどを増やしておくことも欠かせない。
また先にも触れたように、共感と感情移入の間にある違いをよく理解しておくことは大切だ。繰り返すが、感情移入とは相手の気持ちに完全に同調することであり、共感とは相手に対しての優しさを示すことだ。その点、私たちの脳はこの2つを明確に切り分けているというのは興味深い事実で、その証拠に共感するときは愛情が湧くときと同じ部分の脳が活発化して、感情移入の際には苦痛を感じるのと同じ脳の部分が動いている。感情移入による疲労困憊から離れて共感の精神に入っていくために、カック教授は「散歩すること」「読書すること」「想像すること」、そして「注意深く傾聴すること」を勧めている。
そして、共感の心を備えるチームには相互作用が生まれ、革新を進められる勝者となる。それは、常にチャンスを探し続けて、前向きな言葉を使ってお互いを鼓舞できるからだ。優れた友人の励ましなどがパワーをくれる呪文(マントラ)となって、恐怖を乗り越えるための勇気が湧いてくる。
また、自問の際は〝私〟と話すのではなく、自らの原動力となっているものに呼びかけることで力が湧いてくる。質問を通じて教育することだ。知性が楽観的になれば、それはいい兆候だ。また、失敗から学ぶことだ。一度の失敗を大惨劇にしてしまう必要はない。そして、あなたに備わる才能をほかの人たちと協力調和させ、アイデアを実現できる場所にもっていくこと、それができれば期待以上の成果として結実することになる。
カック教授はまた、粘り強さを高めるために次のようなことを勧めている。自分を信じてくれる人のそばにいること、もっと笑うこと、融通をきかせること、新しいことに挑戦すること、時には小高い丘に登って散歩すること、今やっていることに備わっているブレない価値観を再確認すること、だ。
老子は「あなたのなすべき道は、そのままでいることである」と言った。「そのままでいること」とは、静謐さや自らの感情を用いること、思索を重ねること、忍耐強くなることから学べるということだ。一番難しいのは、その継続だ。
今のような残酷な資本主義の中では、共感の心はしばしば忘れ去られる概念でもある。しかし、才能が重要視される新しい時代において、優れたリーダーや監督たちには必ず備わっていなければならない。ジダンにはそれが十分に備わっていたのである。