一流ホテルもマックも愛用~鍵のマークのキーコーヒー
東京・新橋のオフィス街にあるビジネスマンに人気のカフェ。ネルドリップで入れるコーヒーは1杯280円と手頃な値段だが、客の評判はもっぱら高い。その特徴は豆の製法にある。それは「氷温熟成」という、コーヒー豆を0度以下だがギリギリ凍らない温度で、一定期間寝かせる製法。こうすることでアミノ酸が増え、コクがあるのにまろやかなコーヒーになるという。
このコーヒーが飲める「キーズカフェ」は全国に75店舗。手掛けているのはキーコーヒーだ。
コーヒー好きにとってキーコーヒーは身近なブランド。スーパーの棚にはさまざまなキーコーヒーの商品が並んでいる。「ブルーマウンテン」などメジャーなコーヒーに、気軽に作れる水出しのアイスコーヒー。今人気の商品はキーコーヒーのドリップオン。カップに乗せてお湯を注ぐだけで本格的な味が楽しめる。「ドリップオンバラエティパック」(570円)では、6種類のさまざまなブレンドが楽しめる。
キーコーヒーの商品アイテムは300を数える。売り上げの比率は、家庭用が3割、食品メーカーに卸す原料用が3割。そして4割を占めるのが喫茶店などに卸す業務用だ。
横浜の老舗「ホテルニューグランド」。「スパゲッティナポリタン」(2178円)、「シーフードドリア」(2783円)、「プリンアラモード」(2783円)などの発祥の地とされる。そんな老舗にもコーヒーを卸している。
「レストランにおいて料理の締めくくりというのは、お客さまにゆったりした気分になってもらいたい。コーヒー一杯にもこだわってお客さまに提供しなくちゃいけないなと、日頃から思っています」(総料理長・宇佐神茂さん)
そんな宇佐神さんが選んだのが、キーコーヒーの「モカフレンチ」という豆。通常アイスコーヒーに使われる深煎りの豆をあえてホットに使い、料理の締めを際立たせた。
身近なところでは「マクドナルド」。あの「プレミアムローストコーヒー」(100円/S)もキーコーヒーの豆を使っている。ハンバーガーに合うように、2年前に改良された。
「キーコーヒーさんから、より今のお客さまに合うという形で、少し焙煎を強めてそして酸味を抑えたブレンドをご提案いただきました」(日本マクドナルド・梶野透さん)
キーコーヒーの本社は東京・新橋にある。創業101年目になる老舗企業だ。従業員数1078人、売上高は526億円にのぼる。
この日、行われていた会議のテーマは「喫茶店で飲むようなブレンド」。さまざまな豆を組み合わせ、「おうち需要」に応える新たな家庭用ブレンドコーヒーを生み出すという。
「昔は、いつでも誰でも喫茶店に出かけていって楽しむということができましたが、自由に動けないこの頃の状況にあって、家でも喫茶店で飲むような本格コーヒーが楽しめるように、と」(設計第一チームリーダー・阿部祐美子)
彼らはキーコーヒーのすべての味を決めるスペシャリスト。味わいの表現の仕方も普通ではない。例えば「クリーン」は透明感のある味わい、「フローラル」は華やかな味わい、という意味だという。「喫茶店で飲むようなブレンド」(仮)は9月発売が決まった。
そんなスペシャリスト集団を率いるのが社長の柴田裕(57)。キーコーヒーには100年間ずっと心掛けてきたことがあるという。
「コーヒーに対して誠実で、そして真面目であるということもあるんですけど、コーヒーを誰でも簡単においしくということは、ずっと心掛けてきました」
憧れを身近に~キーコーヒーの100年
「誰でも、簡単に、おいしく」を掲げて、コーヒーを日本に根付かせようとしてきたキーコーヒー。その創業は大正時代の1920年。柴田の祖父・文次が横浜でコーヒーの焙煎・卸の店を出したのがその始まり。
当時、コーヒーは欧米への憧れでもあり、家で入れて飲む人はほとんどいなかった。そこで、家庭で手軽に飲めるようにと1921年に発売したのが「コーヒーシロップ」。コーヒーの抽出液に砂糖を加えたもので、牛乳で割って飲む。1929年には挽いた豆を缶詰にした「缶詰コーヒー」を発売した。
1953年にはアフリカ産の名品「キリマンジャロ」を日本初輸入。さらに「ブルーマウンテン」も輸入開始。憧れのコーヒーを身近なものにしてきたのだ。70年代には喫茶店ブームの到来で、キーコーヒーの看板が全国に広まった。
柴田がいま進めているのが外食産業との連携だ。2005年、若者に人気の飲食チェーン「イタリアントマト」を、2012年には、六本木のランドマーク「アマンド」を子会社化。さらに業界を驚かせたのが喫茶チェーン「銀座ルノアール」との資本業務提携だ。スタバやコンビニコーヒーなど、ライバル続出のコーヒー業界にあって、飲食チェーンと手を組んで互いの体質を強化するためだった。
この日、東京・中野区の「銀座ルノアール」本社では新入社員研修が行われていた。コーヒーの入れ方をリモートで教えていたのはキーコーヒーの藤田靖弘。「コーヒー鑑定士」という日本に40人ほどしかいないスペシャリストの一人だ。キーコーヒーとタッグを組むことで、「ルノアール」のコーヒーを入れる技術もアップしている。また、キーコーヒーはルノアール専用にブレンドした豆を供給するようになった。
「昔は空間という部分に重きを置いていたので、正直言って、コーヒーはそこまで気にしていなかったところがあります。ただ、時代の変化とともに、少しでもおいしいものを出したいという考え方に移行させてきました」(「銀座ルノアール」・湊幸二)
今や当たり前に飲まれているコーヒー。しかし、「まだ可能性はある」と柴田は言う。
「日本のコーヒーの消費量は1人1日1杯に満たない程度です。欧米、特に北欧の国々の人たちは日本人の4倍も5倍もコーヒーを飲む。まだ伸ばせる余地はあると思っています」
日本とインドネシアの絆~幻のコーヒー復活秘話
キーコーヒーには「幻」と言われるコーヒーがある。
東京・荻窪でおよそ半世紀続く昔ながらの喫茶店「カフェクレエル」。店主の矢田恭則さん(79)は、注文のたびにサイフォンでじっくり入れる。ずっと守り続けてきた流儀だ。そんな矢田さんが惚れ込み、40年使い続けている特別な豆があるという。
「まろやかで、飲んでいるうちに深みとコクを感じる。口当たりの良さ、それが『トアルコトラジャ』の素晴らしいところです」
「トアルコトラジャ」は「幻」と呼ばれるキーコーヒーの豆だ。キーコーヒーの社史に、こんな記述がある。
「幻のコーヒー。それは役員室に持ち込まれたひと握りのコーヒー豆から始まった」
1970年、キーコーヒー本社。当時、副社長だった大木久の元に知人の男がやってきた。男は小さな包みを手に「インドネシアの奥地ですごいコーヒーを見つけた」と言う。
当時、キーコーヒー は中南米、アフリカの豆を中心に扱っていた。半信半疑でそのコーヒーを飲んだ大木や他の役員からは「こんなうまいコーヒーは飲んだことがない」との声が上がった。大木たちはすぐ産地に飛ぶことを決めた。
そこはインドネシアで4番目に大きな島、スラウェシ島。目指すコーヒー農園は中心部から車で8時間もかかる秘境中の秘境だった。
この地に住むのはインドネシアの少数民族トラジャ族。彼ら独自の文化を守っている。そのトラジャ族が細々と育てていたのが、あのコーヒーだった。
インドネシアは17世紀からオランダの支配下にあった。オランダ人は、コーヒー栽培に適したトラジャ族の地に目をつけ、農園を開く。そのコーヒーは、東インド会社を通じてオランダに送られると、高貴な味と香りが絶賛され、オランダ王室御用達となる。しかし、第2次大戦とその後の独立戦争でコーヒー農園は荒れ果て、いつしか「幻のコーヒー」と化してしまったのだ。
現地を目の当たりにした大木は「我々の手でトラジャ族の豆を復活させよう」と決意。1970年代、コーヒー農園の開発に取り掛かる。
トラジャ族と共にまず始めたのは、トラックが走れる道路や橋造りだった。さらに、コーヒーの近代的な栽培技術や品質管理の仕方も教えていった。
開発当時を知る元農園長のユスフさんは「日本人は私たちに対して、まるで自分の子どもに接するように指導してくれました」と言う。
8年がかりで東京ドーム110個分の広さの農園が完成。復活した幻のコーヒーを「トアルコトラジャ」と名付け、1978年、ついに発売にこぎつけた。今やキーコーヒーを象徴するブランドとなった。
農園ができて40年以上。トラジャ族の暮らしは大きく変わったと、ユスフさんは言う。
「私には子どもが6人いますが、4人が大学まで進みました。ここで働いてなければ、子どもを学校に行かせられませんでした。キーコーヒーにはとても感謝しています」
トラジャの村には、開発を率いた大木副社長の名をつけた「オオキ橋」が残っている。橋のたもとにはキーコーヒーのマークが。今でもトラジャ族とキーコーヒーの絆を結ぶかけ橋となっている。
コーヒーが飲めなくなる!?~「2050年問題」とは
2017年、インドネシア・トラジャ地方のキーコーヒーの農園を、一人の男性研究者が訪ねてきた。傍らには柴田の姿もあった。研究者は驚きの言葉を発した。
「今後35年で、地球上でコーヒーを栽培できる土地は50%減少するでしょう」
彼の名はティモシー・シリング博士。世界的なコーヒーの調査研究機関「ワールドコーヒーリサーチ」のメンバーだ。
世界の主要なコーヒー産地は、赤道を挟んで南北25度の通称「コーヒーベルト」と呼ばれる地帯にある。その中でも、標高が高く、昼夜の寒暖の差が大きい場所でしか、良質なコーヒーは育たない。
ところが温暖化などの気候変動により、2050年にはコーヒー栽培に適した土地が半減するという。その影響はすでにインドネシアにも出ている。トラジャ族の農家のひとりは、「昔のトラジャは、雨季と乾季がはっきり分かれていましたが、今はいつ雨季が始まって、いつ乾季が始まるか、まったく予想がつかなくなってしまっているんです」と言う。
そこでキーコーヒーは、シリング博士たちと共にある実験を始めた。
トラジャの農園の一角に植えられたのはさまざまなコーヒーの苗。「コロンビア」やパナマの「ゲイシャ」などおよそ40種。気候変動によって、万が一、「トアルコトラジャ」が栽培できなくなったとしても、他のコーヒーが育つ可能性があるからだ。
こうした実験が今、世界規模で行われている。
キーコーヒーがメニュー開発~喫茶店に客を呼び戻せ!
本社の「テストキッチン」で作っていたのは、スパゲティ。キーコーヒーはコーヒー会社なのに、コーヒー以外を開発する部署があるのだ。
作っていたのは3色のナポリタン。定番のトマトソースにホワイトソース、そして緑のバジルソース。開発しているのは喫茶店用のフードメニューだ。
「昭和の喫茶と令和の喫茶というテーマで開発したいという話で、赤は昭和のナポリタン、緑と白は令和洋食です」(設計第二チームリーダー・本吉眞紀)
喫茶店の客層を広げるためにこんなメニューまで開発しているのだ。
その推進役である営業チームの岡田理佳が訪ねたのは、「そごう」横浜店の「カフェフェリーチェ」。キーコーヒーの豆を使っているカフェだ。
さっそく新メニューを提案する。「今、インスタグラムでクリームソーダがはやっておりまして」と、勧めたのは4色のクリームソーダ。これで夏場に、若い客をつかめるとアピールした。早速、その場で作ってみると、店側からも好感触が。
「当店は年配のお客さまも多いので、そういったお客さまに特に喜ばれるかもしれないですね。お子さまにも分かりやすい商品で、注文はされると思います」(店主・奥村佑介さん)
こうして次の100年も喫茶店文化を支えようとしている。
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
ブルーの地に黄色いカギのイラストを組みあわせたロゴマーク。このマークの原型を昭和3年に決めた創業者は「コーヒーが日本人の新しい食文化の扉を開くカギだ」という思いを込めた。当時、日本は「集中して」内外に目を向けようとしていた。集中しなければ、そして行動しなければ何も得ることができなかった。スーパーもコンビニもない時代、冒険が当然だった。しかし、朝のコーヒーの香りは格別だ。まさに、何か扉が開いたような、そんな香りだ。
<出演者略歴>
柴田裕(しばた・ゆたか)1964年、神奈川県生まれ。1987年入社。購買、営業、経営企画と進み上場プロジェクトに参加。慶応大学院でMBA取得。2002年、創業家4代目社長就任。
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