高齢化が進む日本の中で、企業における後継ぎ社長の役割が重要視されている。本企画では、これからの日本経済を支えていく後継社長に、どのように変革を起こし、成長を遂げていくのかを伺い、未来の経済発展へのヒントを探っていく。
事業変遷と貴社の強み
—— 創業からこれまでの事業変遷についてお伺いします。
株式会社中華・高橋 代表取締役社長・髙橋 滉(以下、社名・氏名略) 創業は1953年で、初代は私の祖父で、二代目は私の父で、私は長男として会社を継いでいるという典型的な家族経営のパターンです。
祖父は学者とお坊さんを足して2で割ったような人で、ビジネスマンというよりは生活のために起業したという感じです。戦後、中国から引き上げてきて、生活のために起業しました。中国語ができたので、日本軍の通訳をしていて、その経験から、中国に恩返しをしたいという思いがあり、中華に関わることを生業にしたいと思っていたようです。そこでフカヒレとの出会いがあり、フカヒレを中心にアワビやナマコなどの高級海産物の卸売を始めました。
—— お父様の時代はどのように事業を拡大されたのでしょうか?
高橋 父は非常にアグレッシブなビジネスマンで、会社を大きくしました。乾物ばかりでは面白くないと考え、中華料理のレストランをオープンした時には生鮮食品を除いては全ての食材を納品できるような商品ラインナップにしました。また、フカヒレのメーカーになることを目指し、サメの産地である気仙沼でフカヒレの製造を始めたのも父の時代です。
会社は大きく成長しましたが父は57歳で亡くなり、私が会社を引き継ぐことになりました。
高橋 父の時代にフカヒレのメーカーとして大きな工場を作りましたが、工場を作って4年後には父が亡くなってしまったので、私がフカヒレ事業に専念することになりました。しかし、世界的にフカヒレへの反対があり、今ではフカヒレメーカーから中華メーカーとして総菜事業が大きく伸びています。
—— 続いて強みについてお聞かせいただけますでしょうか?
高橋 私が社長をやっている20数年のうちの最初の10年はフカヒレが強みでしたが、後半の10年で中華に軸を移しました。その中で気づいたのは、祖父の時代から中華専門店のシェフたちとのつながりが大きな資産であり強みであるということです。彼らから得た技術や知識が、総菜や調味料の開発に生かされています。
これまで中華レストランは顧客でしたが、今では知恵をいただく場所であり、私たちはその知識を活用して新しい商品を開発しています。中華以外の市場にも進出し、強みを生かしています。
承継の経緯と当時の心意気
—— 代替わりの経緯と背景についてお聞かせください。当時の社内の状況や苦労についても教えていただけますか?
高橋 社内のことはほとんど経験がなく、当初はやる気もありませんでした。正直、世の中を甘く見ていて、危機感もありませんでした。最初の1年は、社長という役職は楽なものだと思っていたのです。しかし、次第に自分が意思決定をできていないことに気づきました。
当時、父の時代を支えていた番頭さんがいたので、彼らに頼り切っていましたが、次第に自分でも会社のことをもっと知りたいと思い始めました。それから勉強を始め、経営の難しさや怖さを知り、意思決定を自分で行う必要があると強く感じるようになりました。
意思決定ができるようになるまでに5年ほどかかりました。その頃には、番頭をはじめとした社員が次々と辞めていきました。営業の主力だった人たちも大手の食品問屋に移りました。その時は中華・高橋が危機的状況にあると業界で言われていたようです。
—— 苦労や壁をどう感じましたか?
高橋 あまり苦労を苦労と思わない性格で、むしろ、やるべきことがある方が楽しいと感じます。基本的に怠け者なので、やらなければならないことがある方がハッピーなんです。
ぶつかった壁やその乗り越え方
—— 経営の中でぶつかった壁とその乗り越え方について教えていただけますか?
高橋 いろいろありますが、直近ではコロナが大きかったですね。会社が潰れるんじゃないかと騒いでいましたが、実際には単月売上で六割落ちても意外と潰れませんでした。これには驚きましたね。
ちょうどコロナの前に、フカヒレ依存から脱却するために「C’s Kitchen構想」を掲げていました。フカヒレの利益構成比が57%に達していたので、これに依存するのは危険だと考えたんです。コロナ前はフカヒレに危機感を持つ社員はおりませんでしたが、コロナ禍でフカヒレだけでは危険だと社内でも感じるようになり、総菜も売り始めたのです。C’s Kitchenだけは300%の稼働になりました。これで総菜のニーズがあると確信しました。
—— 環境変化に対する準備が功を奏したということですね。
高橋 環境は必ず変わります。だからこそ、未来を予測し、仮説を立てて早めに取り組むことが大切です。壁というよりは試練や練習試合のようなものです。自分の力を試し、成長を確認する機会だと思っています。
今後の新規事業や既存事業の拡大プラン
—— 今後の展望についてお話を伺いたいと思います。新規事業の着想や既存事業の拡大について、どのようにお考えでしょうか?
高橋 今後5年、10年を見据えたマイルストーンを設定しています。5年以内には、C’s Kitchen事業を中心に中華の種を中華以外へと広げることを加速度的に進めていきます。日本では冷食や総菜がブームですが、最近始めたのはスーパーマーケット向けの事業です。スーパーマーケットでは総菜に力を入れ始めており、デリカと言われるすぐ食べられる素材も注目されています。我々はそこに大きな伸びしろを感じています。
中華はまだまだ市場として弱い存在です。例えば、コストコさんのような販売力のあるところでも中華は手薄です。これはチャンスだと考えています。また、これまで外食チェーンではバーミヤンのような中華をターゲットにしていましたが、最近は回転寿司に注目しています。シャリの上に何を乗せても良いわけで、ご飯と酢豚を組み合わせることも可能です。こうした新しい発想で、中華の食材の垣根がなくなり、和洋中のフュージョンが進んでいます。
外食やスーパーマーケット、メーカー向けの原料も含めて、中華専門店以外の市場を5年以内には制覇する勢いで進めていきます。
—— 日本の人口が縮小する中で、今後の成長戦略はどのように考えていますか?
高橋 我々はアジアを一つの陸続きのマーケットとして捉える必要があります。日本は海に囲まれているため、外国を遠く感じがちですが、アジアの他の国々はもっと近い存在です。例えば、ベトナムの人にとってのタイや、中国の広東省の人にとってのベトナムは遠い存在ではないんですよ。こうした国境の概念を捨て、アジアを一つのマーケットとして捉えることが重要です。
10年後には、アジアを陸続きのマーケットとして捉える会社になり、人と物が当たり前のように行き来する状況を作りたいと思っています。
—— 具体的にはどのような取り組みをされていますか?
高橋 香港に住み、アジアのマーケットリサーチを行い、どのようなビジネスが可能かを探っています。中華という強みに日本の要素を掛け合わせた新しいビジネスを模索しています。香港では日本のブランドが非常にリスペクトされており、日本の商品がブランドとして認識されています。そのため、日本の強みを活かしたビジネスを展開することが可能です。
5年後には日本での展開を完了し、10年後にはアジアと一体のマーケットを形成し、当たり前のように人と物が行き来する会社を目指しています。これが私の5年、10年の展望です。
メディアユーザーへ一言
—— 経営者を中心とする本記事の読者の皆様に一言お願いします。
高橋 私が社内で常に言っているのは、「過去の延長線上に未来はない」ということです。多くの人は過去の経験を基に行動の理由を見つけがちですが、我々は急速に変化する環境に立ち向かわなければなりません。経営者として、過去を振り返ることには意味がないと思っています。過去の失敗は消えませんが、未来は自分の思い描く通りに創造できるのです。
未来に対して大いに関心を持ち、自由に予測することが重要です。明るい未来を描き、ポジティブに展望することが大切です。経営者は未来を明るくし、それを具体的に語ることで、日本全体が明るく展望できる国になるのではないでしょうか。
- 氏名
- 髙橋 滉(たかはし あきら)
- 社名
- 株式会社中華・高橋
- 役職
- 代表取締役社長