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著名デザイナーとタッグ~世界が認める家具メーカー

都心から車で約2時間の埼玉県飯能市。秩父との間にある人気の「休暇村 奥武蔵」には、週末ともなれば大勢のリピーターが押し寄せる。

客を引き寄せるのが、新館・にしかわ館にある木をふんだんに使った部屋(1泊2食/2名、1万5400円~)。和室で楽に座ることのできる座椅子は、足がソリ状になっていて体重を分散させるから、畳を傷めにくいと言う。ロビーなどに置いてある家具も大好評だ。これらの家具を手がけたのが天童木工だ。

天童木工の商品は東京でも買うことができる。新宿のビルに入った、長く使えるデザインをテーマに家具を集めた店「暮らしのかたち」。そこで天童木工の椅子が評判になっていた。中でも売れているのが、なめらかな曲線が美しい「バタフライスツール」(5万1700円)。発売から50年以上たつのに、今も売れ続けている名品だ。

一番売れている天童木工の商品はソファ「マルガリータ」(35万4200円)。スウェーデンを代表するデザイナーが日本を意識して作った逸品で、和室にも合う低めの設計。そこには「コネクターで連結していて、取り外しができます。1脚ずつバラバラにお使いいただくこともできます」(「暮らしのかたち」瀬戸貴子さん)という工夫も。間にテーブルを置くことも可能で、生活スタイルに合わせて買い揃えていける。

天童木工のふるさとは山形・天童市。天童といえば将棋の駒。95%のシェアを誇る。旬を迎えたラ・フランスも生産量日本一だ。

そんな中、バスツアーの立ち寄りスポットになるほど人気を博しているのが、天童木工の本社ショールームだ。館内は工芸品を集めた美術館のよう。代表的な商品350点が展示され、気に入った物は買うこともできる。

天童木工の最大の特徴は、他にはないデザイン性の高さ。実は多くの商品を、世界的に有名な建築家や工業デザイナーとタッグを組んで作っているのだ。

木目が蝶のように左右対称になっている「バタフライスツール」。この革新的な椅子をデザインしたのは日本の工業デザイナーのパイオニア、柳宗理だ。パリのルーブル美術館、ニューヨークの近代美術館などにも収集された傑作だ。

背もたれと肘掛けが一体になっていて、体が包み込まれるような座り心地の椅子「イージーチェア」をデザインしたのは、東京都庁などを設計した建築界の巨人、丹下健三。

また、一枚の板を折り曲げた真っ赤な椅子「オリヅル」を手掛けたのは、日本人で唯一、スポーツカーのフェラーリをデザインした奥山清行だ。

「こんなデザインの家具は天童木工でなければ作れない」とデザイナーの間でうわさが広まり、タッグを組んだ相手は70人に上るという。

最近では、新国立競技場の設計も手掛ける売れっ子、隈研吾から依頼が。山手線49年ぶりの新駅となる高輪ゲートウェイ駅の構内に設置するベンチを、天童木工が作ることになった。木材を曲げて作りたいと考えた隈は、迷わず天童木工を指名したのだ。

「こちらが無理を言っても、その無理に応えてくれる。天童木工さんしかチョイスはないかなと思いました」(隈)

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板を自由自在に曲げる~不可能を可能にする職人技

世界的な建築家もほれ込む「曲げの技術」。本社工場の中では、およそ200人の職人たちが手作業で家具作りに当たる。

「曲げ」の現場では、板を自由自在に曲げることができる。例えば、「コの字」をした脚の部分に曲げの技術が使われている椅子。材料は厚さ1ミリに薄くスライスしたブナ材。これにオリジナルの接着剤をむらなく塗り、重ね合わせていく。この椅子の場合は18枚。これに金属板を潜り込ませ、プレス機にセット。曲げていく際、板が割れないように微調整するのが職人技だ。

曲がりきったところで銅線から電気を流し込む。電子レンジに似た仕組みで、内部から均等に加熱し、短時間で接着剤を固める。電気を通して15分で曲げの作業が完了。薄かった板が一つになり、しっかり曲がった。これが天童木工の誇る「成形合板」という技術だ。しかも成形合板で作った板は強度も増す。同じブナの無垢の木材と比べてみると、成形合板の方が1.7倍の強度があった。

天童木工はさらに成形合板の技術を進化させた。「コマ」と呼ばれる木材の塊を曲げる板と板の間に入れることで、複数の曲線を一つながりにする、多彩なデザインを可能にした。成形合板を取り入れたのは日本では天童木工が初めて。そして世界でも屈指のレベルまで、上りつめたのだ。

天童木工の5代目社長・加藤昌宏(76)は、自ら広い工場を回り、職人たちに声を掛けるのが日課だと言う。

送られてきた家具を修理中の職人に、「だいぶ年数がたっているね。ありがたいね、ここまで使ってもらって」と話しかける。50年近く前に作られた椅子。天童木工の家具は一生ものと愛着を持ってくれるファンが多いため、こんな光景もしばしばだ。

長く愛される家具を作る一方で、新たな領域にも挑戦している。高級車「レクサス」の木目調ハンドル、新潟を走るリゾート列車「雪月花」の展望デッキ、リオデジャネイロ五輪で使われた卓球台の脚……。

厳しい家具市場にあって、天童木工は新たな取り組みをどんどん導入し、36億円を売り上げている。その影には、頑なに守り続けているポリシーがある。

「『できません』と言いたくないですね。昔からの会社の精神というか。職人さん一人一人の力、腕、道具の使い方。これを尊重していくことが重要です」(加藤)

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創業から79年、職人技で極めた家具作り

この日、営業部の鈴木雄登が訪ねたのは堀越英嗣の設計事務所。かつては丹下健三の元にいた第一線で活躍する建築家だ。今回は椅子をデザインし、天童木工に依頼した。大きな肘掛けが特徴的な椅子だ。

「人と椅子が一体化した美しさを見せるには、余計な部品は見せたくないです」(堀越)

大きな肘掛けだが、シンプルにしたいから、支えのような物は付けたくないと言う。しかし、そうなると強度が問題になる。

それから10日後、設計事務所に試作品が運ばれてきた。仕上がりを見た堀越は「なかなか格好いいですよね」。大きな肘掛けの下には、要望通り支えがなくスッキリと。職人と相談し、木材の内部にボルトを埋め込み、補強していた。

「難しい建築家、デザイナーの意見を諦めずに実現することは、なかなかできないと思いますよ」(堀越)

デザイン家具を手がける天童木工だが、それよりも売り上げを占める分野がある。

この日、作っていたのは岐阜・大垣市から発注を受けた市議会の机。これまで天童木工は全国800カ所もの議場に机や椅子を収めてきた。この数は日本一。こうした自治体や法人相手の仕事は、今や売り上げ全体の9割を占めるまでになった。

創業は1940年。地元の大工や建具職人、指物職人などが集まった天童木工家具建具工業組合が最初だった。当時は戦時中で、作っていた物と言えば弾薬箱などの軍需品。さらに「おとりの飛行機」なども作っていた。

「飛ばない。格好だけ。飛行場に並べておくと、アメリカ軍が機銃掃射しても民間に被害が及ばないんじゃないかと」(加藤)

戦争が終わると、ちゃぶ台などの家具製造を開始する。転機は国が仙台に作った工芸指導所。ここで成形合板の技術と出会ったのだ。

現社長の父親で、当時は工場長だった加藤徳吉がその技術を教わり、1947年、日本で初めて家具製造に導入。これが建築家や工業デザイナーの間で話題になっていく。

この技術に目をつけた一人が建築家の丹下健三だ。1953年、愛媛県民会館の1400席の椅子製造でタッグを組むと、東京オリンピックの時には、丹下の指名で代々木体育館の客席を受注。公共事業が主力事業となり、一時は年商180億円近くをたたきだした。

倒産寸前、2度のリストラ…危機を救った熱い思い

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しかし、バブル崩壊で様子は一変する。公共事業は削減され、売り上げは半分以下に。天童木工は倒産寸前にまで追いつめられる。

会社を存続させていくためにはリストラしかなくなった。対象は45歳以上のベテラン社員。59人を解雇した。

その時、肩を叩いた憎まれ役が、当時、総務部長の加藤だった。加藤は若い頃から世話になった先輩の製造部長にも自主退社を勧告。すると先輩はこんな言葉を返したと言う。 「分かった。俺が辞めて会社が生き残れるなら仕方がないな。その代わり天童のものづくりだけは続けてくれよ」

「今まできちっと会社に尽くした先輩に辞めていただくのは断腸の思いですよ」(加藤)

リストラから2年後の2001年、加藤は社長に就任したが、苦難は続く。この年に誕生した小泉内閣は財政再建の旗印のもと歳出カットを断行。公共事業が大幅に減ったのだ。売り上げはピーク時の3分の1となり、加藤は2度目のリストラを余儀なくされる。今度は100人以上の人間が会社を去った。

「お互い、涙、涙ですよ。二度とああいう思いはしたくない」(加藤)

ものづくりを続けなければ、積み上げてきた技術も消える。なんとしても天童の技術を守りたい。そんな時、社内で木材博士の異名を持つ西塚直臣(製造本部長)の提案が突破口を開く。それは、家具業界では見向きもされなかった杉の活用だった。

「日本で今、有り余っているのが杉、ヒノキだったので、何とか使えないかと」(西塚)

杉は日本中にあり、一般的な家具材のブナやナラに比べておよそ10分の1と格段に安く手に入る。ただし杉は爪を立てた後が残るほど柔らかく、家具には不向きな素材。周りからは批判の声が上がったという。

「設計事務所の先生方も「針葉樹は家具に使えない」「杉は鉛筆を使ったら跡が残る」「テーブルを作っても商品にならないと言われました、最初は」(加藤)

しかし、西塚らは3年に及ぶ試行錯誤の末、この難問を乗り越える。開発したのはローラー圧密機だ。20トン以上の圧力と熱を加えながら水分を飛ばして圧縮。すると杉材の厚さは元の半分になり、ナラやブナと同じくらいの強度が生まれた。

これを成形合板し、まったく新しい杉材の家具を商品化。すると杉問題に悩む全国の自治体から声が。新たな公共事業の仕事が生まれた。

「地元で取れた針葉樹で家具を作ったらすごく評判がいい。だんだん広がってきて、今はいろいろな場面で使われています」(加藤)

杉の活用は、斜陽産業と言われて久しい林業の人達の希望にもなっている。

「売り先が拡大して林業関係者にも還元されるので、よかったなと思っています」(山形県・西村山地方森林組合・荒木俊男組合長)

リストラの際の約束は守られ、ものづくりは続いている。

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人気スポットにも使われる~常識破りの最新家具

天童木工の開発した杉の家具がさらなる進化を遂げている。

今年オープンした東京・中目黒の新名所、豆から焙煎までこだわり抜いた「スターバックス リザーブ ロースタリー 東京」。店舗の中で大人気となっているオープンテラスが、杉の家具の活躍の舞台だ。椅子やテーブルは全て天童木工が製造した。

「雨が降っても家具に染み込まない加工を施していただいています」(スターバックス コーヒー ジャパン・須田航児さん)

木材に特殊な加工を施し、長い間、屋外で使っても劣化しない家具を生み出したのだ。 その開発現場の製造部技術科。ここでは家具そのものだけでなく、木材加工の技術まで研究している。杉の圧縮法を考えた西塚を中心に、これまでなかった塗料や薬剤の開発に当たっているのだ。

「やはり一番木を使いたくない理由は『燃える・腐る・弱い』と言われているので、その概念を反転させてあげたい」(西塚)

「スターバックス」のテラスにあった家具には、太陽光や雨風を受けても劣化しない特殊な塗料が使われた。さらにここでは、木材を燃えにくくする加工も開発中だ。

 10月19日、天童木工の本社は多くの人でにぎわっていた。毎年行っている地域住民との交流イベント「天童木工ファクトリー・フェスタ」。木工の手ほどきを中心に、楽しいプログラムがめじろ押しとなっている。

そんな中で人だかりを生んでいたのが木製自転車。杉材を成形合板することで、木を曲げて1台作ってしまった。雨風に強い加工も施された、天童の技術の結晶だ。

「木工技術は限りなくあるので、これからも追求していきたいと思っています」(加藤)

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~村上龍の編集後記~

木は本来、思いのままに曲げることなどできない。無理に曲げようとすると折れる。だが、人類は木を美しく曲げたかったのだ。

木のぬくもりとデリケートなカーブの両方を手に入れようと成形合板は開発され、天童木工は、デザインと技術を妥協なくせめぎ合わせ、新しい伝統を確立した。

工芸指導所出身のデザイナーと技術者がオールスターチームのように天童に結集し、歴史的な作品を生んだ。

作品は、優しさと強い精神力を同時に感じさせる。将来どこか他で、これほどの完成度の椅子を新たに見ることができるのか、わからない。

<出演者略歴>
加藤昌宏(かとう・まさひろ)1943年、山形県生まれ。1966年、日本大学法学部卒業後、天童木工に入社。2001年、社長就任。

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