独占インタビュー | ネタ・カルマンソン (I.J. Business Do社 共同経営者、イスラエルー日本 商工会議所 取締役、ハイファ大学 非常勤教授)
日本とイスラエルの間のビジネスが拡大するこの状況の中、二つの異なる文化と習慣を橋渡しするネタ・カルマンソンさんの専門家としての役割が、ますます重要性を増してきています。起業家の能力を見抜くその能力によって、カルマンソンさんは、革新的なイスラエル発の技術を探し求めている様々な日本企業のスカウトとして、優れた役割を果たしているのです。
軍役をこなした後、カルマンソンさんは9ヶ月間に渡ってアジアを旅しました。そこで日本という国との出会いがあったのですが、まさかそれがカルマンソンさんの運命を変える出来事だとは、その時は思ってもいませんでした。
カルマンソンさんのこの旅での日本への滞在予定は、当初1ヶ月の予定でした。しかし、カルマンソンさんはその予定をほぼ半年間に延長し、最終的には経済学と日本語学科の二つの学位を取る決心にまで及んだのです。それは、このとても特別な日本という国とそのビジネスカルチャーを学び、イスラエルと日本との架け橋になりたい、というカルマンソンさんの強い思いからでした。
カルマンソンさんは優秀な成績で大学を卒業、待ち望んでいた日本の文部省からの奨学金も得ることができました。そしてカルマンソンさんは大阪大学に入学します。この経験は、日本のビジネスと文化へのまさに出発点となり、その後、ロフトやトイザらス、東急ハンズといった日本の企業にユニークなイスラエルの製品を紹介する起業家としての道を歩み始めた時には、この日本での経験によって、他よりも一歩抜きんでたスタートを切ることが出来たのです。その時期は、日本の一般家庭の高い貯蓄率に関する経済学修士論文を執筆していた時期と重なります。
カルマンソンさんは、日本の代表的テキスタイル&女性用ストッキングの会社である「グンゼ」の社長(因みにその方は、ほとんど英語の喋れない方でした)のもとで、日本語と共にマクロ経済学を学びました。
「そんな高い地位にある方が、私のために時間を割いて下さった事には、本当に感動しています。その経験を通じて、私は日本の様々な文化を学びました。その恩に報いるためにも、グンゼの代表使節団が、後に彼らの分野に密接に関連するイスラエルの技術を学びにイスラエルを訪問した時には、率先して彼らの案内を務めました。」
そして今日、カルマンソンさんは共同経営者のデロール・ロテル氏と共に、I.J. Business Do社という会社を運営しています。そこでは、イスラエルの企業を、可能性のある日本の企業に繋げていく仕事を行っています。このインタビューでは、カルマンソンさんの起業家としてのビジネスや日本文化に懸ける想い、そしてカルマンソンさん自身の将来の展望について語って頂きました。
言語を超えたビジネス:信頼、そして文化的な教養とは
I.J. Business Do社は、日本の顧客へイスラエルの革新的技術を紹介する会社であると共に、イスラエルの顧客に対しては、日本への窓口となる役割を担っています。
「日本の方々が、最先端の技術に寄せる思いには本当に驚かされますね。私たちは、ドローンやサイバー技術、そして農業技術や金融工学に至るまで、ありとあらゆる分野の会社をカバーしています。」
彼らの顧客の一つに、デザインと照明に特化した会社があります。その会社をホテルオークラやニューオータニ、日本橋にあるマンダリンホテルのバー、六本木のANAホテルといった、東京にある大きなホテルとの契約に漕ぎ着かせたのもカルマンソンさんらの業績で、その会社からはとても大きな感謝をされています。
カルマンソンさんたちの会社は、ある特定の分野に特化している訳ではありません。その代わり、いかに日本市場にイスラエル企業を順応させていくか、という分野に関しては、非常に優れた能力を発揮します。たとえば、普通日本企業がまだ研究段階の技術しかないイスラエルのスタートアップにその技術を求める時、日本の企業は、常に完璧なマニュアル付きの試作品を求めてきたりします。
ですが、そんな若い起業家たちは、自身の革新的なアイデアと驚くべき技術を持ってはいたとしても、まだ彼らの中でも研究開発途中の製品に、そんな完璧なマニュアルなど望むべくもありません。
「しかし、私たちの強みは、そんな言葉の壁を越えていくところにあるのです。私たちは双方の文化を理解しています。そして私たちはその理解をベースに、お互い変に無駄な摩擦などを起こす事なく、双方に何が求められているのかを、双方の顧客にしっかり認識させていくのです。私たちの役割は、こういった両極にある顧客の間に、互いへの確固たる信頼を形作っていく事にあるのです。」
地球の両極に位置するようなこの2つの民族の間に、互いへの尊敬と信頼を形作っていく、そんな能力がカルマンソンさんのベースにあってこそ、今の成功があると信じています。
「イスラエルの起業家たちには、あなたたちが日本にもたらすものは、その革新的でブレークスルーな技術だけではないのよ、といつも言っているのです。その前に、あなたたちの技術、そしてあなたたちの企業が、いかに日本という国に必要な事なのかを、日本の顧客の方々にに分かってもらうところから始めなくてはならないの、ってね。」
カルマンソンさんが常に引き合いに出すのは、イスラエルの文化が個人主義的思考と直裁的なアプローチを好むのに対して、日本は集団の和を重んじ、常に控えめな態度を取る文化である、という両国の文化の違いです。ある意味即興的で、常に突拍子もないアイデアから出発するイスラエル人に対し、日本の文化は常に熟考し、正確さを重んじ、長期的視点に立って考えようとします。しかし、こんな異なる文化の違いも、カルマンソンさんが両方の文化を熟知している事で、お互いへの架け橋を作ることができるのです。
「本当にイスラエル文化と日本文化は対極にありますよね。でもそんな違いを乗り越えて、素晴らしい関係が両国の間に築かれていく過程を、私たちが作ってきたんだという自信はあります。」
常に最前線に
しかしそんなカルマンソンさんも、常に順風満帆であったわけではありません。プロのビジネスマンとして、また1人の女性として、相応の困難を乗り切ってきているのです。
カルマンソンさんの社会人としてのキャリアは、イスラエルのとある多国籍企業で、日本担当を勤めたところから始まります。
「それは、イスラエルに事務所を構える日本のベンチャーキャピタルの最初の仕事でした。私は、彼らのために日本の支社として株式会社を設立、日本人の支配人を雇ったのです。でもその支配人にとって、私のような青二才の若い娘が彼の上のポジションに就いていることは、相当耐えられない事だったようです。しかし、私が、日本という国とその文化への尊敬の念を持っていることをしっかり理解してもらえれば、あなたがプロとしての役割をしっかりこなす限り、お互いへの信頼がちゃんと生まれ、どんな事も出来るんだという事を、その仕事を通じて証明することが出来たのです。」
「私は、常に最前線に身を置いてきました。プロであるために、常に鋭く真剣であるために、自身への信頼をしっかりと正当化できる1人の女性であるために、そして何よりも、自分の背中に負った責任を果たすために。たとえ3人の子供たちを育てている母親であったとしても、成功したビジネスウーマンになれるのだという事を、日本のクライアントの方々に証明する必要があったのです。」
興奮するひととき – 日本のビジネスマンの前でプレゼンテーションを行う時
そんなカルマンソンさんのハードワークは報われます。それはそんなに昔の話ではありません。2018年、カルマンソンさんは、イスラエルのエリ・コーヘン経済大臣の日本への外交使節団の一員として迎えられたのです。
「それは本当にエキサイティングなひと時でした。私は、イスラエルー日本 商工会議所のボードメンバーとして、日本で活動するイスラエル企業を代表する形で、エリ・コーヘン経済大臣と共に外交使節団として日本を訪れました。そして、その式典の席上で、日本を代表する商業施設チェーンとの、イスラエルの技術を使ったイスラエル製の自動販売機でのキャッシュレス決済システム導入契約が決定した事を発表したのです。」
「今でもその興奮は忘れられません。日本からは、当時の経済産業大臣、世耕弘成氏、イスラエルからはエリ・コーヘン経済大臣を迎え、何百人もの日本のビジネスマンの方々の前で、イスラエルの技術を使った、日本でのプロジェクトを発表したのです。」
こういったイスラエルの優れた技術を紹介していく仕事を、イスラエルに事務所を持つ、より多くの日本企業に対して、将来に渡って行っていきたいとカルマンソンさんは考えています。
「日本の諺にある通り、何事も『桃栗3年、柿8年』ですね。それぞれにはそれぞれのペースがあり、時には忍耐が必要な時もある、という事だと思います。柿が実るためには、ゆっくりとした時間が必要なんです。日本の文化から学んだ大切な教訓の一つは、急ぐなかれ、そして立ち止まって、好機を待て、という教えです。」
I.J.Business Do Ltd.
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