食品産業新聞社
(画像=食品産業新聞社)

日本で先物市場を開設する場合、監督官庁の認可が必要になる。商品先物取引法(当時は商品先物取引所法)にそう明記してある。米を含む農産物市場の場合、監督官庁は農林水産省。認可は「試験上場」と「本上場」の2種あって、まず試験上場してから本上場へと向かうのが一般的だ。

2005年(平成17年)12月、東京穀物商品取引所(現・(株)東京商品取引所)と関西商品取引所(現・大阪堂島商品取引所)が試験上場を申請。その事実が12月28日付の官報に掲載されたところから、いわゆる縦覧期間のカウントダウンが始まった。法の規定に則れば、翌年3月29日〜4月28日の間に認可される――はずだった。

ところが翌2006年(平成18年)3月28日、中川昭一農相(当時)が閣議後定例会見という公の場で「不認可とする方向にある」と発言したのだ。1日前だからフライングにあたるが、当時の農水省は「商品先物取引所法に基づけば、(3月28日以前は)『認可』を明らかにしてはいけないのであって、『不認可』の意思を表明してはならないわけではない」と、ほとんど禅問答のような説明を行った。

時期はともかく、これまで上場申請が「不認可」に至ったケースが皆無だったため、関係者を驚かせた。それから5年後の2011年(平成23年)3月8日、再び2取引所が試験上場を申請。7月1日付で農水省が「認可」した。8月8日になって、(株)東京穀物商品取引所「関東コシヒカリ」と、関西商品取引所「北陸コシヒカリ」の取引が始まった。戦前に廃止されて以来、実に72年ぶりの復活だった。

商品先物取引の試験上場期間は、3年が通例だ。ところがコメ先物は2年を申請し、認可されてしまった。そのため最初のハードルが2013年(平成25年)にめぐってきた。この間、2013年2月12日、(株)東京穀物商品取引所がコメ先物を関西商品取引所に移管、その他農産物先物を(株)東京工業品取引所に移管して解散、(株)東京工業品取引所は現在の(株)東京商品取引所に名称変更し、関西商品取引所も現在の大阪堂島商品取引所に名称変更した。これによりコメ先物は、開祖・堂島の名を復活させた取引所に一本化された。

その堂島商取、所内に外部有識者からなる「コメ試験上場検証特別委員会」を設置。6月28日に提出された報告書に基づき、7月8日になって試験上場の延長を申請。試験上場期限切れ当日の8月7日、農水省は延長申請を認可した。その際、「(食料産業)局長通知」を出して「際限なく試験上場の延長が繰り返されるのではないかとの懸念が示されている」と釘を刺した。

2015年(平成27年)。堂島商取は「コメ試験上場検証特別委員会」を再開、7月1日に提出された報告書に基づき、7月21日になって再延長を申請。8月6日になって農水省は申請を認可したが、再び「(食料産業)局長通知」も出した。「試験上場は、市場の成長性を見定める制度であり、際限なく延長を認めることは、制度の趣旨に合致しないものである。これまで農産物先物市場の試験上場で3回以上延長された事例がないことについて、十分に留意すること」。これで退路を断たれた――はずだった。

2017年(平成29年)3月28日、「コメ試験上場検証特別委員会」を再開、7月3日になって提出された報告書は、明確に本上場を申請すべきと謳ったものだった。これを受け堂島商取は7月7日、本上場を申請した。ところが自民党が7月27日になって、コメ先物「本上場」申請を「認めがたい」と退け、「試験上場の(再々)延長であれば」認めるとする「申入書」を決議。8月4日になって「試験上場の再々延長」を申請しなおした。農水省は8月7日の試験上場期限ギリギリになって申請を認可している。

直前回2019年(令和元年)は、これまでと様相が異なった。堂島商取が提出した本上場申請を、7月22日になって農水省が「不認可」としたのである。仕方なく堂島商取は「試験上場の再々々延長」を申請しなおし、またもや農水省は8月7日の試験上場期限ギリギリになって申請を認可した。ただし当時の農水省は、今回が最後通牒である旨を認めている。今年が、今度こそ「本上場」か「上場廃止」かの二者択一の年にあたる。

〈米麦日報2021年3月31日付〉