矢野経済研究所
(画像=Mojaher/stock.adobe.com)

2025年9月
コンシューマー・マーケティングユニット
主席研究員 清水 由起

男女の相互理解が深まるきっかけとして

女性特有の健康課題をテクノロジーで解決する「フェムテック」が社会に浸透しつつあるが、日本で話題になり始め、フェムテック元年と呼ばれた2020年当初に想定していたほどの成長ペースには及ばず、市場の拡がり方が緩やかであると感じる。
フェムテックは“女性特有”にフォーカスしており、「女性による女性のための」という盛り上がり方が起点になっていることもあり、市場参入を検討する企業では女性だけのチームを結成して企画開発を始めるケースが多い。しかし、稟議を通す相手は男性であることがほとんどで、男性は女性の健康課題を体感することはできないため、市場の需要を具体的にイメージすることが難しく、ビジネスとしての可能性を判断しづらい。チームの勢いはあるものの、フェムテック事業の企画は男性からは感情的に見られがちであることもよく聞く話であり、そこに、商品化に至ることができない難しさがあるようだ。これまで我慢してきた痛みや不調の解決につながるフェムテックアイテム・サービスは、女性からしてみればQOLの向上に直結するためどんどん拡がって欲しいのだが、「女性が女性自身のために頑張る」では限界があり、やはり、男性を巻き込んで男性の理解も促進させなくてはならない。
一方、フェムテックが浸透してきた影響で、フェムテックの後を追うように男性特有の健康課題にも焦点を当てる企業が出てきた。フェムテックの男性版として「メンテック」と呼ばれるカテゴリーがあり、特に更年期や妊活領域で活発化している。男性特有の健康課題があることを男性自身が理解することは男女の相互理解に繋がり、企業単位、ひいては社会全体でフェムテック事業を推進しやすくなる土壌につながるため、男女の相互理解が深まるきっかけになると期待する。

商機としてのジェンダード・イノベーション

男性特有の健康課題に焦点が当てられるようになったことは、「ジェンダード・イノベーション」の概念の理解や市場創出にも繋がっていく。生物学的にも社会的・心理的・文化的にも異なる男女の「性差」に着目して研究開発をするアプローチが「ジェンダード・イノベーション」であるが、フェムテックを幅広くとらえるための上位概念であり、女性だけでなく、男性や幅広い年代の人々の多様なお困りごとにアプローチすることができる。国の政策においても、法に基づいて中長期的な政策方針を定める基本計画の中で「ジェンダード・イノベーション」の推進が謳われており、社会全体の利益に寄与し、より公平で包括的なイノベーションを推進する力となることが期待されている。「更年期」「妊活」という事象を性差分析することで、女性側の課題と男性側の課題を分けて捉えることができるようになり、そこには女性向けソリューションと男性向けソリューション、それぞれの商機が見えてくる。産業界での「ジェンダード・イノベーション」のあり方を理解するのにとてもわかりやすい先行事例だといえる。また、女性だけのものではない、という捉え方ができるという意味では、フェムテックよりも「ジェンダード・イノベーション」のワードの方が、企業内でも理解してもらいやすいのではないだろうか。

行き着く先は「パーソナライズ」

市場が飽和している今、「ジェンダード・イノベーション」という性差分析を取り入れることは、企業にとってビジネスの新しい打開策になると考える。とはいえ、生物学的性差がわかりやすいヘルスケア領域であっても、かなり意識しなければ、性別特有の課題発見は難しい。企業も消費者も、当初は不便・不快・不満と感じていても「こんなものだ」と受容して折り合いをつけてしまっているケースは少なくなく、課題として容易には気づけない。しかし、だからこそ「ジェンダード・イノベーション」は可能性を秘めているのである。EUの枠組みプログラムであるHorizon Europeや、カナダCIHR、米国NIH、ドイツDFG、英国UKRI-MRCといった主要国の資金配分機関や、Nature やLancet などトップジャーナルでは研究者に対して性の考慮を義務付けつつある。これに倣って、自社で行っているビジネスすべてを、性差視点で改めて見つめてみてはいかがだろうか。我々も、あえて性差に分けて様々な市場を分析してみることも、ジェンダード・イノベーション市場を創出していくためには必要かもしれない。
そしてもちろん、行き着く先はパーソナライズであると考える。ジェンダーは多様であり、男性と女性の2区分で括ることだけでは十分とは言えない。また、同じ性別でも、年齢、人種、体格、そして宗教や文化的背景などによって差が生じることも事実であり、研究開発において考慮することが必要になる。だが、現時点ではまだ、ユーザーベネフィットとビジネス、どちらの視点から見ても、単純に生物学的性差に着目することから始めるだけで十分であると考える。性差医療がわかりやすい事例であり、個々に合わせた診療の前段階として女性と男性を単純に2区分して患者を診るようになっただけでも、正しい診断と的確な治療に繋げられるようになったように、産業界においてもまずはそこを目指したい。女性・男性それぞれに生物学的性差に適したアイテム・サービスによって、わたしたちの暮らしがより快適で、便利で、心地よくなるように、パーソナライズに行き着くまでの過程として「ジェンダード・イノベーション」に是非取り組んで欲しい。