俳優・タレント・コメンテーターとしてマルチに活躍するサヘル・ローズさん。華やかな経歴からは想像できないほど幼少期は壮絶な過去を経験されており、戦争孤児だったところから8歳で来日しました。初監督に挑戦した映画『花束』は、7年の構想と試行錯誤を経て、2024年9月に満を辞して公開されえました。本コラムでは、初めて監督を務めるに至った経緯や、映画『花束』に込めた思いを語っていただきます。 |
当事者で終わるのではなく、表現者になりたい
私はイラン出身で、日本に来て30年になります。イランとイラクの紛争で戦争孤児となってしまい、孤児院で生活していました。運よく今の育ての母と出逢い、7歳のときに養子に迎えてもらって、8歳のときに日本に来たのです。
夢のような生活が始まるかと思いましたが、それまで家族がいなかったこと、70人の子供の中で生活していたところから急に母親ができたためか拒絶反応が出てしまい、小さな悪戯を繰り返すようになってしまいました。母も血のつながらない子供を抱えたストレスから虐待するようになった。それでも母と2人で日本で今日まで生活してきました。
生きていくために小学6年生からいろいろなお手伝いをして、高校生のときに初めてエキストラの仕事を見つけました。そのうち表現することが自分の心のケアになっていたこと、自分の生い立ちを伝える手段になることに気づいたのです。
役者として生きることが、過去を否定せずに生きることだと思いました。日本の人でも過去を肯定はできないけど、生きていくうえで否定もできない。そうした生い立ちを強みに変えるために役者をやると決めたのです。
映画『花束』を撮ろうと思ったのも、当事者で終わるのではなく、表現者として何かできるのではないかと思ったからです。それに気づかせてくれたのは自分の過去の経験と、映画のプロデュースを務めてくださった佐東亜耶(さとうあや)さんのおかげです。
過去ではなく、”その先”を知ってほしい
映画『花束』で伝えたかったのは、いろいろな経験をした私たちの”その先”を知って欲しい、ということです。「戦争孤児のサヘル・ローズ」と認識されることに長い間苦しみました。でも私には名前があるし、過去も私たちが辿って来た道です。その理由ではなくて先を、いろいろな経験をしていく先の私たちを知ってほしい。感じ取ってもらえるのは嬉しいですが、可哀想と思われたくないのです。
純粋に起きた出来事を描いたドキュメンタリーはたくさんありますし、私自身もいろいろ見てきました。ですが、実際にそこで生活していた当事者に向けたメッセージがないと思ったのです。映画は賞味期限がなく、『花束』で描かれている問題が100年後も解決することはないでしょう。社会的擁護を必要とする人全員には届かないかもしれませんが、出演している8人が頑張る映画を見たら自分と置き換えること、感じることができるといいなと思います。
世の中には施設に行くという選択肢を知らなかったという人もいるでしょう。映画の8人のキャストを見た時に、人の数だけ人生があることを知って欲しいです。弱者ではない、可哀想ではないと知って欲しい。決して全員が幸せになったわけではありませんが、映画の8人の人生を通して、生い立ちを否定するのではなくこの経験が自分に必要だったと、そう思ってくれると良いと思います。
監督の私は何もしていないです。8人のキャスト全員がただの演技ではなく、ノンフィクションでナチュラルに演じてくれたのです。映画『花束』を見て、些細なことでも良いから何かが動けばいい、と思っています。
映画『花束』を、ドライフラワーとして持って行ってほしい
生きていると、レッテルを貼られたりタグ付けされたりしてしまうことは少なからずあります。敢えて顔を出して自分の人生を話すのは、実際に私たちと会ったときに特別視しないでほしいからです。悪魔でもフラットな状態で、お互いに対話がしたいのです。距離感があると話しづらいですし、距離感があると心でわかるので、まず知ってもらいたいです。
5年後、10年後に映画『花束』を見た時に、「当時の彼らはこう感じていたんだ」と思ってもらえるのが良いですね。書物に書かれていることが100%ではないのと同じように、この映画がすべてではありません。一概にすべての人々、時代を反映しているかというとそうではないのです。
里親さんや施設の人、いろいろな人が観ればいろいろな思いがあるでしょう。映画の内容はあくまでもひとつのカケラであって、出演しているキャストにも今があるし、他にもさまざまな仕事をしています。記録の中の彼らが、成長している今の姿を見て欲しいと思います。出演した8人のキャスト達も、彼らなりにこれからいろいろな道が待っているでしょう。
是非この映画『花束』を、ドライフラワーとして持って行って欲しいと願っています。