9月9日、東京電力は、増設多核種除去設備(増設ALPS)の排気フィルタ25箇所のうち24箇所で損傷が確認されたこと、作業員に身体的汚染がなかったこと、周辺環境への影響は確認されていないこと、引き続き原因調査を行うことを発表した。
これに対して原子力規制委員会は、同様の損傷が2年前にもあったこと、それが公表されなかったこと、原因分析や対策が取られないまま運転が継続されていたことを問題視し、東京電力の安全に対する姿勢をあらためて批判したうえで、再発防止を指示した。
東京電力は、2002年に発覚した点検記録の不正問題を受けて、情報公開、透明性の確保、企業倫理の遵守、社内監査の強化を公約した。東日本大震災も経験した。それでも社風は変わらない。今年3月には柏崎刈羽原子力発電所でテロ対策の不備が発覚、原子力事業者としての適格性が再び問われた。この時、筆者は本稿で「原子力産業に根付いた安全神話という“聖域”の除去こそが最優先課題である」(2021年3月19日)と書いた。東京電力もまた「高い緊張感をもって安全に対する文化を再構築」したはずだった。
5月、会計検査院は、環境省が実施してきた除染モニタリング事業について、「福島県内56万地点のうち1万3千地点で除染効果を確認できなかった」と発表、同省に測定方法の改善を要請した。本来、測定は除染作業終了後、半年から1年内に実施されるべきとされていたが、測定間隔は90日未満から700日以上までと大幅な差異が生じており、1年以上の地点も全体の22%に及んでいた。
また、汚染土壌の保管台帳にも事実と異なる記載が見つかっている。汚染土壌の埋設地に住宅が建設されるなど、不適切な管理実態も浮き彫りになった。
福島第一原子力発電所の処理水や汚染土壌の問題はもっともデリケートな事案であるはずだ。風評被害の問題も、その根底にあるのは情報の正確性と透明性に対する不信だ。にもかかわらず事業者も行政もどうしてここまで、そして、いつまでも杜撰かつ不誠実であり続けるのだろうか。かつて“聖域”であったがゆえの驕りなのか、あるいは、安全神話の残像への妄信なのか。いずれにしても発表される情報の正確性はもちろん、“すべての情報が公開されている”ことに対する信任を社会が取り戻さない限り、フクイチはいつまでたっても“科学”の議論になってこない。
今週の“ひらめき”視点 9.12 – 9.16
代表取締役社長 水越 孝