「ビジョン」と「分析」の両輪を回してこそ、事業は現実で形になる
(画像=GLOBIS知見録)

作品的な街パリと機能的な都市トウキョーの違い
今日私たちが見るフランス・パリの街の姿は、19世紀にジョルジュ・オスマン(当時のセーヌ県知事)によって行われた都市改造計画の成果によるものといわれています。1つの強力なビジョンのもとにつくられた作品と言っていいでしょう。

ひるがえって、日本のトウキョーはどうでしょう。確かに、いろいろなものが便利で機能的で清潔で、「さすが几帳面な国ニッポンの首都」と、国内外からの評判は悪くないようです。しかし、街全体として「特別の個性がないね」「面白みに欠けるね」のような評価も出てきます。

このことは日本の工業製品にも重なるところがあります。家電製品や電子機器の小型化・高性能化において、いつしか日本は世界のトップランナーになっていました。それは欧米の先行製品を徹底的に分解・分析し、改良・改善を重ね、先行者に追いつく形のやり方でした。しかし、「製品性能で勝っても、事業に負ける」という現象が起こったのも事実です。

行政の街づくりにせよ、企業の製品・サービスづくりにせよ、事業の取り組みには「分析」と「ビジョン」が必要です。分析なきビジョンは自己満足の絵空事になりますし、ビジョンなき分析はタコ壺の中の理屈遊びになります。この2つが相まってこそ、事業は現実の中で形を表わします。

ビジョンが描けない分析屋・技術屋ではなく、分析・技術がわかるビジョナリーへ
ただそのとき、分析が主導か、ビジョンが主導かによって結果的にできあがってくるものが大きく違ってきます。

「分析主導」型は、現実の課題解決に目を向けます。そして調査や分析、論理、技術応用によって改良・改善を目指していくものです。まず分析ありき。末端の問題処理ありき。そしてそこから現実的なビジョン・アイデアを起こす。その結果、細部に工夫を凝らし機能的ではあるものの、全体としてこぢんまりとしたものができあがります。

他方、「ビジョン主導」型は空想から始まり、世の中にないものをつくり出そうという意志が駆動源になります。そのおおいなるアイデアのもとに分析や技術がくる。

「分析のもとのビジョン」か「ビジョンのもとの分析」か
(画像=「分析のもとのビジョン」か「ビジョンのもとの分析」か)

分析主導型とビジョン主導型はどちらも有効なプロセスです。ただ、昨今の学生・職業人の教育をながめるに、論理や分析、課題解決のための技術に向けた能力育成に偏っている感があります。そちらのほうが取り組みがわかりやすいですし、お金にもなりやすいからでしょう。

空想する力を育むことは、現代の功利主義の流れの中では容易に軽視されやすくなっています。しかしそういう時代だからこそ、ビジョンを描けない分析屋や技術屋を増やすのではなく、ビジョナリーであり、かつ、分析もできる、技術にも詳しいという人材が待ち望まれます。
 

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