フランスの哲学者、アンリ・ベルクソンは『創造的進化』のなかで次のように書きました。
──「生命には物質のくだる坂をさかのぼろうとする努力がある」

私はこの言葉に接して以来、人は常に坂に立っており、その傾斜を上ることがすなわち「生きること・働くこと」だと考えるようになりました。

丸い石ころを傾斜面に置いたとき、それはただ傾斜をすべり落ちるだけです。なぜなら、石ころはエントロピーの増大する方へ、すなわち、高い緊張状態から低い緊張状態へと移行するほかに術をもたない惰性体だからです。

しかし生命は、そのエントロピーの傾斜に逆らうように、みずからの身体を生成します。高等生物のヒトにいたっては、みずからが見出した意味や価値に向かって創造する努力を発します。

坂を上っていくための2つの力
さて、職業人としての私たちは何かしらの職業をもち、日々、仕事をやっています。もちろん仕事をやるというのは創造的な作業であり、坂を上っていく努力です。その様子を下図のように表してみました。

人生100年時代、健やかなキャリアに必要な「ミーニング・プルの力」とは
(画像=坂を上るための2つの力)

あなたが行う仕事の難度は図でいう三角形の傾斜角度です。難しい仕事であればあるほど角度は大きくなり、傾斜途中に立っている自分にかかる下向きの力は大きくなる。この下向きの力とは、その仕事の達成のために起きてくる障害やリスク、プレッシャーやストレス負荷です。

こうした下向きの力、いわば「負の力」に対抗するために、私たちは「正の力」を出して踏ん張り、創造的態度をとろうとします。正の力には、「プッシュ型」と「プル型」と2つの種類がある。

1つは、その仕事をやらなくてはならないという義務感、責任感から生まれる力です。これは傾斜から落ちないように我慢や辛抱をし、自分で自分を押す力となる。これを「ガマン・プッシュの力」と名づけます。

もう1つは、自分が見出したおおいなる目的を成就させようとする力で、内面からふつふつと湧き起こるものです。これは夢や志、あるいは満たしたい意味や価値が自分を引っ張り上げてくれる力で、ここでは「ミーニング・プルの力」と名づけます。

おおいなる目的がないと消耗戦になる
もし、自分におおいなる目的がなければ、長いキャリア人生を送っていくのは消耗戦を覚悟しなくてはなりません。なぜなら、毎期毎期課される目標に向かって、「ガマン・プッシュの力」のみで坂道を上がって行かなくてはならないからです。

「ガマン・プッシュの力」の源泉は、外発的動機、すなわち目標の達成/未達成によって決められる賞罰によって供給されます。金銭的・物質的な報酬、他者からの承認・評価は一時的には強力なやる気を引き出してくれますが、それに振り回されると疲れます。悪くすると、「ガマン・プッシュの力」を絞り尽くしたとき、燃え尽き症候群になるか、メンタルを病むことだって起こりえます。無情なことに、義務感や責任感が強い真面目な人ほど、いったん燃え尽きたり、メンタルを壊したりすると治りにくい。

ガマン・プッシュの力だけで上る人は「目標疲れ」が出る
(画像=ガマン・プッシュの力だけで上る人は「目標疲れ」が出る)

ところが、自分の中で生き生きとした目的、成就したい理想のイメージを抱くことができれば、そこからもう1つの力、すなわち「ミーニング・プルの力」を得ることができる。坂の途上には数々の目標が設置されますが、その向こうに「坂の上に太陽」が輝いていれば、そこからエネルギーが供給されます。その「プルの力」は内面から発露として湧いてくるエネルギーであり、無尽蔵です。年齢にも関係がありません。

成果主義が厳しいとか、数値目標の達成プレッシャーがきついとか、昨今の職場は確かに人を疲れさせる仕組みで覆われています。しかし、そんな中にあっても仕事を楽しんでいる人はたくさんいます。彼らは異口同音に、「やりがいがあったから」とか、「自分の決めた道だから」という内容の言葉を発します。これは「プルの力」を自然と湧き起こし、目的イメージからぐっと引っ張られたという状態です。「プッシュの力」は傾斜から落ちないように「自分を留める」のがせいぜいの役割ですが、「プルの力」は、傾斜をぐいぐい上っていくのみならず、「自分らしくある」「自分を拓く」ための燃料になります。

「ミーニング・プルの力」が加わることで、しんどさの質が変わる
(画像=「ミーニング・プルの力」が加わることで、しんどさの質が変わる)

「プルの力」を湧かせ坂を上る──そのときすでに幸福を得ている
哲学者のアランは『幸福論』の中で、「幸福だから笑うわけではない。むしろ、笑うから幸福なのだと言いたい」と書きました。アランは一貫して、幸福というものは、“幸福である”という静的に漫然とした状態では存在せず、意欲し、創造し、誓うことによってのみ起こり、存続しうるものであると訴えています。私はアランのそうした考えを「行動主義的幸福観」と呼びたいと思います。この一文も、「笑う」という意欲と動作を起こすことが、幸福そのものなのだということでしょう。

100歳まで生きてしまう時代において、キャリア観の見直しも迫られています。「単線的な右肩上がりを目指すキャリア」から「複線的で自分なりの形を描くキャリア」へ。「成功のキャリア」から「健やかさのキャリア」へ。

いずれにせよ、働くことにおける「健やかさ」や「幸福」といった心の次元での充足がますます重要な観点になると思います。それは本稿で言う「坂の上にある太陽」をいかに見つけるかです。それを描き持つことができれば、自分の中に「プルの力」が生まれ、仕事のしんどさはなくならないものの泰然と坂を上っていける。その状態がまさに「働くことの幸福」を得ている自分でもある。

あなたは、「ガマン・プッシュの力」だけで何十年と続く仕事人生の坂を上っていく人でしょうか。それとも、坂の上の太陽からエネルギーをもらいながら「ミーニング・プルの力」を足し合わせて上っていく人でしょうか。

(執筆者:村山 昇)GLOBIS知見録はこちら