矢野経済研究所
(画像=oben901/stock.adobe.com)

今やすっかり定着した “コロナ禍” という言葉が使われ始めたのは昨年の2月中旬、スポーツ紙やタブロイド判の夕刊紙が起源だそうだ。「専門家会議」の初会合が2月16日、都知事が大規模イベントの中止を要請したのが21日、まさに感染拡大が “対岸の火事” ではなくなりはじめた頃である。さて、筆者はこの “コロナカ” という語感がどうも馴染まない。あまりにも茫洋として、あまりに他人事で、それでいて自分も危機の当事者であることを伺わせるように使われることが多いこの言葉が好きになれない。確かに便利な言葉である。パンデミックによる社会的危機、経済的損失を一言で総称する見事な合成語である。しかし、企業や個人はそれぞれの事業、それぞれの生活において、個々に “禍” と戦っているわけであり、つまり、一括りにされることへの嫌悪が、筆者が感じる違和感の正体なのかもしれない。

さてそれはさておき、その “コロナ禍” の長期化は、特定業種を越えて日本経済の土台を蝕みはじめつつある。2020年の休廃業・解散社数は約5万件、過去最多である(東京商工リサーチ)。自営業者の休業者は11月時点で26万人、前月の23万人から26万人へ再び増勢に転じた(総務省)。緊急事態宣言が続く中、彼らは事業を再開できるであろうか。一方、大企業の体力も奪われつつある。上場会社の希望退職募集数が2万人を越えたとの報道もあった。信用保証付き融資の新規承諾件数も依然として高水準を維持、11月は約9万件、前年比167%となった。保証債務の残高は39兆円(前年比189%)に達している(全国信用保証協会連合会)。

今、“コロナ禍” に向き合う事業者に必要な兵站は、構造改革を後押しする投資資金、眼前の苦境を乗り越えるためのつなぎ融資、そして、再び立ち上がるまでの生活を保証するセーフネットである。これらの制度的な簡素化と拡充を急ぐとともに、政府には終息に向けてのグランドデザインの開示を求めたい。感染終息に向けての医療施策と各種支援策の全体像を時間軸に添って示していただくことで、我々は「今」の立ち位置を把握することができる。時短要請はいつまで続くのか、外出自粛はいつ解除されるのか、いつまで耐えればいいのか、未来が見えないことの不安の払しょくこそが最大の希望であり、勇気となる。

矢野経済研究所
(画像=矢野経済研究所)

国・地方の債務残高は1,200兆円、GDPの2倍に達する。PB(基礎的財政収支)の赤字は2019年度の14.6兆円から2020年度は69.4兆円に膨らむ。財政はひっ迫している。しかし、アメリカ大統領選の異様さを思い出してほしい。豊かさから取り残され、社会から置き去りにされたと感じる人が一定の勢力を形成し、そこに陰謀論やフェイクを操る強権的な指導者が現れた時、民主主義はあっという間に危機に陥る。1930年代のドイツを想像できなかった人も目の前のアメリカを見て実感できたと思う。因小失大、“小によりて大を失う” ことがあってはならない。財政規律が「小」であるとは言わないが、自由社会の基盤が壊れたら元も子もない。感染終息、生活支援、経済再建は一体だ。筋の通った、思い切った政策に期待する。終息すれば必ず飛躍できる、この確信をもって “コロナ禍” に挑みたい。

今週の“ひらめき”視点 1.24 – 1.28
代表取締役社長 水越 孝