
『ブレインケアクリニック』『一般社団法人日本ブレインケア認知症予防研究所』を運営する精神科医の今野裕之さん。認知症予防を広めようと思ったきっかけや『ブレインケア』という言葉にかける思いを伺いました。 |
よくわからないものを知りたいという好奇心から精神科医に

私は20年以上、精神科医を生業としてきました。もともと、よくわからないものを知りたいという性格の持ち主です。精神医学は目に見えないものを対象にするので最もよくわからない分野じゃないですか。私は最初、整形外科を志しました。整形外科はレントゲン写真などで見て、骨が折れていれば誰が見ても「骨折」だとわかり、治療法も大体決まっています。
精神科は人によって薬が効いたり効かなかったりしますし、その人の生い立ちや受けてきた教育などさまざまな背景を考えないといけません。医師によって、同じ患者さんを診ていても意見が異なることがあります。今のところ客観的に精神疾患を診断できる検査はなく、絶対的な正解はありません。たとえば、有名な教授が「治療法はこれだ!」と言っても、それに対して若手が別の意見を発信することもできるんですよ。そこが面白いなと思っています。
精神医学は日々進歩していて、精神疾患の根本的な治療はできないまでも、症状のコントロールは容易になってきています。昔だったら学校に行ったり、仕事に行ったりできなかった人たちが、薬をきちんと服用することで社会生活に参加することができるようになりました。 ただし、認知症はいまだに治療法のみならず、症状の進行を食い止めることも難しい病気です。医者としてはただ進行を見守るだけではなく、当然病気を治してあげたいですよね。治る治療がないにせよ、何かできることがあるのではないかと思い、その方法を研究しようと順天堂大学の大学院で、脳の老化に関する研究をすることにしました。 認知症は加齢によって起こりやすくなる病気です。ですから、老化を予防できたら認知症の予防につながるのではないかと思ったんです。そこで当時注目したのがココナッツオイルなどに含まれる『中鎖脂肪酸』という成分です。その頃、『中鎖脂肪酸』を大量に摂取した認知症患者さんの認知機能が回復したというアメリカの報告が話題になっていたのです。実際に、私たちも中鎖脂肪酸を認知症患者さんやその予備軍の人たちに摂取してもらう実験をしたところ、脳の働きは認知症になっても回復する可能性があることを確認できました。
さらに研究を進めていくと、認知機能の維持や向上に役立つ食事や栄養素、生活習慣というものが具体的に明らかになってきました。そして、そのような認知機能に良いことを組み合わせることで、認知症になっても物忘れなどの症状を改善できるという確信を得ました。偶然にも同時期、アメリカの医師が私と同じような同じような考え方で認知症の治療に取り組み、認知症およびその予備軍の患者さん10名中9名が回復したという驚くべき症例報告を発表しました。この治療法は、現在「リコード法」と呼ばれています。
ノブレス・オブリージュというに「豊かな人は社会の模範となるように振る舞うべきだ」という考えがあります。私も認知症が治療可能であることを知ったからには、それを世の中に伝える義務があると考えました。
そこで、日本でリコード法を実践する場として2016年に『ブレインケアクリニック』を立ち上げたんです。
「ブレインケアをもっと身近なものにしたい」クリニックに続いて研究所を設立

『ブレインケアクリニック』の開院を告知したところ、多くのメディアに取り上げていただき、企業から認知症ケアについての問い合わせの依頼が来るようになりました。それらをクリニックだけで対応するのが難しくなってきたことと、クリニックの枠を超えてより広く世の中に伝える活動をしたいと考えるようになっていたことから、『一般社団法人日本ブレインケア認知症予防研究所』を立ち上げました。
現在、『一般社団法人日本ブレインケア認知症予防研究所』では認知症予防に関係するヘルスケア事業を監修したり、商品開発のサポートをしたり、認知症に関する記事の執筆やメディアへの出演など情報を発信したり問い広く活動しています。また、企業が行う臨床試験が倫理的に問題ないかをチェックする倫理委員会の主催も行なっています。
クリニックを開業した当初はまだ「認知症は治らない」という考えが主流だったので、予防できる、治せると発信するのは勇気が必要なことでした。あからさまに反発はされませんでしたが、なかなか広まりにくいなというのは今もなお感じています。
ただ、数年前から風向きが変わってきまして、さらにいろいろなところからお問い合わせや取材の依頼をいただくことが増えました。特に医療関係のメディアからの取材や認知症にまつわる記事の執筆依頼が増えています。また、当研究所では医療従事者向けに「ブレインケア・メディカル・プロフェッショナル(BMP)養成講座」というオンライン講座を主催しているのですが、その内容を社員向けに転用したプログラムをつくってほしいという企業からの依頼などもあります。
実は、団塊の世代が後期高齢者になる『2025年問題』がまさに今年です。これからさらに認知症の患者数が増えることが予測されています。現時点でも認知症患者は約500万人、その予備軍も合わせると1000万人はいると言われています。10人に1人は認知症、もしくは予備軍であるという計算になります。できるだけ多くの人が正しい認知症予防の知識を身につけ、ご自身や周りの人が認知症対策に取り組まないと、認知症の患者さんはどんどん増え、介護に多くの人手やお金をかけなければならなくなります。そうなれば地域社会のみならず、日本全体にも大きな影響を及ぼすことになるでしょう。
若いうちからのケアが大切!認知症を予防するための方法とは?

認知症にならないために、実は30代・40代から気を付けていく必要があります。認知症はある日突然なってしまうわけではありません。20〜30年かけて少しずつ進行していきます。65歳以上になると認知症になる人が増えるのですが、30代・40代から少しずつ脳内にごみのようなものが溜まっていきます。そのごみが溜まるとともに神経の働きが衰えて死滅し、最終的には脳が縮んで認知症が発症してしまいます。 ですから、もの忘れが出たころには認知症という病気はある程度進行していますし、老化による脳の衰えも同時に起こっているので、そこから治療を始めても回復が難しいケースが多くなります。そのようなわけで私たちとしては若い方にも認知症予防に取り組んでいただきたいのですが、『認知症予防』という言葉は高齢者向けというイメージがあります。そこで「スキンケア」や「ヘアケア」のように、若い人にも受け入れやすい言葉として、『ブレインケア』を提唱し、もっとポジティブなイメージにすることで認知症予防を広めていきたいと考えています。
ブレインケアは生活の中にあります。健康的な食事・睡眠・運動が基本です。特に現代人に重要なのは、十分の睡眠時間の確保です。実は睡眠中に脳内に溜まったごみが流されるのですが、日本人の睡眠時間は世界でもトップレベルの短さです。男女とも,
4割くらいの人は睡眠時間が6時間未満ですが、認知症のリスクが一番低い睡眠時間は7〜8時間くらいです。ちなみに昼寝は30分以内であれば取った方が良いというエビデンスがあります。
食事や栄養に関することでは、まず甘いものと炭水化物の摂りすぎは良くありません。ビタミンやミネラル、必須脂肪酸など、生命維持に必要な栄養素の不足は認知症のリスクを高めます。また、伝統的な地中海食や日本食を食べる習慣がある人ほど認知症になりにくいといったことなどはわかっています。
しかし、タンパク質・脂質・糖質の最適なバランスや食事摂取のタイミング、年齢や性別、持病の有無などによって食事の内容を変えるべきかどうかなどについてはまだまだわからないことも多く、毎月のように新しい研究結果が発表されています。
時にはこれまでの常識を覆すようなデータが出ることもありますので、最新の研究を常にチェックし、アップデートしていく必要があります。
私の最終的な目標は、『ブレインケア』という言葉をスキンケアやヘアケアと同レベルまで浸透させることです。ブレインケアをやりたいと思った時に、それに関係する情報やサービス、商品がすぐに手に入るような仕組みを作り、自然と認知症予防ができているような社会にしていきたいと思っています。少しでも認知症で辛い思いをする人が減るように、一緒に取り組んでいく仲間を探しています。