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群馬県館林市と、利根川を挟んだ埼玉県羽生市の間に位置する群馬県邑楽郡明和町。近くの土手に上がれば、利根川が見渡せる場所に、サッシ製造業の株式会社和光金属がある。2026年10月には創業50周年を迎えるが、発注元企業の合併による受注の大幅減、2024年初頭には2代目社長が急逝するなど、幾度も経営危機に見舞われた。それらを乗り越え、デジタル環境を整えて業務効率をアップさせることで、経営の改善を図っている。さらなる改善にも着手し、顧客対応力を強化し業績の回復に向かって進んでいる。(TOP写真:主力事業となるサッシ製造の作業)
埼玉県八潮市で前身となるサッシ取付業の会社を創業 明和町に土地を見つけて移転し、1976年創業 以後はサッシ製造中心に業態転換

初代社長となる伊藤道男さんと、現在、取締役工場長を務める鈴木公明さん(58)の父が、埼玉県八潮市で1970年代初頭から営んでいたサッシ取付業が前身。アパートの1階部分をぶち抜いた場所を作業場としていたが、鈴木の父に双子の子どもができたことを機に、アパートを出ることになり、明和町の工業団地にあった会社のつてで、現在の会社や工場がある土地を見つけ、1972年に移転した。
移転当初は、八潮市にあった頃と同じサッシ取付業を営んでいたが、時代は多くの住宅の窓枠がサッシに変わりつつあった頃。需要も多く、取付業を営むうちに、ある程度のノウハウを蓄積していたサッシ製造業そのものを手掛けようと、業態を転換し、1976年10月に「株式会社和光金属」として正式に創業した。
「当初はこの工場も今ほど大きくありませんでした。継ぎ足し、継ぎ足しでここまで大きくなってきたんですよ」と船渡川法行代表取締役は説明する。伸び行く需要を背景に、全盛期にはパート従業員も含めた12~13人が工場内で稼働していたが、やがて会社を激震が襲う。
発注元だった新日軽が2010年に大手住宅設備メーカーに合併 ピーク時には操業の9割を占めていた発注元を突如失う
創業当初から製造の主力になっていたのは、新日軽株式会社(当時)からの発注によるビル用のアルミサッシだった。「新日軽さんから機械や金型を借りてビル用のアルミサッシを製造し、現場に納めるというのが株式会社化してからの主な仕事でした。大きな建設業の会社から直接うちが受注するのではなく、メーカーが大手建設会社から受けた注文の一定の部分をうちに発注してくる仕組み。子会社ではなく独立しているけれど、新日軽さんの一つの生産拠点みたいな感じで、工場全体の9割ぐらいを占めるメインの事業でした」(船渡川社長)
残りの約1割は近隣の販売店などのサッシの修理や、スーパーマーケットなど店舗用のサッシ枠の製造や取付などで賄っていたが、ほぼ一本足に近い経営体制だったといえる。
ところが、その一本足を支えていた新日軽が、2010年11月に株式会社LIXILとの合併を発表し、2011年4月に合併、LIXILグループに入った。「合併した際に、ビルサッシは新日軽さんのものを採用せず、トステムさんのものを採用したんです。なので、うちでやっていた生産工程は、一部を除いてすべてゼロになったんです」と船渡川社長は振り返る。新日軽から借りていた金型は全て引き揚げられ、機械も不要なものは処分され、主力事業がゼロになった。
時期的には、東日本大震災の直後で、建築需要は旺盛だったはずだが、当時受注していた仕事は県単位でのものだったため、福島県などごく一部のサッシなどを除いては、製造や業績に結び付かなかった。
仕事どころか何もすることがない状態 従業員が減少する中、新たな発注をもらえる先を確保、立て直しを図るも新型コロナウイルス禍が襲う

新日軽のLIXILグループ入り後、半年程度はすでに受注したサッシ製造が稼働していたが、やがてそれもなくなった。「工場で働いていた方のうち、パート従業員は近所の主婦が多かったので、仕事が減る中で『やることが変わるなら考えさせてほしい』と自ら辞められた方が多かったんです。男性の従業員では、新日軽さんがLIXILグループ入りする前後1年ぐらいの間に定年退職されるなどして、ピーク時には12~13人いた従業員が5人まで減りました。作るものや仕事がないというより、金型や機械がなくなった上、部品もメンテナンス用に引き揚げられたので、何もすることがない状態でした。部品もないので、急な修理仕事の依頼があっても受けられない状況でした」(船渡川社長)
とはいえ、業績の落ち込みは人件費削減だけでは補えるはずもない。LIXILグループの中核事業会社となったトステムの営業所から、製造ではなく、ビルサッシの組み立て、現場への運搬の仕事が回ってきた。さらに三和シャッター工業グループの昭和フロント株式会社から店舗やビルの正面用のフロントサッシの製造を請け負うようになった。
だが、そうした業績回復の途中、世界を新型コロナウイルス禍が襲った。「建築は、現場に人が集まらないままでは物を作れないんです。それでも三密を回避するために、業者ごとに現場に入ることになったのですが、『今日は鉄骨関係』となると他の業者は入れない。そうした現場のあおりを受けて、新日軽さんがLIXILグループに入ったときほどの打撃ではありませんでしたが、仕事が激減するという状況になりました。コロナ前後も含めた5年程度は低迷期だったといえますね」(船渡川社長)
2代目社長が急逝 社内業務のデジタル化を積極的に進め、業務のスピード化により受注拡大体制へ

ようやくコロナ禍からの脱却の兆しが見えてきた中、2024年1月、2代目となる先代の田中信之社長が急逝した。58歳の若さだった。田中社長の下で働いていた船渡川社長と鈴木工場長が役員となる体制に切り替え、前社長急逝の悲しみも癒えない中で、売上や生産の見直しに着手した。その中でネックとなっていたのが、社内のデジタル環境だった。
「田中社長の時は、私は事務方の担当をしていました。コピー機が古くて遅くて、調子が悪いから一新することを検討したのですが、見積を取った段階で、社長からNGが出てそのままになっていたんです。工場で使う機械なら、壊れればそのまま売上なくなってしまうので買うしか選択肢はないのですが、事務所用のOA機器などは直接、売上につながるものではないというイメージがあったと思います。でもパソコンは古いし、壊れているものもあり、立ち上がりも遅いし、複合機も古いままで使っていたので、全てが遅かったです」
「見積を出すにも、パソコンでソフトを立ち上げて、印刷するまでにものすごく時間がかかっていた。はっきり言って事務仕事に支障が出るほどのレベルです。パソコンのスピードに合わせて人が動く状況では、その間に次にすべきことを頭に思い浮かべても、パソコンから出力するのを待っているうちに一つ抜け、二つ抜け、と考えが抜けていくんです。人間に合わせてパソコンが動いてくれないと良い仕事が出来ない状況になっていました」(船渡川社長)
上記のような背景から新たに最新のパソコンや複合機を導入しスピーディーに仕事を進める事が可能になった。仕事柄、図面の印刷は必要不可欠。作業効率は大幅にアップしたという。
さらに、工場の従業員との間で、どの部材をどの長さで切るといった情報共有を可能にする共有サーバーを入れ、共有フォルダを作成することでバックアップも兼ねて全員が見られるようにした。情報共有により、他の従業員が手掛けようとした工程のミスを、別の従業員が事前に発見できるなどの利点も生まれた。
その他には、ペーパーレスFAXを導入することで、不要なFAXを紙で出さなくてよくなった。事前にパソコンでチェックして、必要なものだけを印刷すればよくなったのだ。事務の効率を上げることで、それまで工場に回すまでに時間がかかり製造物が納期ギリギリになっていたものを、余裕を持って製造できるようにもなった。結果、次の発注を余裕を持って受けられることにもつながり、納期も見通せる事で受注拡大という好循環につながっていった。
事務所と工場のパソコンの情報共有を視野に 工場の水銀灯のLED化や太陽光発電による効率化で新規人材の雇用も図る

今は工場内にも2台のパソコンを設置し、パソコンの画面上で確認できるレベルの工程などはプリントせずに画面に表示して作業するように変化している。
「ただ、事務所と工場はネットワーク回線でつながっていないため、現状はUSBメモリでデータをやり取りしている状況です。工場内の配線が複雑な上、無線LANが届くかどうかの距離もあるので、どのような形でつなぐのが良いのかを検討中です。これがつながれば、作業中の『どのような穴の開け方をするか』、『ビスが打てない場所があるがどうするのか』といった疑問を、パソコンを使ってリモートでリアルタイムに工場の従業員と鈴木工場長(もしくは船渡川社長)の間で作業工程などについてのやり取りできるようになり、さらに効率化が図れるようになると思います。従業員の出勤時にその日の作業内容を口頭で説明するよりも効率的だし、聞き違いなどもなくなります」(鈴木工場長)
工場の現場では、とがった部材が多く振動も大きいことから、タブレットは落下の危険があり不向きと考え、デスクトップのパソコンを使用しているが、現場で持ち歩ければ便利なことも多い。現在は振動や落下に対する耐久性の高いタブレット端末もあることから、これらの導入も視野に入れているという。
その他、一度消灯すると完全に明るくなるまでに時間がかかる工場の水銀灯をLEDに変えることも検討中だ。「LEDに変えることで電気代が抑えられるし、そもそも短い休憩時間では水銀灯を消してしまうと次の点灯に時間がかかり非効率になるので現状はつけっぱなし。ただ工場では水銀灯なみの明るさが求められるので、同等の明るさのLEDにする予定です。加えて屋根に太陽光発電を載せれば、初期投資はかかるものの年間で13万円ぐらいの電気代の節約につながるということで、先行投資を考えています。そうした効率化を図って利益幅を広げていく。現在の従業員も高齢化していて次の世代を育てていかなくてはならないので、そちらへの投資に回したいと考えています」(船渡川社長)
昭和フロントからの仕事を請け負うようになった当初は、LIXILグループと昭和フロントからの仕事の割合がほぼ半々だったが、現在は昭和フロントからの受注が全体の7割を占める主力事業となっており、LIXILグループの仕事が2割、残りの1割を地場のスーパーマーケットなどのフロントサッシ製造や取付などで賄っている。創業50周年を迎え、積極的なデジタル化によって、顧客対応のスピードアップと仕事の精度を上げ、和光金属を次代につなぐため、業績の三たびの回復に向かって順調に歩を進めている。

企業概要
会社名 | 株式会社和光金属 |
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住所 | 群馬県邑楽郡明和町斗合田342-2 |
電話 | 0276-73-8400 |
設立 | 1976年10月 |
従業員数 | 5人 |
事業内容 | サッシ製造業、設計、施工、販売業 |