『いきなりステーキ』創業者・一瀬邦夫さんが語る成功の秘訣と挑戦の軌跡

飲食業界に革新をもたらした『いきなりステーキ』の創業者、一瀬邦夫(いちのせくにお)さん。一瀬さんの挑戦の軌跡は、単なる成功物語ではなく、数々の試練を乗り越えながら築き上げたものです。 27歳で独立し、『ペッパーランチ』の成功を経て、次なるステップとして『いきなりステーキ』を立ち上げました。 しかし、事業拡大には困難がつきものでした。本記事では、一瀬さんが歩んできた道のりと、成功の裏にある努力について詳しく語ります。

成功の裏にある努力

『いきなりステーキ』創業者・一瀬邦夫さんが語る成功の秘訣と挑戦の軌跡

インタビュアー:一瀬さん、本日はありがとうございます。まずは自己紹介をお願いできますか?

一瀬:こちらこそありがとうございます。一瀬邦夫です。私はこれまで飲食業界で長年働いてきました。 高校卒業後に料理の世界に入り、27歳で独立しました。 その後、ペッパーランチやいきなりステーキといったブランドを立ち上げ、多くの挑戦を続けてきました。

インタビュアー:料理の道に進もうと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

一瀬:母の影響が大きかったですね。私は幼い頃に父を亡くし、母が一人で私を育ててくれました。 その母が「いつまでも人に使われるのではなく、自分の店を持ちなさい」と言ってくれたんです。その言葉がずっと心に残っていました。

高校卒業後、浅草のレストランで修行し、その後はホテル業界に入りました。 名だたるホテルでの経験を経て、独立への思いが強まり、27歳で小さな飲食店を開業しました。 そこから本格的に事業を拡大していきました。

独立当初は苦労も多く、資金繰りに苦しんだ時期もありましたが、「美味しいものを提供すれば必ずお客様は来てくれる」と信じ、 試行錯誤しながら店を続けてきました。その結果、しだいに評判が広がり、事業が軌道に乗り始めました。

当時は飲食業界において、成功するためには味だけでなく、接客や店舗運営の工夫も必要だと痛感しました。 私はお客様の視点に立ち、どのようにすればリピートしてもらえるかを常に考えました。その姿勢が、のちの事業展開にも生かされることになったのです。

また、私が特に大事にしてきたのは「お客様に喜んでもらうこと」。飲食業とは単に料理を提供するだけでなく、食事を通じてお客様に満足感を届けることが大切です。 どんなに良い料理を作っても、お客様が楽しめなければ意味がない。だからこそ、従業員にも「笑顔を忘れずに接客すること」を徹底させてきました。

『いきなりステーキ』誕生秘話

『いきなりステーキ』創業者・一瀬邦夫さんが語る成功の秘訣と挑戦の軌跡

インタビュアー:ペッパーランチからいきなりステーキへと進んだ背景には、どのような戦略があったのでしょうか?

一瀬:ペッパーランチでは「コックがいらないシステム」に挑戦しました。 鉄皿を熱して、お客様が自分で焼くスタイルを導入することで、調理人のスキルに依存せず、店舗展開が可能になったんです。

その経験を活かして、いきなりステーキを立ち上げました。 ステーキ業界は高価格帯のイメージが強かったため、「もっと手軽に、立ち食いでステーキを楽しめる場所を作ろう」と考えました。 ワイルドステーキを手頃な価格で提供し、多くの人に愛されるブランドへと成長しました。

また、価格戦略にもこだわりました。 ステーキをより多くの人に食べてもらうために、グラム単位でオーダーできるシステムを導入したんです。 結果的に、これが大ヒットし、一気に店舗展開が進みました。

さらに、お客様とのコミュニケーションも重視しました。 『肉マイレージカード』という仕組みを作り、ステーキを食べるほど特典が受けられる仕組みにしました。 これにより、リピーターを増やすことができたのも成功の要因の一つです。

さらに、店舗の立地選定にも細心の注意を払いました。 オフィス街ではランチ難民向けにリーズナブルな価格設定をし、夜はお酒とともに楽しめるようなメニューを導入しました。 こうした柔軟な戦略が、多くの客層を取り込むことにつながったのです。

インタビュアー:成功の裏には、さまざまな困難もあったかと思います。特に大きな試練は何でしたか?

一瀬:そうですね。事業拡大のスピードが速すぎたことが、大きな課題になりました。 いきなりステーキは急成長し、多くの店舗を展開しましたが、その結果、管理が行き届かず経営のバランスが崩れてしまいました。

急成長の裏には、組織の成長が追い付かないという問題があります。人材の確保や教育が追い付かず、サービス品質のばらつきが出てしまったんです。 どんなにビジネスモデルが優れていても、現場のオペレーションが機能しなければ、顧客満足度は低下します。

経営者の引退と新しい挑戦

『いきなりステーキ』創業者・一瀬邦夫さんが語る成功の秘訣と挑戦の軌跡

インタビュアー:経営を退かれた後のことについて、お話を伺いたいと思います。会社を引き継ぐ際には、どのようなことを感じられましたか?

一瀬:私の息子が引き継ぎましたが、彼の経営スタイルは私とは異なります。彼は赤字の店舗を閉店することで、赤字を減らして黒字を生み出すという考え方を持っています。 これは合理的なやり方ですが、私は違うアプローチを取ってきました。私なら、店を閉めるのではなく、利益を出せるように改善策を考え、粘り強く取り組んでいたでしょう。

実際に、私が経営していた頃は、時間をかけて試行錯誤を重ねることで、従業員も成長し、会社も発展していきました。そうした姿勢が、結果的にノウハウの蓄積につながるのです。 こういった努力をすることで、過去に企業の継続意義を評価する監査法人から「この会社に投資すると危険」とレッテルを貼られてしまった状況も乗り越えることができました。

さらに、新たな挑戦として、銀座にすき焼きの専門店をオープンしました。まだ軌道に乗っていない部分もありますが、成功させるために試行錯誤を続けています。 本当はアドバイスをしたくてたまらないのですが、直接関与することはできません。ただ、Googleマップの評価を見れば、お店の評判がどうなっているのかは把握できます。 実際、私が運営している『和牛ステーキ和邦』はGoogleマップで4.8という高評価を得ています。これはとても誇らしいことです。

また、これからの時代に合わせた飲食ビジネスの形も模索しています。例えば、体験型のレストランというアイデアがあります。 今、お寿司屋ではお客様が自ら握る体験を提供し、それに高額な料金を設定する店もありますよね。 同じように、私は「お客様が自分で肉をカットするコーナー」を作ることを考えています。 手袋や前掛け、マスクを着用し、清潔な環境で和牛を自分で切り、味付けをする。そんな新しい食体験を提供できる店を作れたら面白いのではないかと思っています。

こうしたアイデアを形にするために、最近ではChatGPTにも相談しています。AIを活用することで、さまざまなヒントを得られるようになりました。飲食業界も時代に合わせて進化していくべきだと思っています。

夢を持ち続けることの大切さ

『いきなりステーキ』創業者・一瀬邦夫さんが語る成功の秘訣と挑戦の軌跡

インタビュアー:最後に、読者へのメッセージをお願いします。

一瀬:事業を行う上で、必ず人が関わります。その人たちは、自分にとって「この人と一緒に仕事をすることが得かどうか」を常に見ています。 だからこそ、私は従業員に夢と希望を与えられる経営者でありたいと思っています。

36歳の時に4階建てのビルを建て、一時は成功したと感じたこともありましたが、そこから出店をせず、遊びに時間を費やしてしまった時期もありました。 その間、従業員はどう思っていたのか。彼らの未来を考えていたのか。そうした経験を経て、経営者として最も大切なのは「従業員に希望を与えること」だと気付きました。

また、「正しく笑う」という言葉を大事にしています。これは辞書には載っていない言葉ですが、「正しく生きることで、成功し、最後に笑顔になれる」という意味を込めています。 私はよく色紙にこの言葉を書いていますが、これは私の経営哲学そのものです。

そして、経営者は従業員と妥協しないことが重要です。甘やかすことなく、毅然とした態度で接する。従業員が間違っていれば、しっかりと指摘し、導く。 経営者としての責任は、ビジョンを示し、会社を成長させることにあります。

経営を退いた今でも、新たな挑戦を続けながら、未来の飲食業界を見据えています。これからも、「夢を持ち、挑戦すること」の大切さを伝えていきたいですね。

インタビュアー:本日は貴重なお話をありがとうございました!


■一瀬 邦夫さん
コラボレーターページ
オフィシャルサイト 和邦ステーキ

本記事は、ワクセル会議にて公開収録した一瀬さんのインタビューの内容です。
ワクセルのCollaboratorの方は、公開収録への参加、一瀬さんへのご挨拶ができ、ご自身の事業へのヒントが得られる絶好の機会となりました。
ワクセルのCollaboratorの詳細は下記よりご確認ください。
https://waccel.com/collaboratormerit/