【琵琶湖の底に村の跡!?】湖底遺跡の謎に迫る!【滋賀エリア】
【琵琶湖の底に村の跡!?】湖底遺跡の謎に迫る!【滋賀エリア】

こんにちは!ライターの中宮桃果です。

突然ですが、日本一大きな湖・琵琶湖の水を全部抜いたら何が出てくるでしょうか…?

実は、面積約670㎢、最も深いところで深さ104mというこの大きな湖の底に、「湖底遺跡」があることが知られています。

一体どんなものが沈んでいるのか、早速見ていきましょう!

全国で2番目に多い、100か所以上の湖底遺跡

琵琶湖の底に沈む遺跡は、100か所以上確認されており、水中遺跡の数としては沖縄県に次いで全国で2番目に多いです。

琵琶湖の古代遺跡を中心に研究する妹尾裕介さんによると、縄文時代の貝塚から弥生時代の建物の跡、鎌倉時代の港の跡など、大小さまざまなものが沈んでいるそうです。

なかでも琵琶湖の湖底遺跡は、湖底に村が沈んだとされる伝承地である「千軒遺跡(せんげんいせき)」とも呼ばれ、当時の人々の暮らしを伝えるものとなっています。

どうして湖底に遺跡が?

湖底の遺跡は水位の変化によるもの

琵琶湖の湖底に遺跡がある理由、それは「琵琶湖の水位の変化」によるものです。

現在は琵琶湖の水位はコントロールされており、溢れる心配はありませんが、かつては大雨が降ると水位が上がり、日照りが続くと水位が下がっていました。また、地震による地盤の変化も原因としてありました。

このような自然が与える影響で水位が変化し、湖の近くに住む人々の暮らしのかけらが水中に取り残されていったのですね。

遺跡発見のきっかけ

発見のきっかけとなったのは、2024年12月で発見から100年を迎えた「葛篭尾崎(つづらおざき)湖底遺跡」で行われていたイサザ漁でした。

イサザとは、琵琶湖の湖底に住む、琵琶湖固有種の魚です。

大正時代にエンジン付きの船が普及し、水中深くまで網を下ろすことができるようになり、これまでよりも深いところにいるイサザを取ることができるようになりました。

その結果、湖底に沈んでいた土器が引っかかり、湖底遺跡が発見されたのだそうです。

葛籠尾崎は水深がV字状に深くなっていて、最も深いところで70mもの深さがあります。 暗い水中での発掘作業は難しく、発掘作業は水深30mが限度だそうです。

まだまだ水中深くには発見されていない遺物が多く残っていそうですね。

また、通常土器が発見される時は、「人がもう使わなくなった場所」から出土する「廃棄された土器」であることが多いのに対して、ここ葛篭尾崎では人の手が入っていない綺麗な状態の土器が多数見つかり、当時の研究者は驚いたのだとか!

発掘された土器の中には、なんと約1万年前の縄文時代の土器の完全形もあったそうです。 湖の底からそのようなものが出てくるとは、ロマンがありますね。

葛籠尾崎湖底遺跡資料館

長浜市にある葛籠尾崎湖底遺跡資料館には、湖底から発見された土器をはじめとする多くの遺物が展示されています。
より深く学んで見たい方はぜひこちらの資料館に足を運んでみてください。

【施設情報】
所在地:滋賀県長浜市湖北町尾上153-2
アクセス
(公共交通機関)JR北陸本線 河毛駅から徒歩85分
(車)小谷城スマートICから15分、木之本インターから15分、長浜インターから20分
※普通車20台、大型車1台用無料駐車場あり
料金
高校生以上200円(20名以上は団体料金で150円)
中学生以下、しょうがい者、学校教育関連団体無料
電話:0749-53-2650(長浜観光協会)
営業時間:10:00~16:00

その他の琵琶湖にある遺跡

冒頭でもご紹介したように、琵琶湖の湖底遺跡はなんと100か所以上も存在します。
ここからは、葛籠尾崎遺跡以外の遺跡をいくつかご紹介します!

粟津湖底遺跡

琵琶湖南部・大津市沖に位置する粟津(あわづ)湖底遺跡は、約1万年前から5千年前の縄文時代早期から中期の淡水貝塚を中心とする遺跡です。

人々が食べ物の残りかすなどを捨てる場所であった貝塚からは、貝殻だけでなく、魚や動物の骨、クリやトチといった木の実の皮なども発見されています。

陸上の貝塚遺跡には残らない植物質の遺物も、湖水によって守られており、それにより縄文時代の人々の食生活が明らかになりました。

この遺跡の発掘調査は、なんと水を抜き、鉄の板で囲った区画を作って行われたそうです。

針江湖底遺跡

琵琶湖西部・高島市沖に位置する針江(はりえ)湖底遺跡は、主に弥生時代前期の集落や林が、地震の液状化現象によって埋没したものです。

水深約2,7mという深さまで、地下水が砂と混ざり合った泥水が地面から噴き出した噴砂の痕跡が確認できることから、かなり大規模な地震だったと考えられています。

地震で村が沈んでしまうというのは恐ろしいですね…

塩津港遺跡

琵琶湖北部・長浜市沖の塩津港は古代から北陸と近畿を結ぶ琵琶湖の湖上交通の拠点として栄えた場所で、遺跡からは平安時代の神社の跡が発見されています。

社殿や鳥居、神像や書簡などのさまざまなものが見つかっており、それらの遺物から、1185年に近江国を襲った地震によって水中に沈んだと推定されています。

これらのことから、塩津港遺跡周辺には「水の浄土」の教主・薬師如来や、土着の航海安全の神様が祀られていたのかもしれませんね。

このように、水中の遺跡から当時の琵琶湖周辺の人々の暮らしがわかるのはとても興味深いですよね!
他にもたくさんの遺跡が発見されているので、気になる方はぜひ詳しく調べてみてくださいね。

おわりに

いかがでしたか?

広大な琵琶湖の底に、古くは縄文時代からの遺跡が残っているとは驚きですね!

かつては、コントロールできない琵琶湖の水位や避けられない地震によって居住地を捨てざるを得なかった人々がいた一方、現代の我々は彼らの残した遺物から、過去の暮らしを知ることができます。

ぜひ湖の底に想いを馳せながら、琵琶湖を眺めてみてはいかがでしょうか。

参考

琵琶湖の概要|滋賀県ホームページ
https://www.pref.shiga.lg.jp/ippan/kankyoshizen/biwako/gaiyou.html
びわ湖に眠る湖底遺跡に迫りたい!
https://www.nhk.or.jp/otsu/lreport/articles/300/205/12/
水中遺跡(湖底遺跡)
https://www.pref.shiga.lg.jp/file/attachment/22014.pdf
葛籠尾崎湖底遺跡資料館
https://www.biwako-visitors.jp/spot/detail/19191/?active=basic
朝妻沖湖底遺跡の調査【第1弾】|米原市役所YouTubeチャンネル
https://youtu.be/xOQfvFro2Nk?si=qj_xPifbeK7_oPCD
第60回企画展「塩津港遺跡発掘調査成果展―古代の神社と祭祀を中心に―」滋賀県立安土城考古博物館
https://sam.shiga.jp/%e5%8a%a0%e7%9b%9f%e9%a4%a8%e3%81%8b%e3%82%89%e3%81%ae%e3%81%8a%e7%9f%a5%e3%82%89%e3%81%9b/%e7%ac%ac60%e5%9b%9e%e4%bc%81%e7%94%bb%e5%b1%95%e3%80%8c%e5%a1%a9%e6%b4%a5%e6%b8%af%e9%81%ba%e8%b7%a1%e7%99%ba%e6%8e%98%e8%aa%bf%e6%9f%bb%e6%88%90%e6%9e%9c%e5%b1%95%e2%80%95%e5%8f%a4%e4%bb%a3%e3%81%ae/