人的資本が重要視される今、社員が退職してしまうことは企業にとって大きな痛手となるケースが多く、各社では退職率を改善するために様々な取り組みを行っています。本連載では、退職トラブルの原因・解決策について、退職トラブルに悩む企業へのコンサルティングを行う佐野創太氏にフェーズごとに数回にわたって解説してもらいます。
前回の記事はこちら▼
【第1回】5年連続、新人が入社後半年で退職…原因はたった1つのあること
【第2回】「本当は第一志望の企業じゃなかったんです…」 なぜ第二新卒で退職してしまうのか
【第3回】「ロールモデルがいないので退職します」と話す中堅社員の本音
【第4回】エース社員の「燃え尽き退職」が手遅れになる前に〜予防策は「引き算のマネジメント」
【第5回】管理職は不幸せなのか? 管理職の退職を防ぐ「助走期間」の作り方
目次
「社員の仲が良い会社」ほど、退職がドミノのように起きる
「選手層の厚い組織をつくりたい」
経済危機や震災、コロナ。未曾有の危機を乗り越えてきた企業の人事・経営者からは、「ピンチに強い、選手層の厚い組織を作りたい」というお声がけをいただくことが増えました。
今ほど社員間の結びつきを強めたくなる時代はないかもしれません。「心理的安全性を高めたい」という声も根強いです。
一方で、人事・経営者からは「新しく生まれている”ある経営リスク”」を懸念する声も挙がっています。
「いつからか、”退職が感染する”ようになった。これまでは1人の社員が退職したところで、正直に言えばそこまでダメージはなかった。だが、3人、5人と退職が続くとなれば話は別だ。退職がドミノのようになっている。始まったら止まらない。これでは採用してもしても追いつかないし、育成しても徒労感が漂ってしまう」
「連鎖退職」という言葉をご存じでしょうか。
アメリカでは「離職の伝染(Turnover Contagion)」という言葉で注目されています。
1人の社員の退職をきっかけに、いわばドミノのように退職が続くことを意味します。
「連鎖退職」の発生原因と解決策を知っておくことは、もちろん今まさに「連鎖退職」に悩んでいる企業に有効です。
しかし、それだけではありません。
「風通しの良い社風にしたい」「強固な社風の組織にしたい」と考えている企業にとっても有効です。
なぜなら「心理的安全性を高めよう」「社員同士の連携を深めよう」としている企業ほど、「連鎖退職」は起きやすいからです。
攻めの組織開発は有名になりました。守りの組織開発を合わせることで、組織基盤はより強固になります。
「連鎖退職」が注目されている
「連鎖退職」は、現実に起きています。なかなか表には出てきませんが、近年は世界的にも注目された最新事例が二つあります。
一社目がOpenAIです。
自動生成AIブームの火付け役であり続けている、人工知能チャットボット「ChatGPT(Generative Pre-trained Transformer)」の開発会社です。
米国時間2023年11月17日に創業者のサム・アルトマン氏がCEOを辞任すると発表しました。
騒動は加熱します。共同創業者のグレッグ・ブロックマン氏も解任を表明。
「従業員770人中700人が今すぐ退職すると言っている」という情報すらネット上に飛び交いました。
最終的にはサム・アルトマン氏がCEO復帰で落ち着きました。
正確な数や経緯は、内部にいる者しかわからないことではあります。 しかし、従業員の過半数をはるかに超える数の社員が退職しようとしていた可能性があります。「連鎖退職」の中でも珍しい事例です。
2社目がX(旧Twitter)です。
2022年11月25日には「社員6人のブリュッセルのオフィスで、従業員が全員退社した」と報じられました。
CEOのイーロン・マスク氏の大規模な人員削減がきっかけではありますが、「数週間で2人に減らされたが、残った2人も過去1週間のうちに退社した」という連鎖の速さです。
「連鎖退職」には特徴があります。
「一度始まると止まらない」「スピードが早い」のです。
「ドミノ退職」と言われる所以です。
「連鎖退職」は特殊ケースなのか?
一方で、これらは海外の事例であり、特殊ケースなのではないでしょうか。確かめるためには、「連鎖退職」の原因を知る必要があります。
多くの企業に当てはまる、普遍的な原因はあるのでしょうか。
カナダのゲルフ大学の人事教授であるニータ・チンザーは述べています。
「私の研究によると、チームの中で最も優れたパフォーマーが雇用環境を離れると、他の人たちは突然職場との関係を再評価し、退職を考え始めます」
(出典:BBC:‘Turnover contagion’: The domino effect of one resignation)
つまり「エース社員」が退職すると、これまで会社に不満や不安を具体的に覚えていなかった社員が「このままでいいのだろうか」と退職が頭をチラつくということです。
(エース社員の燃え尽き退職を防ぐにはこちらをご覧ください)
「今日こそ連鎖退職は起きやすい」とする分析もあります。
世界75カ国でブリヂストンなど5000社以上にピープルアナリティクスのSaaSを提供しているカナダの企業であるVisierは、次のようにレポートしています。
「従業員の退職は孤立した出来事ではありません。誰かが仕事を辞めるという決断は、ほとんどの場合、周囲の人々に波及効果をもたらします。特に今日の高度に相互接続された職場では、1人の従業員が辞職を決断する背後にある動機は、その同僚たちにも理解されています」
(出典:Turnover Contagion Is Real–and The Clock Is Ticking)
つまり、ひとりではなく複数人で仕事をすることが多く、心理的な結びつきが多い会社ほど、一人の退職が連鎖する可能性が高まります。
「連鎖退職」はチーム規模が小さいほど起きることもわかっています。
「私たちは、チームのサイズに応じて、最初の退職後に他のチームメンバーが去る確率が7%から25%の間で増加することを発見しました」
(出典:Turnover Contagion Is Real–and The Clock Is Ticking)
「連鎖退職」が起きやすい企業の特徴が明らかになりました。
●影響力のある人物がいること
●お互いの仕事の関連性や社員の結びつきが強いこと
「うちにも当てはまる」。そう感じた方もいらっしゃるのではないでしょうか。
「連鎖退職」の種は、「普通の企業」にもあるようです。
人事や経営者の方とは、自然とこんな会話になります。
Aさんを前に出せば採用できる
Bさんがいるから営業部はなんとかなる
Cさんがいなくなったらうちのプロダクトは危ないかも
この調査をもとに人事役員の方数名と話したことがあります。 「早ければ早いほど危機の中でもブレない組織になれる」と、すぐに対策を進めるプロジェクトを立ち上げることになりました。
「連鎖退職」は、どんな企業でも起きる。そう考えた方が現実的かもしれません。
「連鎖退職」を食い止める「未来スピーチ」とは
ひとたび「連鎖退職」が起き始めてしまったら、止めることはできるのでしょうか。
「ドミノ退職」と言われることがあるように、ドミノがヒントになります。倒れ始めたドミノを「早く」止めればダメージが減らせて回復も早いように、「連鎖退職」も「早く」止めることが重要です。
具体的に「早く」とは目安はあるのでしょうか。同じくVisierのレポートには、最初の退職から「1日〜135日」までに「会社に残るための会話」をすることが大切とされています。
「『会社に残るための会話』を行うための重要なタイムフレームは、最初のチームメンバーの退職から1日目から135日目の間です」
(出典:Turnover Contagion Is Real–and The Clock Is Ticking)
あらゆるリスク対処と同じなようです。初動が大事です。
ある職場ではエース社員、しかも管理職のDさんの退職が知れ渡るにつれて、「連鎖退職」が起きそうになりました。
Dさんを尊敬していた後輩は転職活動を始め、Dさんが若手時代から期待していた役員は狼狽えています。そこで社長と人事役員と私で、以下の手順で進めました。
●批判ゼロ:Dさんの退職をタブー視したり、批判したりしない(exあいつは逃げた)
●未来スピーチ:その退職から、組織とチームは何を学び、どう変わっていくつもりなのかを伝える
●キャリア相談:「心配なことがあれば相談できる場」を設ける
従業員の方々の意識に最も訴えかけられたのは、「どう変わっていくつもりなのか」、つまり「未来スピーチ」でした。
次のような言葉を、Dさんが正式に退職を発表した3日目、最初の月曜日に届けました。(管理職の場合は実際に退職するまで時間がかかる場合が多いので、最終出社日に対処することが望ましいです)
「Aさんが退職したことは非常に残念だ。弊社にとって痛手であることは間違いない。残った私たちには不安や不満が残っているだろう。でも、Aさんはきっと弊社を嫌いになったわけではない。またいつか『やはりあの会社に戻ろう』と思ってもらいたい。そのために、力を貸して欲しい。一緒に会社を作り直して欲しい。具体的には、外部の専門家を借りてキャリア相談ができる場を設ける。賛同してくれる人は参画してほしい」
短い文章です。しかし、退職者への批判はゼロであり、これからどうするかの「未来スピーチ」があり、協力を仰いでいます。
従業員の方々も手を挙げてくださいました。中には「Dさんが退職したのは本当に残念だけど、今でもいい会社だと思っている。何かしたい」と思いを聞かせてくださった方もいます。
「連鎖退職」というピンチを、組織を改善するチャンスに変えた事例です。
「連鎖退職」を未然に防ぐ「退職思考」とは
人事、経営に携わっている方であれば、もうお気づきのことと思います。これらの施策が功を奏するには、普段からの準備が整っているからです。
つまり対処療法が効果を上げるには、根本治療、つまり組織づくりの思考が必要です。「連鎖退職」を根本から防ぐ「退職思考」とはどんなものでしょうか?
もちろん、各社によって異なるでしょう。それでも言えることはあります。
逆説的ですが「退職ありき」であり「退職は善でも悪でもない」と捉えることです。
まるでスポーツチームのようです。一流のサッカーチームは、エースストライカーが怪我で離脱しても、競合チームに移籍しても、控えの選手が活躍します。
会社組織もこの状態を目指します。選手層の厚い組織です。
具体的には「ひとりのエース社員にあれもこれもさせていないか」「1人人事や1人経理」といった孤独に仕事をしている従業員はいないかを見直すことから始まります。
この根底には「そもそも社員は退職する生き物だ」という、言ってしまえば諦念があります。しかし、ただの諦めではありません。
「退職ありき」と考えるから、特定の社員に業務や心理的負担が集中していたら分配する。退職者と交流を続けられるアルムナイ制度を設ける。
こういった施策によって「連鎖退職」の種が取り除けます。その先に「弊社はどの社員もエースだ」や「全社員が経営意識を持っている」といった攻めの組織づくりが実現します。
「連鎖退職」は組織が強くなるチャンスです。「弊社にも起きるのではないか」と思考実験に使っていただければ幸いです。
連載を終えて
全6回の連載で「退職マネジメント」の要諦をお伝えさせていただきました。
退職に向き合うことは、気が重い作業かもしれません。
新入社員が配属前に辞めた
期待していた第二新卒がすぐに退職した
中堅社員が育つ前に辞めてしまう
エース社員が引き抜きにあった
管理職が退職するなんて思わなかった
退職が連鎖してしまっている
採用し、育成した社員が会社を離れることは業績や顧客への影響はもちろんのこと、寂しさを感じるものです。
だからこそ、退職へのスタンスをはっきりさせることが求められています。
この連載をたたき台に使っていただき、「うちももっと強くなるために、退職について考えてみるか」と会議の議題にしていただけますと幸いです。
退職をタブー視しなくなった時から、「ピンチに強く選手層の厚い組織」への一歩がはじまります。