IT・スタートアップ領域のM&A動向

最後にIT・スタートアップ業界のM&Aの動向に触れておきたいと思います。

まずは、IT業界(主に国内SIer業界を想定)のM&Aですが、国内市場規模約16兆円、1万5千社のIT事業者、IT人材100万人という環境下で、市場規模は年+2~4%で成長しており、国内で数少ない成長産業となっています。 各企業が、国内の労働人口の減少を補うために、人材に加えてIT分野に資金を投資しているDX化の背景があります。 M&Aの件数は今後も高水準で推移することが予想されます。

一方で、非上場のシステム開発会社で売上10億円以上の老舗企業の譲渡は、あくまで筆者の感覚ですが、一旦落ち着いてきたという感覚です。 2019年~2020年前後と比較すると、売上10億円以下のシステム開発会社の譲渡が増えてきました。

その背景として、売上10億~30億円規模のシステム開発会社の属性として、1980年から1990年前半の期間に創業された企業が多く、先行者利益もあり一気に100人規模の大所帯まで成長した企業が多い点が挙げられます。 当時の創業者の年齢が30代後半~40歳代であったと考えると、ちょうど30年経過し創業者の方が60~70歳を迎えたタイミングでM&Aによってバトンタッチを完了する企業が増えました。

補足すると、1980~1990年代に創業されたシステム開発会社について、当時の企業数は非常に多かったのですが、2008年のリーマンショックを境に、社員数を増やし過ぎた企業は、倒産に追い込まれるケースが目立ちました。 そのため、2008年より以前に創業され、100名以上の規模を誇る会社は、リーマンショックを乗り越えた優良企業が多く、承継先(M&Aの譲受先)には困らない企業が多いことも、バトンタッチが一気に加速した要因として挙げられます。 今後は、2000年代以降に創業された、社員数100名以下(ボリュームゾーンは20~30名規模の会社)のWebシステム(スマホアプリ含む)ベースでの開発を得意とする企業の譲渡が加速することが予測されます。

次にスタートアップ業界のM&A動向です。国内のスタートアップ資金調達額が9,000億円の規模に達し、今後5年で10兆円の規模にまで拡大するとも言われています。 譲渡と買収の2つの側面で「M&A」の活用件数自体は増加することが予測されます。

譲渡の面でいうと、国内スタートアップに分類される企業数は8000~1万社(定義によって変動あり)と言われ、そのほとんどはIPOという出口に向けてVCから資金を調達し、ニトロ的に資金を利用して非連続な成長を目指していくことがメインストリームでした。 一方で、出口となる国内のIPO件数は年間約100社(スタートアップに絞ると年60社ほど)となっており、IPOまで漕ぎつける企業は一握りです。

そのためスタートアップ、主に20~30代の起業家の中には、『自己資金フェーズ』→『VCから資金調達前のフェーズ』→『VCからの調達後、更に調達額を増やしていくフェーズ』と、起業家及び企業が置かれたそれぞれのステージにおいて、経営者としてのキャリア、事業の成長性、属している業界の市場規模の天井、などの要素を勘案し、「IPOかM&Aか?」各ステージで立ち止まって考える起業家の数が増えてきました。

特に上場の主目的は「資金調達」です。上場して調達した資金を何に投じていくのか、自分達で調達した資金を営業と採用に単体で投資していくよりも、既にそのアセットを持っている上場企業グループに入ったほうが、自分達のサービスを早く、広く拡散できるのではないか?と考え、個人のキャリアと同様に、起業家側もIPO以外のキャリアメニュー、価値観が多様化したことでそれぞれの目的に応じてどちらにでも舵を切れる状態を維持して、経営する起業家の方が今後も増えることが予想されます。

例えば、当社で支援させていただき、2022年9月にUSEN-NEXT GROUPに参画(株式会社USEN-NEXT HOLDINGS100%子会社)した、フードデリバリーブランドのフランチャイズ事業を展開する株式会社バーチャルレストラン(現: WannaEat株式会社)は、2021年11月時点、顧客である飲食店などの拠点数は250件でしたが、M&AによってUSEN-NEXT GROUPにジョインした後、2023年8月には拠点数が1000件を突破するなどM&Aによる上場企業グループ入りで、大きな成長を果たしています。 *詳細な解説記事はこちら:「[スタートアップのM&A事例]バーチャルレストランはなぜ譲渡を決断したのか?

上場前のスタートアップ企業による買収も今後増えてくることが予測されます。 その背景にあるのが上記で触れた国内スタートアップ市場への資金流入の増加です。

上場前でも30億、50億、100億円の資金を調達して既存事業を磨き上げるだけではなく、それらの資金をM&Aに投じて、事業セグメントを増やしていこうという企業もでてきています。 メルカリ以降、1プロダクトで上場後、そこから時価総額を上げていくというハードルがより高まっていることも一つの要因として考えられます。

であれば、上場前でもM&A資金を確保できる状況であれば、上場前のM&Aの活用により1事業セグメントから、2~4事業セグメントにまで事業を拡大し、ある程度規模を大きくしたうえで上場をしたほうが、時価総額が上がりやすく、結果的により大きな資金調達が可能になります。

それらを可能にしているのは、VC側が、スタートアップが調達した資金をM&Aに振り向けることに前向きになってきたこと、上場前のスタートアップにも投資銀行出身でM&Aリテラシーが高いメンバーがジョインしていることが挙げられます。 2014年前後では、マネーフォワード取締役の金坂直哉氏や、HEROZ元取締役の浅原大輔氏(現在は退任)などの投資銀行出身者は業界では珍しい方でしたが、それ以降、投資銀行出身の方が上場前のスタートアップに、CFOないしM&A検討チームのヘッドとしてアサインされている事例が多くなっています。

リクルートが採用を企業成長の源泉と捉え、社内の優秀なメンバーを人事にアサインしているように、『究極の人材採用』であるM&Aを成長の源泉と捉えた場合に、多少コストを支払ってでもM&Aを担当するチームに優秀なメンバーを据えるということが、今後、企業にとっての成長のキーファクターになることが考えられます。

例えば、2014年に上場したSHIFTは上場時の時価総額(公開株価)は34億円でしたが、上場後に成長戦略として30件以上のM&Aで企業買収を進め、2023年年末時点では約6400億円の時価総額にまで成長しています。 2023年8月期においては年間9件のM&Aを実施したSHIFTですが、それを可能にしているのが優秀なM&Aチームの存在です。

直近のIRでも開示されていますが、会計士、弁護士、ハーバード、MIT、スタンフォード大学などのビジネススクール出身者などで構成されるM&A専属チームは10名を誇ります。 加えてM&A実行後の統合作業(PMI)を行うPMIチームは15名と、M&A関連チームだけで25名の組織規模はただただ驚くばかりです。

同社で実施された直近の全社アワードでも、6000名に迫るSHIFT従業員の中から同チームが社長賞を受賞している点などを見ると、成長企業におけるM&Aチームの整備とラーニングは、通常の事業活動と比較しても動く金額が大きく、その分会社へ与えるインパクトの観点からも経営者が最優先で取り組むべき事柄といえます。 (*組織人数などは、SHIFT2023年8月期決算説明資料を参考)