全豆連「第11回ニッポン豆腐屋サミットin愛知」パネルディスカッション
(画像=全豆連「第11回ニッポン豆腐屋サミットin愛知」パネルディスカッション)

全国豆腐連合会が主催した「第11回ニッポン豆腐屋サミットin愛知」では、「豆腐屋の未来について語ろう!」と題したパネルディスカッションが行われた。

ファシリテーターに、基調講演も行った日本ファミリービジネスアドバイザー協会の丸山祥子氏、サポーターとして日本豆腐マイスター協会の磯貝剛成代表理事が務め、おとうふ工房いしかわの石川伸代表取締役、川原の川原匡博代表取締役、くすむらの柘植一憲代表取締役がそれぞれ思いを語った。

〈丸山〉今回、「豆腐屋って素晴らしい!」というテーマを豆腐屋サミットで掲げているが、「豆腐屋って素晴らしい!」って本当? という問いから始めたい。

〈石川〉すごくいいテーマだと思う。ただ、「素晴らしい」には意味が3つあると思っている。一つは豆腐というプロダクト、二つ目はパーソン、三つ目はビジネスモデルだ。この3つを今日は深掘りできたらと思う。私は3つとも素晴らしいと思っている。

〈川原〉学校の卒業後、そのまま家業を継いで、何も考えず毎日豆腐を作って、従業員のことを考え、何やってるんだろう、(このままで)良いのかなと思っている。ただ、豆腐を作れば、おいしいと言ってもらえる。その声を聞いてまたお客様が来てくれる。こういう作る仕事は良いものだなと思っている。今日のパネルディスカッションで豆腐屋の良いところをもっと見つけたい。

〈柘植〉一般消費者に感謝される仕事というのは、あまりないと思う。咀嚼やアレルギーの問題で食べられない食品がある人が、牛乳の代わりに豆乳を使うことで食べられたという幸せを感謝されるのは、ありがたいと思っている。

〈丸山〉豆腐の美味しさなどを感謝されたという今の話は、豆腐の素晴らしさだと思う。今日のテーマは「豆腐屋」だ。豆腐屋とは何か。

【豆腐屋とは、第一次産業から第三次産業まで、豆腐を通して色々な展開ができること】
〈石川〉豆腐屋というのは、豆腐を作る以外に、もう一つ特徴がある。我々は、第一次産業で作られた農産物を直接加工できる。例えば、パンは必ず製粉屋が必要だ。豆腐屋は大豆を自分で育ててもいいし、農家や流通から買ってもいい。第二次産業でダイレクトに行えて、第三次産業にあたる、豆腐を直接売るほか、柘植氏のように豆腐料理店まで展開する会社もある。私はこれが豆腐屋だと思う。

〈丸山〉豆腐を通して色々な展開ができるということだと思うが、実際に豆腐料理店を展開している柘植氏は、豆腐屋として何を届けようとしているのか。

〈柘植〉豆腐や豆乳は、肉や牛乳の代わりになる。豆腐は煮ても焼いても生でも良い。うちは懐石料理屋だが、どんなものでも表現できる。その素晴らしさ、食べ方を伝えたい。

〈丸山〉豆腐のさまざまな食べ方を伝えるという話だったが、そもそも豆腐屋はかつて5万軒あったのが、現在5,000軒に減少している状況だ。豆腐屋の未来には何が必要だと考えるか。まずは農業の現状から聞いていきたい。(続く)

【豆腐屋サミット討論2、農業を守ることは豆腐を守ることにつながる】
〈丸山〉豆腐屋はかつて5万軒あったのが、現在5,000軒に減少している状況だ。豆腐屋の未来には何が必要だと考えるか。まずは農業の現状から聞いていきたい。

〈石川〉大豆は国内で17万t収穫されている。豆腐を作るのに大豆は47万t使われている。47万tのうち、9万tが国産だ。つまり、17万tのうち9万t、約半分を豆腐屋が使っている。大豆の8割は輸入、2割は国産だ。農業の面から言えば、遠い場所で作った大豆を遠くから持ってくるよりも、国内で穫れた大豆を国内で消費することが、これからとても大事だ。日本の伝統的な文化を守っていくということであれば、農業を守る=食を守る、そして豆腐を守るということになる。

〈川原〉うちで作っている豆腐の9割は輸入大豆だ。その理由は、スーパー下段の豆腐を毎日たくさん作っているからだ。値ごろな価格を求めるお客様に提供するからだ。国産大豆にシフトしようと思っても、経営的に価格が合わないので輸入大豆になってしまう。

〈磯貝〉とはいえ、川原氏は最近、(国内の)農家と交流を図り始めている。そのきっかけは。

〈川原〉正直に言うと、輸入大豆が高いからもあるが、作った人が誰か分かるのは良いなと感じたから。豆腐を買いに来てくれるお客様の顔が見られる。それは、大豆を作った人を知り、その大豆から豆腐を作ることと同じことだと思った。

〈柘植〉私が国産大豆を使うのは、おいしいから。そして地消地産につながるから。地大豆を使い、おぼろ豆腐の「縁」という商品を作っている。色々な品種を使い、大豆によって大きさや色、香り、甘さ、たん白質量などが違うことが分かった。大豆が変われば寄せ方や炊き方も違う。大豆に個性があり、それを加工する楽しさもあるのが、豆腐屋の素晴らしさのひとつだ。

〈石川〉最近の流れだと、消費者の意見もあり、豆腐業界に限らず産地へ行く。紙に書かれただけの安全性だけでなく、「私が見たから安全」、「私が育てたから安全」の方が信憑性があり信頼性があると、産地や流通、実需者が理解してきた。世間もその流れになり、良い傾向になっている。屁理屈を言う時代は終わった。例えば、輸入大豆を使っているとはっきり言うことはとても大事だ。初めてカナダ産大豆使用と記載した当時(平成15年頃)、他に記載している会社はなかった。なぜ記載してあるのかと消費者に聞かれた。消費者は産地を意識していなかったということだ。逆に、記載したことで意識され、大きく評価された。

【豆腐屋にできることは大豆生産者の存在や役割、おいしさを消費者に伝えていくこと】
〈丸山〉値段を理由に海外産大豆が選ばれることもある中で、国産大豆農家に対し、豆腐屋ができることとは何か。

〈川原〉農家を訪ね、話を伺ったことがあるが、農家は大変な苦労をして大豆を作っている。だというのに、この値段で良いのだろうか、と思った。大規模にやっている農家は少ない。これは適正価格なのだろうか、と消費者に伝えていかなければならない。大豆生産者の存在や役割も伝えていくべきだ。

〈柘植〉「縁」を作った経緯だが、以前は愛知県産フクユタカを使用していた。しかし、全国豆腐品評会や勉強会の中で他品種を知り、大豆問屋の人から見に行こうと誘われたのがきっかけだ。そこで、大豆によって個性が全然違うことや、さまざまな豆腐を知った。私もこんな豆腐を作りたい、消費者に味わってもらいたいと思った。

〈磯貝〉豆腐屋の未来に大豆が必要なのは間違いないが、では大豆さえあれば未来は明るいのか。他に何が必要なのか。(続く)

【豆腐屋サミット討論3、豆腐屋の未来に必要なのは、豆腐が食卓に上る環境】
〈石川〉豆腐屋がいくら気張ってもダメだ。食べるのは消費者だ。1971年に丸美屋食品工業が「麻婆豆腐の素」を発売し、50年以上経った今、麻婆豆腐は給食の人気メニューだ。豆腐屋の未来に必要なのは、豆腐が食卓に上る環境だ。

もっと食べ方を提案しないと、「豆腐が美味しい」というイメージは過去のものになる。3食に加え、おやつや酒のつまみに豆腐がもっと食べられるようになれば、業界の未来は明るいはず。豆腐業界に限らず、食品業界や外食業界を巻き込んで取り組まないといけない。でも豆腐は生き残れると思う。豆腐は大豆たん白源として評価されている最たる食べ物だからだ。

〈川原〉もっと食べてもらうことだ。愛知県では、業務用を多く製造していた会社がなくなり、一部その仕事が当社に回ってきた。こんなに必要とされているのか、と感じた。油揚げも同様だ。当社は元々油揚げからスタートしており、いなり寿司専用の油揚げを作っていたが、今は昔ほど食べられていない。

〈柘植〉当社は高齢女性のお客様が多い。お客様は時間を持て余しており、従業員は商品の話をしつつ、お客様の話を受け止めている。真摯に受け止めてあげることが豊かな食生活に繋がると考えている。また、豆腐にはさまざまな可能性があると思う。新たな活用方法を先に提供できれば、未来はあるのではないだろうか。

〈石川〉昨年、食品衛生法が改正され、豆腐だけでなく油揚げや豆乳、おからドーナツなども作れるようになった。飲料許可や製菓許可が不要となる。豆腐屋に対して、国が理解を示しているということだ。しかし、改正にいっこうに気が付かない事業者や、あれこれ理由を付けて実施しない事業者がいる。このようなチャンスは、他業界では少ない。豆腐屋の未来が明るいことを定義づける大事なポイントだ。

【もし豆腐屋が街からなくなったら、同じ味ばかりになり、街の活気がなくなるのでは】
〈会場の声1〉豆腐屋の未来に必要なのは「チャレンジ」だ。私の店では豆乳どらやきを販売している。今度、フランスのチーズ職人と協働で、チーズ豆乳どらやきを販売し、普段と違う客層にもアピールする。豆腐も同時に販売する。フランスにも、チーズ豆乳どら焼きを持っていっている。

〈会場の声2〉私の場合は、値上げをして楽になった。また、ノウハウを一つでも真似することは大事だ。

〈会場の声3〉ビジネススキルも必要だ。適正価格なら儲かるはずだ。価格を通すためには、量販店に依存しなくてもいい環境を作る必要がある。

〈会場の声4〉我々の店の売上の半分は、おからクッキーだ。おからは捨てられたり、飼料になりがちだが、我々はおからに助けられている。おからは、未来に貢献してくれるかもしれないと思う。

〈丸山〉もし、豆腐屋が街からなくなったら、どうなるだろうか。

〈川原〉豆腐は同じ原料でもそれぞれ違う味になる。同じメーカーの同じ味ばかりでつまらないと思う。楽しみが減ってしまう。

〈柘植〉街の活気がなくなるのではないだろうか。対面で買う良さがある。今やレジもセルフだ。対話がなくなると暗くなり、街が沈む。祭りが開催されなくなり、自治体が機能しない、なんていうことに発展するかもしれない。

〈石川〉Eコマースも増えているが、対面も増えている。これが豆腐屋の文化だ。豆腐を買いに来て、会話を楽しむ場所だった。町の情報源を持っていた。町を元気にする大事なパーツのひとつだった。

〈会場の声〉地域性がなくなるのでは。地域のイベントや、食文化がなくなる。イベントや観光など、豆腐を気軽に楽しめる機会が失われる。豆腐は保冷バッグがないと家に持って帰れない(続く)。

【豆腐屋サミット討論4、文化と結び付く行事の利用で価値がさらに上がる】
〈石川〉豆腐は文化だ。かたい豆腐があるのは、離水しやすい特性がある大豆を使用しているからだ。その地域で収穫された大豆を使って豆腐を作るからだ。やわらかい豆腐があることもまた文化だ。

おいしい豆腐を作ることも大事だが、使っている大豆に「どんな豆腐になりたい?」と素直に聞けるような豆腐屋がいてもいい。その地域で食べられている豆腐を作り続けることに価値がある。高野豆腐は、やわらかい豆腐だと作ることができない。個性が大事だ。それぞれの地域で豆腐が残らないとならない。

〈東田和久会長〉任意団体べに白会で、遠い昔から、立春大吉豆腐と夏越豆腐を作っている。京都府豆腐油揚商工組合では、上賀茂神社の夏越の日(6月30日)に豆腐を振舞っている。長年続けているので、お客様も知ってくれている。豆腐には、立春や夏越の日に食べると穢れや厄を流してくれるといういわれがあり、続けている。

神社では無料で配っているが、店では期間限定で販売している。その豆腐を待っているお客様が現れている。豆腐は日本の文化と結び付いている。そのようなイベントをいかに利用するかで、豆腐の価値がさらに上がるのでは。安売りするだけが豆腐ではない。

【豆腐屋の未来のために、豆腐の食べ方を広め、マーケットを拡大、感謝の気持ちを持つ】
〈丸山〉最後の質問になるが、豆腐屋の未来のために、あなた自身は何をするか。

〈柘植〉当社は創業109年だ。継続が大事だ。儲けて地域貢献しつつ、後継者作りが必要と感じる。今45歳だ。あと20年何ができるか、考え始めている。未来を考えた末に結論を出し、行動することが必要だと思う。

〈川原〉50歳になり「10年先どうしよう」と悩んでいる。決して暗い未来にはしたくない。しかし、胸を張って「家を継げ」とも言えない。そのことをさみしく思う。答えは分からないが、何か始めようと思っている。店を持とうと思いつつ、一歩を踏み出せない。今回、実行委員長を務めることで、一歩踏み出せると思った。未来を自分で切り開こうと思う。

〈石川〉60歳を過ぎ、次の世代をどう導くかという立場だ。冒頭に述べたプロダクト、ビジネスモデル、パーソンの3つについて話したい。

1つ目について、植物性たん白質の有効活用において、世界が大豆たん白に注目しているが、決して肉の代替としてではない。230億円規模の日本の代替肉市場は、3年後に700億円規模になるといわれていたが、そうならないとの見方が増えている。

日本人は元来、肉食文化ではない。色々食べてきた民族だからこそ、もっと自由に考えよう。大豆ミートという豆腐の食べ方をもっと広めるべき。豆腐を原料として供給している人がどれだけいるだろうか。原料として活用する発想があれば可能性はある。儲かった時代の影を引きずり、手売りすればいいという考えはいまだに残っている。

一方、新規で入ってきた大手はそこだけにとどまらない。豆腐をデザートやバーとして販売している会社もある。飲食店向けの焼き豆腐専門の会社もある。生き残る道はある。

安くないと食べられない人もいるので、安売りは反対しない。安売りしている豆腐と同じレベルのものを作らず、違うものを作れば、安い豆腐があってもいいではないか。全てのものを満たすことはできない。安売りを認めることも大事なことだ。それができればビジネスモデルとして成功している。

豆腐屋は没個性になっていないだろうか。目隠しして食べたとき、自分の作った豆腐だと分かるだろうか。マーケットはまだまだ広げられる。変に小さくまとまらないことが大事だ。戦後、豆腐屋の軒数が戦前の3倍に増加した。それだけ敷居の低い仕事だったが、今は自ら敷居を上げている。異業種などを迎え入れられるようなビジネスモデルを作っていかなければダメだ。

最後にパーソンだ。このビジネスモデルを受け入れてくれる人をもっと増やそう。国産を使いさえすれば売れるというわけではない。日本の農業のことを考えて国産大豆を使用するようになれば、その豆腐屋の豆腐は必ず売れる。自分のためだけの商売をするのは豆腐屋ではない。

戦後の豆腐店の軒数が戦前の3倍になったとき、先人たちはこの状況を許した。多くの人たちが潤うのであればどんどん参入して欲しいという気持ちを持ち、国産大豆の生産にかかわる人々に感謝できれば、お客様にもありがとうと言える。

豆腐屋は対面の仕事だ。対面の仕事の基本のキは「ありがとう」を言うことだ。どんな企業であっても、従業員、購入者、原料を生産する人や販売してくれる人、届けてくれる人など、全ての人に感謝の気持ちを持てればこの業界は滅びない。

一番大事なことは、豆腐業界人として、日本の食品業界や社会に対して「豆腐屋があって良かった」と言えるようにしないとならない。

〈会場の声5〉やはりお金が必要だ。賃金を上げないと業界は良くならない。ロンドンで食事をした際、3食で90ポンド、日本円で約1万6,200円かかった。日本は貧乏だと思った。物価や賃金が上がっていないからだ。豆腐は20年前、約100円で販売されていたのをピークに、現在の平均価格は約60円だ。付加価値を上げていくのが大事だ。もっと価格を上げていかないとならない。でないと給料も上がらない。

〈会場の声6〉文化を知ってもらうために、福井県で油揚げの「あげフェス」を開催する。文化を伝えることは大事だ。油揚げの価値を伝え、油揚げの価格を上げ、給料に還元することで未来につなげていく。豆腐の歴史は3,000年にもなり、形を変え現在に伝わっている。「良いものを作っている」と自分たちで理解し、価値を伝え、価格を高くして販売することが大事だ。

〈柘植〉役場や商工会を活用しているだろうか。助成金や補助金の制度もある。調べてみれば一助になると思う(終わり)。

〈大豆油糧日報2023年11月9日付/11月20日付/12月6日付/12月14日付〉