本連載では目標管理と人事評価について、牛久保潔氏にストーリー形式で数回にわたり解説してもらいます。ワインバーを舞台に、新任最年少課長に抜擢された主人公の涼本未良と共に目標管理と人事評価について分かりやすく学べます。
登場人物
あらすじ
突然最年少女性課長に抜擢された未良は、栗村マスターによるバーでの勉強会で目標管理と人事評価の基礎を学び始めた。
学んだ知識を活かしながら課内のメンバーの協力を仰ぎ、紆余曲折ありながらも課内の目標達成計画が完成した。すると課内に変化が…?
今までのお話を読む
第1回「そもそも人事評価とは? 新任最年少課長が挑む目標管理の基本」
第2回「目標管理評価制度の基本と運用ポイントとは? 新組織スタートで揺れる営業二課」
第3回「目標達成計画の作り方とは? 焦る心と家族の温かさ」
第4回「目標から目標達成計画をどう落とし込む? バーのリモートオフィス化計画を例に詳しく解説」
第5回「目標達成計画の難易度はどう設定する? 質問会でこれまでの疑問を解決」
第6回「OKRとは? 実際に目標達成計画を立てるため、質問会は続く」
第7回「目標達成計画に基づく仕事結果をどう評価するか いよいよ職場で実践」
第8回「目標管理評価制度の運用で、年功ではなく成果によって評価が決まる 目標達成計画を課内に公開しプラスに活かす」
第9回「目標達成計画から評価表を作るには? 退職願の意味」
第10回「成果評価とスキル評価とは? フィードバックの仕方を学ぶ」
山が動く
「あっ、未良!」
堀越がトイレに入ってきた涼本に声をかけた。
「朱里、おつかれさま」
「ねぇ、田島さんの、見た?」
「田島さん?」
「目標達成計画! ……ほら、この間、土井さんが強く言ってくれたじゃない。たぶんあれがきっかけだと思うんだけど、さっき見たら、目標達成計画に添付ファイルがついてて、受注の経緯が詳しく書かれてるよ」
「ホント? それ、最高に嬉しい……。戻ったらすぐ確認してみるね! 土井さんにも感謝だな……」
「うん、そうして! ……恋しちゃいそう?!」
堀越が悪戯っぽく聞いた。
「え? 土井さんに? ……やめてよ、ない! ない!」
未良は顔の前で腕を振った。
「違うよ、田島さん!」
「あのねっ、絶対にないっ!」
未良は、両腕で大きくXを作り大声をあげた。
「あはは……。でも良かったね、少しずつ山が動き始めたって感じ……」
「ホントだね! ほんの少しね……。でも自分でもビックリだな!
仕事のことで、こんなに嬉しい気持ちになるなんて……」
「へぇ、すごいな、そんな風になれるんだ……」
「うん、不思議……」
「これまでボク、担当者の中で、高い実績を上げた人が課長になって、課長の中で高い実績を上げた人が部長になるって思ってました。でも外から営業二課を見ていると、最初は未良に対する反発も多かったし、今でもあるとは思うんですけど、最近、若手がいきいきしているし、実際、未良に対していい評判を聞くんです」
丹羽が栗村に言った。
「わ~、照れる~!」
未良が両手で顔を押さえた。
「ポジションが人を作るって、本当なんですね。……未良はこれまで驚くほど高い実績を上げて来た訳じゃないけど、いい課長になるような気がするんです」
「やだ~、丹羽くんどうしちゃったの~?」
未良が丹羽を強く押した。
「私も、『いい選手がいい監督になるとは限らない』って聞いたことある~!」
美宇が目を丸くして言った。
「この場合、逆に、『ひどい選手がひどい監督になるとは限らない』……じゃない?」
丹羽が笑うと、未良が、「ちょ、ちょっと、ひどい選手って……」と、首をかしげながら眉を上げた。
「……この図を見てください。人材の実績価値と期待価値って聞いたことありますか?」
栗村が見回して言った。
「実績価値……と、期待……価値……?」
未良と美宇が首を振った。
「……これまでお話してきた目標管理評価制度は、実際の成果、つまり実績に基づいて評価するものでしたね?」
「はい……」
「実績価値っていうのは、そうやって過去の決められた期間の実績を対象として見る人材価値のことで、業績に直接つながっている分、賞与などに反映し易いものなんです。一方、期待価値っていうのは、将来にどのくらい期待できるかという未来の長期的観点で見る人材価値のことで、能力やコンピテンシー、考え方などを重視していて、昇降格の検討に適するって言われます」
「なるほど……」
「高い実績を上げた人が上にいくというのは、考え方としてはとても分かり易いんですが、実績には賞与で応え、昇降格については、実績に勝るとも劣らず、能力やコンピテンシーを重視するというのもいい考え方だと思いますね」
栗村が言った。
「じゃあ、未良は能力とかコンピテンシーを高く評価されたってことだ!」
美宇が手を叩いて喜んだ。
「ちょっと! 私にそんなのないこと知ってるでしょ?」
「いやいや、丹羽くんの話では課の雰囲気も変わってきたみたいだし、未良さんはまわりの雰囲気を明るくする能力があるから、可能性は大いにあると思いますよ!」
栗村が微笑んだ。
「『あの人は仕事ができる』って聞いたりしますけど、その場合はどっちの価値をイメージしてるんですか?」
由貴が聞いた。
「ううん、難しい質問ですね。話す人の気持ち次第だとは思いますけど、『仕事ができる』と言っている以上、業務の結果を見ている訳でしょうから、実績価値を指していることが多いんじゃないでしょうか。……じゃ、せっかくだから、ここで、よく言われる『人材価値』っていうものも見ておきましょうか」
「何だか面白そう!」
美宇が座りなおして言った。
「この表を見てください。人材価値を、社内基準とマーケット基準の二軸にしたものです。由貴さんが言った、『あの人は仕事ができる』っていうのは、今お話したように社内基準と言えるでしょうから、赤い点線の領域にプロットできます」
「一方、人材紹介会社の方などが、『売れる人材』という言葉を使ったりします。これは転職マーケットで買い手が付き易い人材ということですから、マーケット基準と言っていいでしょう。図では青い点線の領域にプロットできます。……そしてここで大事なのは、できる人材と売れる人材はイコールじゃないっていうことです。しかも、絶え間ない経営環境の変化などによって、人材価値は両方とも変化し続けています」
「はい……」
「もちろん、重なる部分はありますが、違う部分も多くあります。例えば、ある会社では、長いプロセスを一人で担当するスタイルで業務を行っていて、幅広く知識や経験が求められるのに対して、別の会社では同じ商品やサービスを取り扱っていながら、それぞれのプロセスを別々の人が担当することで、幅は狭くても深い知識や経験を持つ人材を必要とすることがあります。あるいは、銀行員が出来上がった財務諸表をもとに的確な経営判断をできたとしても、自分で財務諸表を作れなければ、経理部門への転職は難しいでしょう」
「要するに、ある会社ではできる人材と見られても、マーケットにでると高く評価され難いということも起こりますし、中には、わざと自社の社員が他社に転職し難いように、担当業務の切り分けを考えている会社もあります。つまり、人材価値は環境と需給で決まり、絶えず変化するものであって、絶対的なものではないということです」
「なるほど、一言で、『価値』と言ってもいろいろあるし、それを評価しようと思えば、いろいろな見方が必要になるんですね。……この前、『最終的な評価は、評語や点数のほかに、文章もあるといい』っておっしゃっていたのは、こういう理由もあるんですね」
未良が頷きながら言った。
「その通りです! ですから、できるだけ、『あの人はできる』とか、抽象的に言うのではなく、『こういう面で優れてる』、『こういう環境において力を発揮してくれそう』などと具体性をもって話せるといいですね」
「そうですね、そう思います」
翌日。
「ごめんなさ~い。せっかく経験者採用の目標達成計画作ってもらったのに、いらなくなっちゃったんです~」
遅い時間になってワインバーに合流した美宇がニヤニヤしながら言った。
「え? どういうこと?」
未良が驚いて顔を上げた。
「あのね、経験者採用はもう一人も採らないんだって……」
「え? それ初耳だな。今日の部内ミーティングでも人が足りないって言ってたのに……」
丹羽が首をかしげた。
「どこかの会社を買収するらしくて、一気に人が増えるから、もう暫く経験者採用はストップするって……」
「そういう事情ですか……。もしかしたら人が足りない故の買収かな? じゃあ、美宇さんも新卒採用の方を?」
栗村が聞いた。
「新卒採用もペースを落とすらしくて、さっき、人事部長に『採用の業務がなくなっちゃうけど、これからどうする?』って聞かれたんです。私、前に、買収の時って管理系の人を減らすって聞いたことがあったから、すぐに、『あ、これって肩叩きに違いない』ってピンときたんです。それで一度、あ、いや、二度、トイレに行ってよく考えてから、『今、一年後に向けて目標管理制度を準備してますけど、それって本当は買収の時までに済ませて、買収と同時に両方の会社に導入する方がいいんじゃないですか』って言ったんです。それから栗村さんに教えてもらったことを思い出しながら、『こうしましょう』、『ああしましょう』っていろいろお話したんです。そしたら人事部長が、私をジロジロ見て、『驚いたな。よく勉強してるな。……じゃ、まずそのチームに入ってもらおうか』って!」
美宇が満面の笑みで言った。
「それで笑顔なのか。何か変だなって思ったよ!」
丹羽が膝を打った。
「私が部長を動かして自分の運命を切り開いちゃったって思ったら嬉しくって……。だって、初めて嫌味じゃなくて褒められたもん……」
「それって、すごいじゃない! 美宇、ホント、格好いい!」
未良が美宇の方に腕を伸ばし、手を叩いた。
「あの……、ええと……、管理部門がいらなくなるのは、普通、買収される側で、する側ではないんですけどね」
栗村が微笑んだ。
「え……? そうなんですか? ……じゃあ、私、何したんだろ? 人事部長を思い直させたんじゃなくて、自分から大変そうな仕事に飛び込んじゃったってこと……ですか?」
美宇がこめかみに人差し指を当てて困った表情を見せた。
「でも、堂本さんに美宇の存在感を伝えることができたんじゃない?!」
丹羽が言うと、「そうだよ!」と、未良と由貴も大きく頷いた。
「じゃ、よかった! ……それで私、これから未良の課をお手伝いしながら、もっといろいろ勉強しなくちゃって思ったの」
美宇はそう言うと、栗村の方に向き直り、「……という訳で、もう暫くここにおいてもらえますか?」と続けた。
「ボクからもお願いします。もっとみんなで勉強を続けましょう! おいしいまかない作りますから……」
丹羽が見回して言った。
「はい、はい、みなさんが良ければ、もちろん私はいいですよ! 一緒に勉強を続けましょう」
栗村も笑顔で答えた。
営業二課、ミーティング。
「田島さん、資料ありがとうございました」
「ん……? ああ……」
「拝見してとても勉強になりました。代理店にアプローチするにも、通常の窓口からキーマンを探し出す努力をする一方で、人脈を使いタイミングを狙って、上層部にアプローチしたり……。それに正式提案までのプロセスも強く意識されていて、回数もほかの人に比べてだいぶ少ないようです」
「課長さん、そんなの基本の基だぞ……」
「部長もされた田島さんにはそうかもしれません。でもそれをできている人は少ないと思います」
「読ませてもらったけど、経験積んでるだけのことはあると思ったな……」
宝田がつぶやいた。
「……まあ、参考にしたけりゃするがいいさ……」
田島がかすかに表情を緩めた。
「……みなさんも知っての通り、私には人脈も専門知識も足りなくて、これから習得するにも長い時間がかかってしまいそうです。……なので、営業二課では今後、こうしてお互いの目標達成計画や成功例、失敗例を最大限活用しながら、みんなの底上げを図っていきたいと思います」
未良はそう言うと、メンバーを見回し、
「……そして、『正しく評価をしてもらえる課』、『適切な評価をしてもらえる課』というのを目指していきたいと思います。適切な目標設定とか、目標達成計画とか、評価なら、私でも頑張ればきちんとできるような気がするんです」と続けた。
「……〝目標管理と評価の二課〟か。……まあ、悪くない」
田島が言うと、「そうですね!」と土井も微笑んだ。
「ありがとうございます。ご協力どうぞよろしくお願いします!」
未良はメンバー一人一人と目を合わせ、笑顔で頭を下げた。
~完~