アックスヤマザキ山崎氏「逆境での覚悟、子ども向けミシンで業界に新風」
(画像=GLOBIS知見録)

MBAの真価は取得した学位ではなく、「社会の創造と変革」を目指した現場での活躍にある――。グロービス経営大学院では、合宿型勉強会「あすか会議」の場で年に1回、卒業生の努力・功績を顕彰するために「グロービス アルムナイ・アワード」を授与している(受賞者の一覧はこちら)。今回は2021年「変革部門」の受賞者であるアックスヤマザキの代表取締役、山崎一史氏にインタビューをした。(聞き手、文=竹内 秀太郎)

社長交代式での「宣言」

竹内:この度はアルムナイ・アワード受賞、本当におめでとうございます。連絡を受けた時の率直な感想について、お聞かせいただけますか。

山崎:率直にとても嬉しいです。ミシン業界が衰退していく中でヒット商品を出せたことを、このように「よくやった」と言ってもらえるのは、本当にありがたいです。社員もすごく喜んでくれました。

在学中にアルムナイ・アワードの存在を知ったときは衝撃を受けました。卒業後の結果を見てもらえるのだ、自分も頑張ろう、と。今は、受賞に相応しい者にならなければと責任を感じます。

竹内:山崎さんは2015年に先代のお父様から社長職を引き継がれましたが、幼い頃から家業のミシン会社を継ぐことを期待されていたのでしょうか。

山崎:父から継げと言われたことはありませんでしたが、祖母からは折にふれて「あんたは長男やから」と言われてきました。ミシン会社の家系で育ってきましたし、いざという時には自分が何とかしなければと考えていたのは確かです。

私はそもそも、性格的にこうと決めたら突き進むタイプなんです。しかし家業に入るまでは、どこにパワーを向けたらいいのかわからず、モヤモヤしながら過ごしていました。大学卒業後、別の会社に就職して3年が経ったある日、父から話があると言われました。実は会社は大変なことになっている、自分には立て直す自信がないと聞かされ、ショックを受けました。

それまでの父は、弱音を吐くような人物像とは正反対でした。身長180センチ、体重100キロの巨漢で、強気な発言で押し通してきた人間です。その父から出てきた言葉のギャップがあまりにも大きかった。自分がやれる何の根拠もないんですけど、とにかく私がやらなければと思って家業に入ったんです。

竹内:2005年に入社され2015年に社長を継がれるまでの間は、もがき苦しんだ時期だったと伺っています。

山崎:あるのは気持ちだけでした。得意先を訪問し話をして、改めて現状の厳しさを知りました。当社はミシンメーカーでは最小規模の会社です。その売上げが3分の1ぐらいに急落した状況で、いったいどうしたらいいのか、正直途方に暮れました。

当時は、まだ父が社長だったのですが、利益よりも売上げを重視するスタンスを貫いていました。2013年以降のアベノミクスで為替が急激に円安に振れ、逆風が強まりました。しわ寄せが一気に来たのが2015年で、最悪の場合、1億円の赤字を抱える可能性が出てきました。会社をたたむという選択肢がなかったわけではありませんが、諦めないで、とにかくやれることやってみようと考え、社長を継ぐことにしました。

とはいえ、いくら粋がっても、口だけでは誰もついてきません。そこで期限を設けて覚悟を示すことにしました。「社長就任の翌期には黒字にできる業態にする。それができなかったら社長失格。全部責任はとる」と、社長交代式で社内に宣言しました。

竹内:実際に黒字化できる見通しはあったのでしょうか。

山崎:見通しと言えるほどのものではありませんでしたが、新商品として考えていた「子ども向け毛糸ミシン」をヒットさせることは大前提でした。売上げ追求から、粗利追求に変わることも必須だったので、粗利を倍にしようと社員に伝えました。

脱“二重人格”、開き直ってヒット連発

マスクを手軽に作りたいとのニーズを掴み大ヒットとなった「子育てにちょうどいいミシン」
(画像=マスクを手軽に作りたいとのニーズを掴み大ヒットとなった「子育てにちょうどいいミシン」)

竹内:子ども向け毛糸ミシンに加え、コロナ禍でマスクを簡単に作りたいというニーズを掴んだ「子育てにちょうどいいミシン」も大きな支持を集めました。新商品のヒットが続いた背景には何があるとお考えですか。

山崎:自分が何と思われようが構わないと、開き直れたからだと思います。社長就任前は、こうした方が面白いと自分で思うことがあっても、周りを気にしてブレーキをかけていました。本来の性格は、「俺がやってやるぞ」というタイプなのに、仕事においては慎重すぎるいわば”二重人格”だったのです。ミシンメーカーは当社以外に5社ほどしかない小さな業界なので、内向きになったのもあるかもしれませんが。

本来の自分は違うのだとはっきりと気づかせてくれたのは、学生時代の同級生でした。社長就任前の3カ月間、私は同級生に「山崎一史とは何ぞや」と聞いて回りました。一緒に過ごしていた頃、どんな奴だったのか、今はどう思っているかと尋ねました。共通して出てきたのが「普通とはちょっと違う奴」というものでした。普通、これはないと思うようなことを強引にでもひっくり返す人間だとか、できっこないと思うことをやってしまっても不思議ではない人間だ、という答えです。

小学校や中学校の頃は「おもろかったらええやん」みたいな感じで過ごしてきた。そこに、自分の良さがあったのだと気づかされました。ところが私は、仕事では自分らしさを全て押し殺していたのです。そんな人間が社長の会社など絶対うまくいかない。むしろ私が私らしく私のよさを出せば、もしかしたら面白いことが起きるのではないか。そう思うようになったのです。

ミシン自体の将来性がないとか、業界最小とか言われても、それらを「おもろいんちゃうの」という発想に変えて、何とか巻き返してやろう。「おもちゃのミシン、めちゃおもろいやん」と言われるようにしよう。そう考えることにしました。

竹内:それで毛糸を使ったミシンの開発につながったのですね。

山崎:実はグロービスの「イノベーティブ・ストラテジー(当時、現在は内容をアップデートし『イノベーションによる事業構造変革』の名称で開講中)」のクラスで、子ども向けミシンのコンセプトを考えたのです。小学校の授業でミシンは操作が難しいと苦手意識を持ってしまう子どもが多いのです。そこに市場が広がらない理由があるとコンセプトを考えたときに気づきました。

それで課題を解決するために、思い切ってミシンを子ども用の玩具にしようと考えました。失敗したら「おもちゃなんか出して」と批判されたと思います。でもそんなことより業界的な課題として、現状を放っておいてはいけないと思ったんです。ミシンが世の中の役に立つためにはどうしたらよいかという、しっかりとしたストーリーをつくり、人生をかけて絶対にやりたいと思いました。

竹内:グロービスの入学は2010年、社長を継がれる前のタイミングです。入学までのいきさつを教えていただけますか。

山崎:2005年に家業に入ってしばらくして、当時の自分のレベルでは何もできないことに気づきました。そんな時、知人からグロービスの体験会に行ったら面白かったという話を聞き、参加することにしました。「クリティカル・シンキング」などで紹介される思考法に触れ、これは絶対通うべきだと考えたのです。

ミシン業界をなんとかしたいという強い気持ちがあったのも大きかったと思います。入学オリエンテーションの1分スピーチでは、業界を変革させるヒントをつかむためにグロービスの門を叩いたという話をしたのを今でも覚えています。目的ははっきりしていました。

竹内:入学の時点から、業界の変革に意識が向いていたのですね。そして、実際に「イノベーティブ・ストラテジー」のクラスで子ども向けミシンのコンセプトを考え、ヒットにつながりました。

山崎:卒業後、子ども向け毛糸ミシンの製品化まで3年かかりましたが、発売後、品切れになり、電話も殺到し、売り切れで手に入らないから1台だけどうしても分けてほしいと、わざわざ和歌山から会社まで買いに来てくれた人もいました。

結果につながった時、社員の目が変わりました。子育てにちょうどいいミシンがヒットした時も同じです。熱烈にミシンが求められていることを実感できたのは、何よりも代えがたい経験でした。

竹内:ただ、子ども向けミシンを出すことに、お父様は反対されたそうですね。

山崎:会社を潰す気かと言われました。イメージが湧かなかったのかもしれないですし、私も伝えるのが下手だったのかもしれないです。最終的に毛糸を使ったミシンにたどり着きましたが、それまでの試作品はプラスチックの針を使うものなど、いわゆる「ごっこのごっこ」みたいなもので、それでは売れなかったと思います。毛糸型のミシンのテストをしたとき、子どもたちがケンカして泣きながら取り合いをしたんですよ。それを見て「いける」と確信しました。

山崎一史
(画像=山崎一史)

ユーザーの声に触れ、面白いミシン10連発を

竹内:ユーザーの生の声には厳しい意見があるものですが、新商品がヒットしたのは、真摯に耳を傾ける姿勢を続けたからだと思います。

山崎:「ミシンなんていらない」「部屋の雰囲気に合わないから隠す」といった声を直接聞くと、ショックじゃないですか。誰かにとってもらったアンケートを見るのとは違い、自分事になれますし、何とかしようと本心で思える。あんなこと言われた時のあの顔って忘れないじゃないですか。それが迷いを消してくれるのです。

竹内:新商品のヒットが続き、社会からも注目を集めるようになりましたが、今後アックスヤマザキをどのような会社にしていきたいですか。

山崎:継続性のある会社にしたいです。社長になる直前の会社は、つま先で立っているイメージで、風が吹いたら倒れてしまう「絶対にあかん」状態でした。今は体質改善を進め、粗利率は20%程度から昨年は49%に高めることができました。堅実な財務基盤をもち、新製品の開発に注力したいです。

私がトップにいる限り、企画開発力、面白いことへのこだわりに関しては負けたくないという意気込みでいます。世の中にないような面白いミシンをこれから10年かけて10連発ぐらい送り出して、もう一度ミシンが「一家に一台」あるようにしたいです。

竹内:最後に読者にメッセージをお願いします。

山崎:自分自身まだまだですが、諦めなかったら、できないと思われていることでも、わずかでも変えることができると思っています。目的もなく、学んでいるばかりで、何もやらなかったら、学びは宝の持ち腐れになります。私ができたのなら、他の方もやれると思うので、自信を持って、後悔しない道を選んでほしいと思います。

竹内:大変貴重なお話、ありがとうございました。

(執筆者:山崎一史、竹内 秀太郎)GLOBIS知見録はこちら