社会保険労務士の枠を超えた活動で中小企業を支援し、
25名規模の事務所へと成長させた村松貴通氏。
〝社会事業家〞と呼ばれる村松氏の志を紐解きます。
両親や職人の思い出が、社労士を志した原点
私の実家は造園業を営んでいて、幼少期からいつも
電話番をしながら、懸命に働く職人たちや父の姿を見ていました。
毎日、泥だらけで汗まみれ。
働くことの大変さを目の当たりにするとともに、
子ども心に「いつか自分も働く人の役に立ちたい」と感じていました。
社会保険労務士という資格を知り、
社労士になろうと決めたのは、高校2年生のとき。
少子高齢化や年金、外国人労働者といった社会問題は、
当時から取りざたされていました。
人が好きで、働く姿に魅力を感じていた私は、
「社労士は会社も労働者も、みんなを幸せにできる仕事だ」と考え、
この道を志したのです。
東京の大学で法律を学んだ後は、地元・静岡県浜松市の信用金庫にUターン就職。
すぐに社労士にならなかったのは、さまざまな企業を見て視野を広げたかったからです。
その点、信用金庫は地域の中小企業をくまなく回り、
経営者や従業員と膝を交えて付き合うことができます。
また、「地元の企業のために頑張りたい」という思いもありました。
社労士として独立開業したのは、2002年、25歳のとき。
若くして開業した方が、より多くの出会いに恵まれ、
より多くの企業を救うことができると考えたのです。
徹底した現場主義と、士業の枠を超えた支援
開業時、具体的な経営計画はありませんでしたが、
「一代で職員20名くらいの事務所にできたらいいな」という青写真は描いていました。
おかげさまで、この目標は開業から10年ほどで達成することができました。
お客様ゼロ、売上ゼロからのスタートでしたが、
ここまで成長できた原動力は、徹底した〝現場主義〞です。
開業当時は今ほどインターネットが普及しておらず、集客の主流はDMかFAX。
しかし、そんな資金はありませんから、できることといえば飛び込み営業でした。
そこで、雨の日も風の日も、スーパーカブのハンドルを握り、2年間で約1万件を訪問。
門前払いもたくさんありましたが、信金で学んだ根性で回り続けた結果、
だんだんと経営者から相談を受けるようになりました。
現場主義の原点である企業への訪問は、現在も定期的に続けていて、
その様子は事務所のホームページで『現場リポート』として紹介しています。
当社は今年、開業20周年を迎えます。
常に心の根底にあるのは、「世の中に元気とインパクトを与えたい」という思い。
自営業者の息子というルーツと、人が好きで、
働く人にエネルギーを与えたいという気持ちが、私を突き動かしてきました。
多くの企業を見てきて実感したのは、経営者のニーズに応えるには、
手続きや給与計算業務だけでは不十分だということ。
そこで、当社が労務環境を審査し、
一定の水準を満たした企業に認定マークを付与する『プラチナホワイト企業認定』、
独自カリキュラムで若手経営者や後継者を育成する経営塾、
全国の人事制度の成功事例を地元に紹介する『浜松人事フォーラム』の開催、
文部科学省人材確保支援事業の実行委員に就任するなど、
士業の枠にとらわれない事業も積極的に行っています。
また、より幅広くアドバイスできるよう、2015年から2年間大学院に通い、MBAを取得。
2020年には、SDGs公認ファシリテーターも取得しました。
最近、私は社会保険労務士ではなく、〝社会事業家〞という肩書きを使っています。
これまで以上に顧問先の役に立ち、社会に元気を与えるためには、
「社労士という肩書きをなくしたときに何ができるか」が重要だと考えているからです。
そして、これまでとは違う世界に一歩踏み出したときに、
逆に社労士という資格が価値を帯びてくるのではないでしょうか。
働きやすい環境を整備し、女性の活躍をサポート
事務所の職員は現在25人ほどいますが、全員女性です。
私の苦手な細かい計算や書類作成を的確に遂行してくれるおかげで、
私は労働トラブル対応やコンサルティング、従業員教育などに集中でき、
新たな挑戦にも安心して取り組めています。
「女性ばかりだと、まとめるのが大変では?」と言われることもありますが、
職員が力を発揮できる職場づくりは、経営者の大切な仕事です。
例えば、基本的な労働時間は設定しつつ、
ライフスタイルによって出勤や退勤時間は自由、
中抜けもOKなスーパーフレックスタイムを導入。
さらに、年間休日は125日で、有休取得率はほぼ100%。
しっかりと休日を確保しているからこそ、
自然とチームのなかで調整しながら、助け合って業務を進めてくれます。
子育てなどで同じ苦労してきた女性同士ですから、お互いの大変さが理解できるのです。
また、半期に一度は全員と面談しますが、業務の細かいことには口出しせず、
現場に任せるという方針がうまく機能しているのかもしれません。
もちろん、職員同士で何かあった場合は、私がクッション役になって話を聞きます。
要所要所で懇親会を開催したり、
誕生日や仕事の節目にはケーキを全員にプレゼントしたり、
基本的な気遣いも大切にしています。
社会に元気を与える、名実共に輝く事務所へ
現在は、日本全国からオンラインで相談が来ますが、
すぐに現地訪問が必要な場合は、
各地の信頼する社労士事務所と提携してサポートしています。
事務所を大きくして支店展開することは考えていません。
浜松にしか拠点がないことで、事務所のカラーが濃くなり、
ブランド力を高めると思うからです。
規模や売上を追い求めるのではなく、
「事務所があることで、みんが元気になる存在」になること。
そして、それを継続することが私の責任です。
訪れた人に元気を与えられるよう、
事務所の玄関には私の原点であるスーパーカブを展示しています。
また、絵画などで美術館のような空間を演出。
サービス面や事務所の空間、職員の接客、
どれを取っても「人を呼べる事務所」であることを目指しています。
事務所が輝いていれば、おのずと人が引き寄せられますから。
事務所の価値を強固にするには、地道な努力を継続しなければなりません。
経営に近道などなく、自己研鑽、健康管理、社会貢献すべてが不可欠。
世の中の改革に挑む経営者が増えるよう、
お客様と共に、「負けてたまるか」という根性で頑張りたいと思います。
【村松流オフィスづくり】
〝見せる〟オフィスで訪問者に元気を発信!
社会保険労務士法人村松事務所では、
サービス面だけではなく、オフィスに来ただけで元気になれる事務所を目指し、
村松氏の原点であるスーパーカブや絵画を展示。
1万件の飛び込み営業を実行した村松氏のエピソードに
「勇気をもらいました」と話す人も多いという。
- プロフィール
1977年生まれ。中央大学卒業後、信用金庫勤務を経て2002年に25歳で独立開業。
1万件以上の企業を訪問するなど徹底した〝現場主義〟で中小企業を支援。
人事制度や採用支援など幅広くサポートしている。