主観的/客観的とはどういう態度なのか
「それって主観的な見方だよね。もっと客観的にながめないと……」。
ビジネス現場のやりとりでは、よくこんなフレーズが出てきます。このことは暗に、客観が主観より優れていることをにじませているようです。しかし、はたしてそうでしょうか。
主観と客観は哲学的に(特にフッサールを中心とする現象学の分野で)議論を始めると、とても難解な概念になっていきます。本稿ではそうした次元にはあえて入らず、普段の生活や職場において「主観的に考える/客観的に考える」とはどういう態度であるのかをおおまかにつかみ、よりよい仕事を生み出すためのヒントを得ていきたいと思います。
考えることは、知・情・意にまたがる広範で複雑な作業です。時に正確に分析し、時に熱く受け取り、時に固く信じる。そういった複雑な混合によって思考は生まれます。その物事が何であるかをとらえる思考には、いやおうなしに個別志向性があります。生きる環境や教育、経験、性格などの違いがそうした思考の傾向性やレベルを決めていきます。
主観的に考えるというのは、まさにこの個別志向性にまかせて物事をつかんでいこうとする態度です。言うなれば「地のままに考える」で、そこに感覚的な把握や評価が入っていたり、信条的な判断が入っていたりしてもよいものです。
それに対し、客観的に考えるというのは、各人が個別に持つ傾向性を抑え、感情や勘といった不安定なものを排除し、その物事自体を冷徹に認識しようとする態度です。そして、できるだけ多くの人が共通了解できそうなとらえ方を目指します。そこでは必然的に分析的・論証的な思考となります。客観的な思考の最たる例は、一般化できる法則を追求する科学です。
客観を超えていく偉大な事業家たち
さて、そこで「それって主観的な見方だよね。もっと客観的にながめないと」のフレーズがにじませる「客観が優で、主観が劣か」の問題です。
往々にして主観的な意見がダメ出しされるときは、もののとらえ方が表層的で偏っていたり、根拠のない決めつけであったりします。確かにそういうときは、客観に立つことが求められるでしょう。
しかし、ビジネスやキャリアにおいて、客観は最終的に目指すべき態度ではなく、むしろ客観を超えて意志的に主観を持つことが目指すべき態度であるとも言えます。そうでなければ、ほんとうに深く強い仕事はできませんし、心から納得のいく独自のキャリアは具現できません。
例えば、「事業」をどうとらえるか。
事業とは何かを考える場合、まず客観的に定義するなら辞書を引けばいいでしょう。『広辞苑〈第七版〉』にはこうあります───「事業とは、一定の目的と計画とに基づいて経営する経済的活動」。
客観的定義とは、いわば世の中の多くの人がとらえる最大公約数的な部分を抽出して表現することです。辞書の言葉はその典型です。この最大公約数の部分で物事の解釈を行なうことは間違いがないという点で安全ですが、別の角度から言えば没個性に陥ることでもあります。
また、「事業とは、一定の目的と計画とに基づいて経営する経済的活動」という辞書の定義を持ったとしても、どこからも事業への意志はわいてきません。客観的定義は、知・情・意のうちの知は満足させても、情・意に刺激を与えるものではありません。
では、偉大な事業家は事業をどうとらえるか。
松下幸之助は「(松下電器産業にとって)事業とは人づくりである」と言いました。また本田宗一郎は本田技術研究所の社長に就任した際、「(ここでの)事業は、どういうものが“人に好かれるか”という研究である」と言いました。これらはその人なりの深い咀嚼がなされた主観的な定義です。客観を超えたところで意志的につくり出した宣言です。
客観は物事をとらえる土台・手段
表層的な決めつけや感情的な偏見ではなく、深い把握・深い決意から出る主観であれば、それは独自性としてむしろ研ぎ澄ませていくべきものです。哲学者ニーチェは、「この世界に事実というものはない。ただ解釈があるのみ」と言いました。私たちは結局、主観的解釈で自分の生きる世界を決めていくのです。
客観や論理・科学は、物事をとらえる土台として、また、多くの人を納得させる手段として重要なものですが、それ自体は目的を与えてくれるものではありません(もちろん科学者自身は、万人に説明がつく理論を構築することが職業上の目的になっていますが、その観点はここでは脇に置きます)。
肯定的な意味での「主観的に考える」、すなわち、物事に力強い自分なりの解釈を与えること。これによって目的・意味が創出されます。これこそが独創性豊かで強い仕事・キャリア・事業を生み出す源泉と言えます。
主観が客観を超えるまでの3つのフェーズ
以上を踏まえ、物事のとらえ方を3つのフェーズに分けて整理しておきましょう。
フェーズⅠは「フワフワした主観」。この状態はいまだ思考が脆弱であり、ここに留まっているかぎり、自分がいくら感情的にその事業アイデアに熱を上げても、周囲を説得できないでしょう。ただ、時代をなんとなく感じている、流行の変化を漠然と認識するといった場合はこのフェーズでも十分ではあります。
自分の意見を通す、自分のアイデアに周囲を巻き込むといったことが必要なときは、2番目の「固い客観」フェーズに入らねばなりません。思考の地固めは分析や論理を通じて、万人に説明がつく根拠を示すことです。
そしてこの固い地面を踏み台にして意志的に跳躍する。それがフェーズⅢ「客観を超える主観」です。その独自の主観は、当初は誰も理解する人がいないかもしれません。でもそれが後に万人を感服させる考え方になる場合もあります。───「そうか、そういうものの見方があったか!」「こんな●●見たことない! ●●の概念が変わった!」と言わしめる偉大な商品・サービスは、常に一人の人間の偉大な主観から生まれたものです。
【補足】研修の現場から~「仕事とは何か」を自分の言葉で定義する
私が行なっている研修・ワークショップでは、物事の定義化セッションを設けています。さまざまな題材を与え、「〇〇とは□□□である」と自分の言葉で定義し、絵で表現してもらいます。題材は例えば次のようなものです───「仕事」「事業」「成長」「創造」「自律(自立とどう違うのか)」「仕事の幸福(仕事の成功とどう違うのか)」など。
以下に、「仕事とは何か」を題材にしたときの受講者から出てきた答案をいくつかあげます。さて、あなたならどう仕事を主観的に定義し、仕事に対しどう意志をわかせるでしょうか。
(執筆者:村山 昇)GLOBIS知見録はこちら