「安い、うまい」だけじゃない~くら寿司が驚きの変貌
東京・浅草で回転寿司チェーン「くら寿司」が変貌を遂げていた。巨大な空間に白木で屋根を組み上げた浅草ROX店。高級感あふれる風情でも、お値打ち価格はそのままだ。
流れてきたのは、今が旬の「極み熟成桜鯛」(220円)や「たっぷりうに手巻き」(220円)。客は、一変した店の雰囲気にお寿司の味も格別だという。
今まで「くら寿司」といえば、食べ終わった皿を5枚入れてチャレンジするゲーム「ビッくらポン!」でオモチャがもらえ、子供に人気を博してきた。浅草店の白木でできた「ビッくらポン!」は、当たりが出ると、射的や輪投げが楽しめる。
江戸時代の祭りの楽しさをモチーフにしたこの店は、2020年、国内で初めて、内装デザインを知的財産として保護する「内装意匠」に登録された。
大阪・道頓堀。4月22日、ここにも白木造りの「くら寿司」道頓堀店がオープンする。目玉は入り口で客を迎えるこのカラフルなちょうちんだ。サムライ代表でクリエイティブディレクターの佐藤可士和は、やって来るなり「白が青いね。光が冷たい」と、客が写真を撮った時のことを気にしていた。さっそくライティングを調整。「ほとんど『自分が客として来たら』という視点だけで考えています」と言う。
今、可士和が取り組んでいるのは、「くら寿司」の本格的な海外展開を見据えたモデルとなる店作りだ。日本文化の発信とコロナ対策を意識したのれんのボックスシート。回転レーンの周りの席を全て個室にする計画だという。
「すごくプライベート感があると思います。世界中の人が期待する日本文化を存分に感じられるように演出するのがいいと思います」(可士和)
可士和はこれまで、世界市場を攻める「ユニクロ」の戦略、「セブン-イレブン」に並ぶ膨大なPB商品、さらに「楽天」といった錚々たる企業のブランド戦略を担い、企業を成功に導いてきた。以前の取材で、それらの企業のトップたちは可士和をこう評していた。
「我々のようなインターネットの会社にとって、クリエイティブは最も重要なものの1つ。だから可士和さんをトップにイメージ戦略をやっている」(「楽天」三木谷浩史会長兼社長)
「彼の感覚は非常に優れている。こういう人になら新しいアイデアを提供してもらえるのではないか、と」(「セブン&アイHD」鈴木敏文名誉顧問)
例えば「楽天」は、年商180億円だった頃に可士和と組み、今や1兆4500億円に成長。売り上げ4400億円だった「ファーストリテイリング」は2兆円企業に。さらに可士和が手がけた「セブン-イレブン」のPB「セブンプレミアム」の売り上げも3倍以上の1兆4500億円となった。
佐藤可士和の大改革に密着~客の心を魅了する仕掛け
「くら寿司」の田中邦彦社長は、可士和に会った時、あることに驚いた。
「何回も長時間に渡ってインタビューされました。まず一番に言われたのはコンセプトです。どういう思いなのか、ひたすら聞かれたと思います」。
そこで田中社長が伝えたのは「くら寿司」の原点とも言える、古き良き日本の家族で楽しむ食文化への思いだった。
「大袈裟に言えば、日本の昔の良さを伝えたいという思いがあったが、一般のお客様に伝わっていないのではないか。そこで佐藤可士和さんにお願いしました」
最初に取り組んだのが、店の看板であるロゴの刷新。これまで進出した地域によってデザインもバラバラだった。そこで可士和は「くら寿司」の目指す思いを詰め込み、海外戦略も意識したロゴを作り上げた。
「日本伝統の江戸文字というのがあり、墨で書けば記号として世界中の方が和食だと理解できる。世界中の人が瞬時に『くら寿司』だとわかるようにとデザインしました」(可士和)
旗印となるロゴを決める一方、可士和は店舗を回り、驚くような指摘もした。
「ポスターをベタベタ貼るのは良くない。佐藤さん曰く『本当に伝えたいことがこれを見ても分からない。伝えたいことが伝わっていないのでは意味がない』と」(「くら寿司」田中信副社長)
可士和は店内をつぶさに見て回り、客目線で様々な指摘をした。
「調味料をテーブルの上に置いた方が使いやすいと思っていたのですが、お客様からすればテーブルが狭くなるからなくそう、と。いかに工夫して客に快適な空間を提供するか、我々も考えているが、佐藤さんははるか先を行っている」(田中副社長)
可士和がこだわるのは、客が抱く印象。ロゴを起点にあらゆるイメージを変えていった。
新しくオープンする西東京市の田無駅前店に運び込まれたのは、可士和がデザインした新しい皿。以前のものに比べて、ロゴがしっかりと見えるようにし、寿司のネタがきれいに浮き立つデザインに一新した。さらにテーブルには調味料や割り箸を収納できる収納スペースを新設した。
可士和はメニューにまで細かい指示を出したという。厨房で試作していたのは、可士和が特にこだわったという高価格帯のスイーツ。これまでデザートには、寿司と同じ低価格のものしかなかった。「さくらパフェ」(528円)など、高級路線のスイーツを「クラロワイヤル」と名付け、専用のロゴをデザインした。
「佐藤さんがこだわったのがパッと見た時の高さ。レーンの高さ制限があるので、目いっぱい高くしてくれと。また色合いは3色以上使うようにと教えられました」(田中副社長)
新しいスイーツはどうあるべきか、ここでも客目線を徹底していた。
一方で、客には無関係とも思えるデザインも。ダンボール箱のデザインからかつお節のパッケージ、社員が使うクリアファイルまで可士和がデザインしていた。社員の身の回りのものへのデザインにも大きな意味があると考えているからだ。
従業員は「(可士和がデザインしたエプロンを着て)この制服を着るだけで会社を背負っている気持ちになります」「ブランドへの思いは高まったし、お客様により良いものを提供したい思いが高まりました」と言う。
単にイメージを変えるだけでなく、全社員の意識を変える。そうしなければ結果は出ないという。
「僕はブランドを作るお手伝いをしていますが、本当にブランドを作るのは社員です。会社の人たちの活動がブランドを作る。まず社員が自分の会社のブランドを好きになってくれないと活動に結び付かない。作ったロゴをどう活用するかがクリエイティブディレクションなんです」(可士和)
釣り具メーカーが大変貌~「入魂ロゴ」で躍進の秘密
佐藤可士和に仕事を依頼し、ビジネスが大きく拡大した企業がある。
女性の釣りファンに人気の機能性の高いウェア。その高性能を象徴するのが「ダイワ」の「D」をあしらったロゴだ。このロゴを可士和が生み出した。
知名度こそ高くないが、製品の信頼性から釣りマニアに支持されていた釣具ブランドの「ダイワ」。ところが可士和が作ったロゴに変更して展開すると、「格好いい」「オシャレになった」と、評判は一変した。かつては「Daiwa」と表記され、釣り好きには当たり前だったロゴが変わることで、一気に客層が広がった。ロゴに変更して以降、売り上げが200億円も増えたという。
「ロゴが変わって全てのデザインが変わってきたので、可士和さんの力が大きいと思います」(千葉・流山市「キャスティング」南柏店・梅田将彦店長)
この日、佐藤可士和がやってきたのは東京・港区の「ダイワ」のショールーム。だが、商品棚には釣竿やリールが見当たらない。並んでいるのは日常使いできそうなウェアやデザイン性の高い服。可士和は「ダイワ」に、アパレルへの進出を提案したという。
「ふと気づいたら、釣りのファッションには、他のアウトドアに比べて手が入っていない。すごく疑問に思って、ブランドを表現するメディアとしてアパレルは大事、そういう取り組みをした方がいいのではないか、と」(可士和)
「すごく細くて強い糸を布地にしている」と言うのは「ダイニーマ ライダースジャケット」(8万8000円)。頑丈な生地には、強靭な釣り糸を作る技術が応用されている。また「フィッシャーマンズニット」(3万1900円)は、釣り具で培った撥水加工を施した濡れないニット。釣り竿の技術を使った驚くほど軽い傘まである。
「釣り以外のお客さんにもダイワブランドの成り立ちを知っていただく製品であり、コミュニケーションのメディアかもしれません」(可士和)
可士和の提案で始まった高機能のアパレルは、今や表参道に「D-VEC TOKYO EXCLUSIVE」という店を構えるまでに至った。
1958年に創業した「ダイワ精工」(現「グローブライド」)は、長年の釣り人口の減少に苦戦し、可士和に会社の立て直しを依頼した。
「一目見ただけで分かるようなロゴの変更をやってみたらどうかと水を向けられました」(「グローブライド」鈴木一成社長)
可士和が始めたのが徹底的な社内調査。社員へのヒアリングから、ものづくりの現場まで。ダイワブランドはどんな強みを磨き生き残ってきたのか。「ダイワ」の企業価値の核となるものを探していく。そこでつかんだのが、精密なリールやカーボンのシャフトを作る先進的な技術力だった。
「ギアのクオリティーは最高レベルだと思います。『ダイワ』の技術をどう可視化していくかを考えました」(可士和)
そして新たな「ダイワ」の象徴として作り上げたのが、高い技術力と先進性を強く打ち出した「D」のロゴだったのだ。
「素晴らしいと思いました。幾何学的で見た目も精巧にできている」(「グローブライド」小島忠雄名誉会長)
「これを見た瞬間すっきりしました。これでコンセプトが1つにまとまった」(鈴木社長)
「D」のロゴを武器に「ダイワ」は、釣具から、その技術力を徹底的に生かしたアパレルへとビジネスを拡大した。ロゴの力で企業を劇的に変える。これが可士和の真骨頂だ。
SMAPも手掛けた~格闘30年の歴史が大集結
可士和がロゴを手がけた東京・港区の国立新美術館。いまそこで異例の人気となっている展覧会が開催されている。
館内に並ぶのは、2000年代に可士和が手がけたSMAPのプロモーショングッズ。メンバーの写真を一切使わず、当時大きな話題になった。ニューヨークで可士和が展開した「ユニクロ」の巨大な屋外広告も。開かれているのは佐藤可士和30年の軌跡を集めた「佐藤可士和展」(5月10日まで)だ。
「ホンダ」の「ステップワゴン」の広告キャンペーンの前で、可士和が語る。
「今回展示している広告キャンペーンで一番古いものです。子供と一緒に『ステップワゴン』で行く先には、こんなに楽しい世界が待っているという世界観を主役にしています」
競合他社が車の性能をアピールするなか、可士和はその常識を覆してみせた。
「その商品、家族の車の本質は何かを考えて、そこを深堀りして、相手の中から答えを見つけ出すことが初めてできた仕事なんです」
客を驚かせるのが、壁一面に慣れ親しんだ巨大な可士和のロゴが並ぶ空間だ。
「ここにあるロゴは日常で目にしているので、社会におけるロゴの存在感をどう表現したら皆さんに伝わるかを考えて、スケールを上げて巨大化することを考えたんです」
しかもこれらの巨大ロゴには秘密が。「各ブランドの特性を表した素材で作ってある」と言うのだ。例えば「ダイワ」のロゴは釣り具で使われるカーボン。「今治タオル」のロゴはタオル生地でできている。
シンプルで人を惹きつける可士和のロゴ。その原点は少年時代にあった。
佐藤可士和は1965年に東京で生まれる。建築家だった父親の影響もあり、小学生の頃から企業のロゴを落書きするなど、その片鱗を見せていた。
スタジオでは可士和が小学5年生の時に描いた『宇宙』という作品が披露された。それは直線で表現し、どこか神聖な世界観を感じさせるものだった。
「直線が多い」「原色が多い」と、そのデザインの特徴を指摘した村上龍に、可士和はこう答えている。
「直線は子供の頃から好きで、自然界にないもので、人間にしか分からない概念。ある意味でその力を使ってデザインしているのかもしれないです。自分でも、小学校の時に考えていたことと今と、ほとんど変わってないと思います」
※価格は放送時の金額です。
~村上龍の編集後記~
佐藤可士和さんは、小さいときから絵を描くことが大好きだったらしい。建築家である父親の図面や、大学教授だった祖父の原稿など、ところ構わず絵を描いていた。なぜかトヨタは依頼してこないような気がします、と聞いたら、ホンダと契約しているんで、と笑顔で答えた。ずっと絵を描き続けて、現在、大規模な個展を開いている。失敗らしい失敗もない。性格も、誰からも好かれる。たまにそういう人がいる。完全無欠、なのだ。
<出演者略歴>
佐藤可士和(さとう・かしわ)1965年、東京都生まれ。1989年、多摩美術大学グラフィックデザイン課卒業後、博報堂入社。2000年、博報堂を退社し、株式会社サムライ設立。
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