『ASEAN M&A時代の幕開け』

本記事は、日本M&Aセンター海外事業部の著書 『ASEAN M&A時代の幕開け』(日経BP 日本経済新聞出版本部)より一部を抜粋・編集しています。

相手の会社ではなくオーナー個人を評価する

ASEAN企業とのM&Aに興味を持っていただけただろうか。では、日本企業が買い手でASEAN企業が売り手という一般的なケースで、M&Aの実際のプロセスと重視すべきポイントについて本章では説明しよう。まず、全般における留意点を示しておきたい。M&Aで最大のカギとなるのは、オーナー個人の人物そのものである。

大手企業は、相手の企業を主に分析する。一方、中堅・中小企業は、相手企業のオーナーを見る。オーナーは株主であり、CEO(最高経営責任者)であり、従業員を養う一家のあるじという存在だ。国内でも海外でもこれは変わらず、中堅・中小企業はオーナーですべて決まる。そのため、オーナーの人柄、能力、そして長所短所をよく観察して、はたしてペアを組める人物であるかどうかを判断することが大切だ。その際は悪いところばかりに目を向けず、良いところをさらに伸ばせるか「美点凝視」の姿勢を取りたい。

相手を観察するためには、M&A交渉の過程で密なコミュニケーションを取ることだ。

特に、言葉も習慣も異なる外国人オーナーが相手ともなれば、積極的に関係を築く努力が必要とされる。できるだけ現地へ足を運び、共に過ごす時間を持とう。M&A成約までは最低半年、長ければ1年以上かかる。とりわけ海外M&Aは、国内M&Aと比べると時間がかかり、成約までのハードルが高い。交渉の間には、相手が感情をむき出しにするシーンもあるはずだ。日本人と違い感情表現がストレートな人物も多い。

「そんな細かい事業計画なんて、作ったことはない。提出は無理だ」
「ウチなら来年は倍の利益を出す。なのにこの買収金額は納得がいかない」

そのようなときは、こちらまで感情的にならずに交渉することを心掛ける。本音が見えた貴重な機会と思い、相手の感情に寄り添い理解を示すことも必要だ。ただし、日本人的なあいまいな対応は解決につながらない。ノーのときはノーと速やかに主張する。もし暗礁に乗り上げそうになったら、M&Aアドバイザーをうまく使って冷却期間を置く方法もある。

信頼関係が築けたら、ぜひM&A成約後にもその関係を生かしたい。

売り手企業のオーナーには、買収後も引き続き経営陣のトップとして残ってもらう。例えば大手企業だと、売り手企業の経営者はしばらくしたら退き、買い手企業は新たな経営者を送り込む。そして経営スタイルの変革に挑んでいくのが常だ。しかし中堅・中小企業の場合は、売り手企業の経営者の采配ぶりを評価して買収するのだから、買収後も数年間は会社経営に携わっていただき、軌道に乗せる手助けをしてもらったほうがよい。引退の意向があるならば、徐々に一線から引き揚げる方式を取ればいいことだ。その間に、現地の法制度や商習慣を学び、海外子会社をスムーズに軌道に乗せるほうが負担は少ない。

このように、オーナーの人物そのものが深く関わってくる。M&Aはよく結婚にたとえられるが、幸せな結婚生活に向け、相手選びには力を注ぎたい。

日本と現地にパイプを持つアドバイザーを活用し、案件を選ぶ海外M&A案件を選ぶ際、どのようなルートで相手企業を見つけるかという問題もある。

ポイントは、相手オーナーの顔が見える交渉ができるかどうかだ。譲渡企業のオーナーの人物評価がカギとなるため、オーナーと対面できることが、M&A交渉を始めるうえでの最低ラインとなる。

ところが、日本企業には現地企業と直接アクセスする方法がない。そのため、M&Aのサイズで50億円以下の案件は、現地のブティックと呼ばれる小規模仲介業者を通じて、アプローチ先を模索する。しかし日本企業と取引のあるブティックは限られるため、そこを入口に別のブティックや現地の金融機関、会計事務所へとリサーチの範囲を広げていくことになる。これでは、いくつものブティックが間に入ってしまい、肝心の現地企業と対面できるまでにかなりの時間と労力がかかる。まず良い結果を生まない。

では、ブティックを介さずインターネットで案件を探す方法はどうか。
「会社売ります」の情報は、頻繁にインターネットに出回っている。出回り案件と呼ばれるが、掲載されている売り手に対し、接触している会社の数もどこまで話が進んでいるのかもわからない。優良案件ほど競合も多いが、そもそも優良案件がネットで公開されることは稀といえる。ネットで探すなら、信頼できる企業の情報に絞って検討することだ。

競争入札の形で売買を成立させる入札(ビッド)案件もある。参加企業は、日本だけでなく中国、韓国など外国企業も目立つ。競合の多さは出回り案件以上だ。しかも売却価格が最優先の決定要因になってしまい、企業の潜在成長力や肝心のオーナーの特性などの分析が後回しになってしまう。あまりお勧めできない。

最も頼りになるのは、日本企業と現地企業、それぞれとネットワークを築いているM&Aアドバイザーである。
M&Aアドバイザーのなかには、超大手の世界企業を相手にする外資系投資銀行に所属する者のほか、大手日本企業を主な対象とする日系大手証券、メガバンク、大手監査法人系の者がいる。しかし彼らが手掛ける案件は大型で巨額なM&Aばかり。当社のような中堅・中小企業にパイプのあるところは、希少といえる。

大手からスピンアウトし、個人で開業している者もいる。とはいえ、ASEANのブティック、M&Aアドバイザーの水準はまだ低く、案件情報の品質にばらつきがある。むろん良心的なところもあるが、経験という点では見劣りする。 このため、現地M&Aアドバイザーを利用する際は、日本企業側で全体のスケジュールを把握し、M&Aのプロセスを主導していく必要がある。

ASEAN M&A時代の幕開け
日本M&Aセンター海外事業部 編著
1991年日本M&Aセンター創業。事業承継にいち早く着目し、中堅・中小企業向けにM&Aを通した支援を行う。 2013年、海外M&A支援業務に注力した海外支援室を設立。2016年シンガポール、2019年インドネシア、2020年ベトナムとマレーシアに進出し事業部として拡大。ASEAN主要国をカバーし、シンガポールでは最大級のM&Aチームに成長している。

編著者代表
大槻昌彦(おおつき まさひこ)
日本M&Aセンター常務取締役 兼 海外事業部事業部長
大手金融機関を経て2006年入社。主に譲受企業側のアドバイザーとして数多くのM&Aに携わり、自社の東証1部上場に主力メンバーとして大きく貢献。現在は海外事業部をはじめ、日本M&Aセンターグループ内のPEファンドやネットマッチング子会社等、M&A総合企業としてのグループ会社全体を統括する。

尾島 悠介(おじま ゆうすけ)
日本M&Aセンター 海外事業部 ASEAN推進課 マレーシア駐在員事務所 所長
大手商社を経て、2016年入社。商社時代には3年間インドネシアに駐在。2017年よりシンガポールに駐在し現地オフィスの立ち上げに参画。以降は東南アジアの中堅・中小企業と日本企業の海外M&A支援に従事。2020年にマレーシアオフィス設立に携わる。現地経営者向けセミナーを多数開催。

この章の執筆者

尾島悠介
株式会社日本M&Aセンター
マレーシア駐在員事務所長
尾島悠介(おじま・ゆうすけ)
大手商社を経て2016年日本M&Aセンターに入社。商社時代には3年間インドネシアに駐在。入社2年目よりシンガポールを中心にマレーシアやタイ、フィリピンのM&A案件を取り扱う。
現在はシンガポールを拠点に、アジア諸国の中堅中小企業と日本企業との海外M&Aに従事。2020年3月よりマレーシア駐在員事務所長に就任。