熊本でナースをしていたところからTBSテレビ勤務を経て、50歳を目前に起業した合同会社バンカ代表の宮崎愛伎代(みやざきあきよ)さん。順風満帆に見える宮崎さんですが、父親の事業失敗を機に借金とりに追われ、両親が離婚するなど、波乱万丈な出来事の連続でした。それでも「どんなときでも笑顔でいる」という宮崎さんが、苦しい状況をどうやって乗り越えてきたのか、詳しくお話を伺いました。 |
どん底だった中学生の私を救ってくれた言葉
私は、プロモーションプランニング・グラフィックデザイン・イベント企画・制作・オンラインサロンの運営など、幅広い事業を手掛けています。今は起業家として活動していますが、もともとキラキラした世界とは無縁の生活をしていました。
私の父は会社の2代目として事業を経営していたのですが、事業に失敗してある日突然、豊かな生活から、借金取りに追われる生活に一変してしまったのです。私は、10歳でした。それから両親は離婚し、母と3姉妹で熊本に引っ越しをして、新しい生活を始めました。
母は、朝早くから働いていたので、私が妹たちの面倒を見ることになりました。小学生ながら、幼稚園への送り迎えやお弁当作りなどをこなしていて、まるで小さなお母さんのようでした。
私が中学生のときに、妹が登校拒否になりました。泣き叫ぶ妹を引きずって登校させ、小学校の校門に押し込んでから中学校に通う毎日。この時期は、私も精神的にかなり追い詰められていました。妹との無理心中まで考えるような、今考えるとノイローゼ状態だったと思います。
そんなときに、テレビで偶然『テレビ寺子屋』という講演を聞く番組を見ました。その中で、小学校の元校長である吉岡たすく先生の言葉に触れ救われた私は、「話で人を救えるんだ」と実感しました。その瞬間、私は講演家になりたいと思うようになりました。
しかし、熊本在住・母子家庭の私がすぐに講演家になるのは難しいと考え、手に職をつけて、母を安心させるためにナースになることを決めました。ナースの仕事は天職だと思い、日々励んでいました。
看護師長として小さな病院で働いていた時、近所の児童養護施設の子どもたちと、彼らの母親のように仲良くなりました。そこで彼らがお母さんを恋しがっている、切ない場面を何度も目にしました。
私自身も母子家庭で育っていたので、「施設に預けるお母さんと自分の母親は何が違うんだろう」と考えたときに、「私は出来る!」と思える“自己肯定感”の違いではないかと思いました。そこで、ナースを続けながら、自己肯定感を高めるためのセミナーや、心からの笑顔に繋がるイベントを始めました。
私は小学校の頃に“笑顔の練習”を始めてから、魔法のように良いことが次々と起こりました。こうした実体験を通じて、心からの笑顔を引き出すために必要なことをセミナーやイベントで伝えていました。
TBSのイベントプロデューサーを経て独立
そんなある日、とあるきっかけでTBSテレビの方が私の活動を見学に来てくれたのです。そこで私の夢を語ったら「やる気があるなら来てください」と言ってもらえて、イベントの修行をする機会をいただきました。
私は、“たまたま”のことを“魂魂”と読んでいるのですが、その頃、たまたま離婚することになり、東京へ移住しました。最初はフリーランスとして働き始め、その後に契約社員として約10年間 TBSテレビに勤め、イベントプロデューサーになりました。
そして50歳を前にして、何となく人生の転機を感じていました。そのときに、なんだか背中を押された気がして、自分の会社を立ち上げることに。独立当初は、TBS時代にお付き合いのあった企業さんなどのイベントなどを手がけていました。
そこから、現在は各種デザインやプロモーション・イベント企画・制作のほか『全国選抜高校テニス大会』のアドバイザーとして約7年間関わっています。最初は大会事務局から「手伝ってほしい」と依頼されましたが、元々テレビ局でプロモーションや広報、協賛社対応をしていた経験を活かしてアドバイスを行い、翌年から正式にアドバイザーとなりました。
仕事のパートナーであるデザイナーの息子に、私は「自己肯定感のお化け」と言われています。もちろん落ち込むこともありますが、そのリカバリー力がお化け級だと(笑) そのため、本当に立ち上がれない人の気持ちに寄り添うために『アドラー流メンタルトレーナー』の資格を取得し、エニアグラム心理学カウンセラーにもなりました。
これまでの縁を大切にし、一つひとつの仕事に真摯に取り組んできました。その結果、創業してから営業活動をすることなく仕事を続けています。その中でも、「講演家になりたい」という夢は心のどこかに常にありました。
ある時、男性経営者の方に私の夢を語る機会があり、「講演家になりたい!そしてテレビ寺子屋に出演し、私も話で多くの人を救いたい」と話すと、「僕の友達がテレビ寺子屋に2回出ているので紹介します」と言われました。その方は、高校2年生のときに体の41%にヤケドを負った古市佳央(ふるいちよしお)さんという講演家の方です。
古市さんと初めてお話させていただいたときに「僕が主催している女性講演家のコンテストのエントリー締め切りが今週末ですよ」と言われて、女性講演家のコンテスト「キラキラ女性講演会2023」に出場を決めました。そして嬉しいことに優勝することが出来たのです。
その時、運命や使命は、必要なときに必ず現れるものなんだと感じ、「講演家として人の心を明るくしたい」という、子供の頃からの夢に導いていただいたと実感しました。
日本一の講演家を目指して
現在は、事業と並行して『ハッピーマイスター養成所』というオンラインサロンを運営しています。このサロンでは、周りの状況に惑わされず、自分や周りの人を明るく照らす“最高の福笑顔”を身につけ「良いことも悪いことも、自分や人の良い所も悪い所もオールOK」で生きる、在り方や物事の捉え方、行動に近づける情報を発信しています。
私自身、父の事業の失敗を経験し、「当たり前のことは当たり前じゃない」ということを学びました。そのおかげで、すべてのことに感謝し心から笑えるようになり、人生が大きく変わりました。「人は鏡」と言いますが、やっぱり笑っていれば、相手も笑顔になります。要は、自分が一番得するんですよ。
幼い頃から現在に至るまで、数えきれないほどの人に助けられてきました。それも笑顔のおかげだと思っています。毎日、“ヒントのふりかけ”となるようなメッセージを発信したり、交流会で直接お伝えしたりしています。オンラインサロンに参加しているメンバーの顔がどんどん明るくなるので、笑顔の力は本当にすごいと実感します。
次の目標は、『テレビ寺子屋』に講演家として出演することです。私自身が救われたように、テレビを見ている自分の状況を悲観している人を1人でも多く救いたいと考えています。そして“日本一の講演家になること”が私の夢です。
また事業家としての目標は、「シニア版キッザニア」をつくることです。高齢化が進むなか、「生涯現役」の理念を掲げ「まだまだ自分には役割がある」と思える元気なシニアがたくさん増やし、彼らが得意なことを人に伝えたり、みんなが集まれる場所を提供したいと考えています。
正直、どうやって実現させるかはまだ分かりませんが、まずは目標を掲げることが大切だと思っています。これからも、一人でも多くの人を心からの笑顔にするために、自分の使命を楽しみながら果たして参ります。