昨今、大きな問題となっている「後継者不足」に端を発し、日本では事業承継の多様化が進んでいる。その中でとりわけ注目を集めているのが第三者への承継、いわゆるM&Aだ。
これまでは親族への承継や親族以外(役員、従業員)への承継、それが難しい時の選択肢としてM&Aを検討する経営者が多かった。しかし今は、事業成長や事業存続のためのファーストチョイスとしてM&Aをセレクトする経営者も少なくない。
実際にM&Aで会社を売却した経営者はなぜ、その方法を採用したのか。
連載「The WAY|私が会社を売却した理由」第2回目は、父の後を継ぎ約60年にわたって漁業・卸業の企業を経営してきた日之出漁業株式会社の近藤大治郎氏に話を聞いた。
(2022年7月取材)
漁業は「ギャンブル性の高い仕事」
1936年、遠洋漁業の街として栄えた静岡県焼津市で生を受けた近藤氏は弟2人、妹6人の9人兄弟の長男で、父は船主家系の3代目。子どもの時から家業を継ぐことを意識しており、高校は焼津水産高等学校に進学しました。
卒業後は会社を継ぐために、父のもとで漁師としての道を歩み始めました。1961年に結婚し、後に2人の息子と3人の娘の5人の子宝に恵まれますが、同年、父が他界。海の仕事を離れて父の事業を相続することになりました。
それから長い間、経営者として漁業・卸業の事業を継続。しかし、漁業は社会情勢に大きな影響を受ける「ギャンブル性の高い仕事」のため、2人の息子には「継いでもらわなくてもいいと思っていた」と言います。
ここ10年ほど、さまざまな要因によって漁獲量が下がり始め、2020年にはコロナショックが起こりました。そうした状況下で近藤氏の心の中に「廃業」という選択肢が浮かぶようになりました。
そして、手元にある資産を家族に残せないかと考え始めーー、ここからは自身の言葉で振り返っていただきます。
3ヶ月という短い期間で株式譲渡が実現
近藤氏は語ります。
「24歳の時から数十年間も会社を経営していると、良い経験もあれば、さまざまな目に遭うこともありました。特に漁業はとてもギャンブル性の強い仕事だったため、2人の息子には無理に継いでもらわなくてもいいと思っていました。
そのため、息子たちは海洋高校に入学したとはいえ、大学に進んだ後は水産や漁業と全く異なる業界に就職しましたし、それに対して私から何かを言うようなことはありませんでした。
三陸でさんまが獲れなくなってきているという話題がニュースになることがあります。この理由は主に2点で、地球温暖化の影響で海の流れが変わってきたことと、中国やロシア、そして韓国の大型船が私たちのテリトリーにまで進出していることが挙げられます。これはさんま漁だけでなく、マグロ漁にも大きな影響を及ぼし、漁獲量の低下に繋がっていきました。
また、2020年のコロナショックは、私の引退への気持ちを後押ししたように思います。80歳を過ぎた年齢で新たに設備投資をするのは、あまり現実的とは言えません。いつまで健康でいられるかも分かりませんし、元気があるうちに手元にある資産を家族に残してあげたいと思うようになりました。
ちょうどその頃、自宅に証券会社からM&Aの案内が届きました。今まで何度もそのような営業資料が届いては他人事のように捉えていたのですが、今回ばかりはそうも思えず、中身に目を通しました。
そして担当者に話を聞いてみることにすると、証券会社のベテランの方が訪問してくださり、M&Aを本格的に考え始めました。その後、アドバイザリー会社には日本M&Aセンターの担当者がついてくださることになり、譲渡先を見つけることができたため、2021年に無事にM&Aを終えることができました。
結果論ではありますが、このタイミングでのM&Aは正しい判断でした。2022年に入り、ロシアによるウクライナ侵攻の影響で原油価格が高騰したこともあり、国際情勢そのものが不安定になりました。
そのような状況で私自身が経営を続けていれば、今頃会社がどうなっているのか分かりませんし、納得のいくM&Aも実現できなかったかもしれません。証券会社の方が日本M&Aセンターを紹介してくれ、2021年10月から契約手続きを開始し、2022年1月にM&Aが完了しました。
日本M&Aセンターの担当者はとても意欲的な方で、素早くきめ細かい対応をしてもらい、結果的に3ヶ月という短い期間で株式譲渡が実現しました。譲渡先はセキュリティ事業の会社ですが、社長が船好きということで、興味を持ってくださったようです。
トップ面談では社長が焼津まで来てくださったので、私の事務所や保有している土地なども見てもらうことができました。社長はまだ若いのにとても真面目で、信頼できる方だと感じました。さらに静岡のことも好きで、船舶士の免許を持っているということもあって共通点が多く、話が弾みました。
デューデリジェンスの時は、日本M&Aセンターの担当者が来て、税理士と一緒に書類の確認をしました。弁護士はその場に居なかったため、書類を送付して問題ないかどうかの証明書をもらいました。
諸々の準備が整い、最後に執り行われた成約式の時はとても緊張しました。その時の様子は記念にするためにビデオ撮影をしました。口座に株式譲渡対価が振り込まれると、全てがひと段落した実感を持ち、安心しました。また、これで家族に資産を残せると思って嬉しくなったことを覚えています。
M&Aはたったの3ヶ月で終わったこともあって、「事業が手を離れるのはあっけないことだな」と感じました。経営から離れたことで、仕事関係の郵便物も来なくなったので、気楽ではある反面、手持無沙汰で少し寂しい気持ちもあります。ですが、M&Aをして本当に良かったと思っています。今、世界はますます混沌として先行きが不透明になっています。
M&Aの決断が遅れていれば、私の会社の価値も徐々に下がっていったと思うので、最適なタイミングとなりました。まだ若くて将来有望な社長の下で、私が育ててきた事業が何かのお役に立てるのは喜ばしいことです。M&Aの魅力は、たとえ後継者がいなくとも、事業を第三者に譲渡することで社会に価値を還元し続けられる点ではないでしょうか」