(本記事は、スコット・ベドベリ氏(著)、スティーヴン・フェニケル氏(著)、 関野 吉記氏(監修)、 土屋 京子氏(翻訳)の『ザ・ブランド・マーケティング 「なぜみんなあのブランドが好きなのか」をロジカルする』=実業之日本社、2022年12月19日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
「クール」でやけど
企業を「クール」なイメージで売る場合、とくにマーケティング対象が「反抗的な若者」世代であったりすると、「クール」が度を越してブランドを危険な立場に陥れる可能性もあることを覚えておかなくてはならない。
80年代半ば、ナイキの「ストリート・シック」が最高潮だったころ、都会の不良少年たちのあいだで他人が身につけている高価なナイキ・シューズや「スターター」ジャケットやアクセサリーを強奪する犯罪が続発した。連鎖反応には発展しなかったものの、この社会現象はナイキに深刻な事態をもたらした。
これと同じころ、ある晩テレビをつけてみると、ジェシー・ジャクソン牧師(シカゴに本拠を置く公民権運動の団体「オペレーションPUSH」の創始者)が画面に出て、ナイキの問題を調べてみるつもりだ、とコメントしているところだった。ジャクソン師とオペレーションPUSHは、黒人の顧客および従業員とナイキとの関係にとりわけ興味を持っているようだった。数年前、ジャクソン師は「コークでチョーク(窒息)しないように」のスローガンを掲げてコカ・コーラに同じような圧力をかけた実績がある。どうやら有名ブランドがお好きなようだ。
ナイキの社長に就任してまもないディック・ドナヒュー、ナイキの広報責任者リズ・ドーラン、そしてわたしの三人はシカゴへ飛び、ジャクソン師が指名したオペレーションPUSHの代表団と話し合うことになった。むこうは、ナイキにおけるマイノリティの雇用状況を説明する数字を出すこと、ナイキからマイノリティが経営する広告代理店やメディア企業に支払われた正確な金額を公開すること、を要求してきた。わたしはナイキの企業広告担当役員として、ナイキがいかなるマイノリティ・グループに対しても直接に広告をおこなったことがないという事実を承知していた。
ナイキは年齢や人種や性別にかかわらず、すべてのアスリートを対象にしてきた。ほかの企業のような「エスニック別マーケティング予算」を組んだこともない。当時、ナイキはすでにほとんどの消費者セグメントに力を持つマス・ブランドになりかけていた。マーケティングをセグメントに分けなかったからこそ達成できた成果だと思う。ナイキは、ネットワークやケーブル・テレビのスポーツ番組枠、ゴールデンタイム枠、深夜番組枠などを買っていた。また、予算の20パーセントを使って『スポーツ・イラストレイテッド』『ピープル』『ローリング・ストーン』など全国版の雑誌に広告を出していた。問題は、オペレーションPUSHと関係のあるマイノリティ系のメディアにナイキがあまり金を落としていない、という点だった。
話し合いは最悪だった。オペレーションPUSHが送りこんできた二十数人の代表は、ナイキの話をまったく聞こうとしなかった。しかも、非公開の約束であったにもかかわらず、われわれが会場を出ると特殊利益団体のメディアが待ち構えていて、押し寄せたリポーターたちがわれわれの鼻先にマイクやカメラを突きつけた。その後、ナイキはオペレーションPUSHから出された要求を一つ残らず厳密に検討した。要求の中心は、アフリカ系アメリカ人向けのマーケティング計画を作成すること、オペレーションPUSHのメンバーあるいはPUSHに共鳴する企業に多額の発注をすること、であった。
右に説明した理由から、ナイキはオペレーションPUSHの要求を拒絶した。怒ったオペレーションPUSHは、アメリカ全土でナイキ製品のボイコット運動を展開した。
その後、ナイキはロサンゼルスに本社を置くマルチエスニックの広告代理店ミューズ・コデロ・アンド・チェンと契約を結び、ナイキの責任代理店ワイデン&ケネディと協力して仕事をしてもらっている。ミューズ・コデロ・アンド・チェンの役割は、ナイキの広告メッセージをアジア系、ヒスパニック系、アフリカ系の消費者によりわかりやすい形で伝えることだ。この協力関係から、「ジャスト・ドゥ・イット」の新聞雑誌広告の傑作がいくつか生まれている。MCC(ミューズ・コデロ・アンド・チェン)と仕事をするようになったのは、ナイキが成長した結果としてすべてのマイノリティをより完全に理解する必要が生じたからであって、ある特定の利益団体の要求に応えるためではない。
※画像をクリックするとAmazonに飛びます