(本記事は、スコット・ベドベリ氏(著)、スティーヴン・フェニケル氏(著)、 関野 吉記氏(監修)、 土屋 京子氏(翻訳)の『ザ・ブランド・マーケティング 「なぜみんなあのブランドが好きなのか」をロジカルする』=実業之日本社、2022年12月19日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
②ブランド拡張
『ピープル』誌から『ティーン・ピープル』誌が派生したが、このような発展例をブランド拡張という。このケースは成功だった。こうしたベンチャーは、本家を食いすぎないよう適切なやり方をすれば、莫大な利益をもたらす可能性がある。『ピープル』誌自体も、もとは『タイム』誌の人気セクションが分離して創刊された雑誌であり、同じ大衆雑誌のカテゴリーでありながら、両誌とも成功をおさめている。とはいえ、『ピープル』にもおのずから限界がある。AOLタイム・ワーナーも、さすがに『とってもオールド・ピープル』誌を創刊することはないだろう。
ブランド拡張は、さまざまな状況で成功例がある。『60ミニッツ』は『60ミニッツⅡ』へ発展した。ガーバーは一流のベビーフード・メーカーとして数十年来築いてきた高い信頼性をもとに、ガーバー・ブランドで乳幼児向け救急用品を含む新しい商品ラインを発表しようとしている。
とはいえ、ブランド拡張がすべて成功するわけではない。ダイエット・コークのようなホームランもあれば、その陰にファウル・ボールもある。
のどが渇きましたか?ひとつ炭酸飲料でも?ペプシにしますか?ダイエット・ペプシがいいですか?チェリー・ペプシ?ペプシ・ワン?カフェインレス・ダイエット・ペプシ?それとも、あの記憶に残る失敗作ペプシ・ライト?クリスタル・ペプシもございますよ。ボトルにしますか、缶入りにしますか?16オンス(約500ミリリットル)入りビッグ・スラム缶がいいですか?それとも32オンス(約1リットル)入りクルーザー・カップ?プラスチック容器にしますか、グラスにしますか?
ブランド拡張による成長を追求する際には、「いかなるブランドにも限界がある」ということを忘れてはならない。企業にも限界がある。個別に考えれば、自社のブランド精神に合致する成長戦略はいくらでも見出せるだろう。しかし、多数の戦略を同時に進めることは不可能だ。失敗すれば、1+1+1がマイナス2になることを忘れてはいけない。
努力して築きあげた市場の信頼を一刻も早く役立てようとして、まるでサイの尻にスパンデックス・ショーツ(伸びのいいショーツ)をはかせるがごとくに自社ブランドをむりやり引き伸ばそうとする企業がある。見物人の中からは、「ごらんよ、すごいね、あのブランド・エクイティ!」という声が上がるかもしれないが、ブランド・スチュワードシップを心得ている人間ならば、「あのサイが急に走り出したりドスンと座ったりしたら、その瞬間にえらいことになるぞ」と考えるだろう。ブランドを引き伸ばすにも、限界があるのだ。度が過ぎれば、いくら伸びのいいショーツでも裂けてしまう。ダメージを受けたブランドを修復するのは、裂けたショーツを針と糸で繕うよりはるかに面倒な仕事になる。商品やサービスに金を払った消費者の期待をことごとく裏切ったあげくに、もう一度ブランドを信頼してもらうのは、至難の業だ。
もう一つ避けなければならない落とし穴は、人的資源やマーケティング費用にものをいわせてブランド拡張を進めようとすることだ。
ブランドが急成長して拡大しすぎると、消費者はあっけなく離れていってしまう。
カルバン・クラインが典型的な例だ。カルバン・クラインは傾きかけたファッション・コングロマリットのワーナコ・グループにブランド・ネームのライセンスを与えたが、その後、高級ブランドの価値を意図的に落としたとしてワーナコを訴えることになった。訴訟によれば、ワーナコはあらかじめ決まっていた自社の年間および四半期末の売上げ目標を達成するために、カルバン・クラインのブランド商品をコストコなどのディスカウント・ストアに大量に放出したという。2001年6月、訴訟問題が決着する前に、ワーナコは破産法の適用を申請した。ワーナコ側がカルバン・クラインの利益を尊重していなかったことは、想像に難くない。自社が生き残ることしか考えていなかったのだろう。カルバン・クラインは、ワーナコと結んだライセンス契約にどのような保護条項を入れていたのだろう?いずれにしても、十分な内容でなかったことは疑いがない。
対照的に、急速に拡大しながらブランドの希釈化を免れたのが、ラルフローレンだ。あらゆるレベル、あらゆる流通チャネルにおいて、ラルフローレンは最も貴重な財産であるブランドに対するコントロールを厳密におこなった。わたしの家の近所のDIYストアでラルフローレン・ブランドのペンキが売られるようになったときも、店頭の品揃えから周辺商品まで、きわめて充実した展開だった。季節ごとに新色を発表するという方針だけ見ても、それまで5、6年ごとにカラー・ラインナップを入れ替えていた業界の常識から比べると大きな進歩で、ペンキ売り場の店員は大喜びしていた。
ここでもう一度、ブランド拡張のルールをくりかえしておこう。
ショーツをむりに伸ばしてはいけません。
スターバックスが数々の冒険的なブランド拡張で驚異的な成功をおさめてきたのは、参入するあらゆるカテゴリーにおいてナンバーワンの商品を提供しようという揺るぎないコミットメントがあったからだ。
ブランド拡張の成功例として、ボトル入りおよび店頭売りのフラペチーノがある。フラペチーノは、スターバックスのバリスタの何人かがコーヒーをブレンドした冷たい飲料の開発に熱心に取り組んだところから生まれた商品だ。バリスタのアイデアを会社が後押しして、今日のフラペチーノが完成した。1995年夏に販売を開始したフラペチーノは、またたく間に全米で大ヒット商品になった。メニューとしては、フラペチーノはスターバックスの店頭における商品拡張だ。が、ハワード・シュルツは、このヒット商品を店頭販売だけに限定しておくような経営者ではない。
フラペチーノが店頭に出る少し前、ペプシ・コーラとスターバックスは北米のスーパーマーケット向けに新しいコーヒー飲料を作るための提携関係を結んでいた。最初に生まれた商品は微炭酸入りのアイスコーヒー「マザグラン」で、1994年にカリフォルニアで試験販売を実施した。マザグランはコーラとコーヒーのよい部分を合体させようとしたニッチ市場向け商品だったが、売れ行きは伸びず、西海岸でしばらく試験販売を続けたあと市場から撤退した。
「マザグラン」は失敗だったが、一つ収穫があった。
スターバックスの研究開発担当副社長ドン・バレンシアが開発したコーヒーエキスだ。これは、何に入れても本物のコーヒー風味の食品が作れてしまう、というスグレモノだった。「マザグラン」の扱いを検討していたペプシとの経営会議の席で、ハワード・シュルツは、すでに店頭販売で大ヒットしていたフラペチーノのボトル入り商品を作ろう、と提案した。フラペチーノはほんの数ヵ月前に店頭販売をはじめたばかりだったが、シュルツはこの商品が大ヒットになると確信していた。1年後の1996年、シュルツはウォール街のアナリストたちに向かって、フラペチーノは将来世界じゅうで10億ドル規模のビジネスになるだろう、と宣言した。もちろん、わたしもそう確信している。
このときも、新商品開発の先頭に立ったのは、スターバックス研究開発部門の天才ドン・バレンシアだった。ペプシのクレイグ・ウェザラップ社長が商品開発、生産、販売、流通に関してペプシ側の資金で全面的にバックアップしてくれたおかげで、わずか数週間後には第一回目の試作品を完成させることができた。初期の市場テストのときから、「マザグラン」とは全然違う反応があった。後に、シュルツは著書の中で、「反響はすさまじかった。発売後数週間の時点で、当初の計画の10倍も売れたのだ。生産はとても間に合わない……」と書いている(『スターバックス成功物語』より)。販売量の拡大以上に、われわれが新しい小売チャネルを獲得したこと、そして、それによってスーパーマーケットや食料品店での販売に道をつけたことが重要だった。
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