(本記事は、スコット・ベドベリ氏(著)、スティーヴン・フェニケル氏(著)、 関野 吉記氏(監修)、 土屋 京子氏(翻訳)の『ザ・ブランド・マーケティング 「なぜみんなあのブランドが好きなのか」をロジカルする』=実業之日本社、2022年12月19日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
マールボロ・マンの落馬
1993年の春を思い出してほしい。世界一流の知名度を誇るブランド「マールボロ」が競争力を維持するためにタバコの価格を大幅に引き下げると発表し、マーケティング業界に衝撃を与えた。価格も知名度もマールボロよりはるかに低い競合メーカーから猛攻をかけられたのが原因だった。なかには、価格が安いだけでなく、市場におけるブランド関心度も認知度もゼロに近いノーブランド商品もあった。ブランドとは呼びがたい商品もあった。ウォール街ではマールボロのメーカーであるフィリップ・モリスが株価を大きく下げ、翌週のビジネス誌はいっせいに「ブランドの死」を報じた。これからはブランド・イメージではなく価格で勝負する時代が来るのだ、と。強いブランドの構築をめざす時代はもはや終わったのだ、と。
その年、わたしの友人で未来学者のワッツ・ワッカーが米国広告主協会の総会で鋭い指摘をした。
「90年代はマールボロが価格を維持できなくなったという事実をもって正式に幕を開けた、とわたしは考えています。このナンバーワン・ブランドにして、自社ブランドが消費者の意識の中で実際にどれほどの『価値』を有しているかについて自信がなくなったということは、とりもなおさず、PIG(豚)とHOG(食用豚)の違いが重要になってきた、ということなのです」
参加者の一人がもう少し詳しい説明を求めると、ワッカーは次のように答えた。
「PIGにはエサをやって大きくするが、HOGは解体して豚肉にする。ブランドは、PIGならいいが、HOGではダメだ、ということです」
わたしとしては、マールボロ・マンがぶざまに落馬した原因は、ブランディングの限界が見えてきたせいだとは思わない。原因は、二つあると思う。競合商品が次々に登場する市場においてマールボロが自らを差別化できなかったこと、マーケティング戦略がマンネリ化してしまったこと、である。旧ブランド社会に君臨した過去の栄光に安住しつづけるうちに、マールボロ・ブランドはその他大勢の中に吸収され、巨大な実用品市場を形成するブランドの一つに成り下がってしまったのだ。ほかのタバコのブランドと異なる点は、巨額の広告費と高い商品価格だけ。こうした状況に愛煙家たちが首をかしげたのだろう。
たしかに、マールボロと何百万人にのぼる中核ユーザーのあいだには、強い情緒的きずなが存在する。数十年にわたって展開されてきた、あの広大な西部を生き生きと描くイメージ広告のおかげだ。カウボーイ、牛の群れ、キャンプファイア、コーヒー。特定の商品に限定された結びつきを超え、時間を超えた強い感情にブランドを結びつけること―「情緒的ブランディング」の重要性は、新ブランド社会においても変わらないが、それは意味のある商品開発に取って代わるものではありえない。情緒的ブランディングとは、商品に物質的価値以上に重要な情緒的価値があることを認識させ、それによってもともと力のある商品やサービスの訴求効果を高めるだけのものなのだ。これからは、情緒的ブランディングに加えて、商品開発やマーケティングのイノベーションを一層進める努力が大切になる。どんなブランドも、ひとところに立っているだけでは生き残れない時代なのだ。
ナイキも、競技スポーツやフィットネス分野のリーダーとして時間を超えた感情の記憶に自社ブランドを刻みつけた点で、マールボロと似ていなくもない。
ただし、マールボロと違って、ナイキはつねに商品やマーケティングの見直しを怠らなかった。わたしがナイキとかかわった1987年から1994年までのあいだ、ナイキの広告部は一つの中核ブランド・ポジショニングのためにあの手この手のクリエイティブ・アイデアを次々と繰り出した。広告部がマーケティングとブランドのポジショニングを次々と刷新していく一方で、デザイン部は世界トップレベルの商品デザインを開発していった。しかも、かなりのスピードで。マールボロが落ちていった時期、ナイキは次々に新商品を発売し、マーケティング・キャンペーンを展開して、商品の平均的ライフ・サイクルをそれまでの1年から3、4ヵ月に短縮しつつあった。
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