(本記事は、小島 一貴氏の著書『人を遺すは上 専属マネージャーがはじめて明かす 野村克也 言葉の深意』=日本実業出版社、2023年2月10日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
長所を伸ばすか、短所を直すか
一芸に秀でた選手を獲得すべき
監督は、ドラフトは編成部の仕事であり、原則として監督が直接かかわる分野ではないと考えていた。ただし、編成部から聞かれれば希望は伝える、というスタンスだった。
ヤクルト時代がまさにそうで、「近いうちに即戦力になりそうな投手を中心にドラフトしてほしい」と要望を伝えていたそうだ。実際、ヤクルト時代の9年間のドラフト1位は、1995年以外はすべて投手を指名している。
特にヤクルト時代前半のドラフト1位の顔ぶれを見てみると、1990年の岡林洋一氏(専修大)、92年の伊藤智仁氏(三菱自動車京都)、93年の 山部太 氏(NTT四国)、94年の北川哲也氏(日産自動車)は、いずれも大学か社会人出身の即戦力だった。91年の石井 一久 氏(東京学館浦安)は高校卒だが、94年には54試合に登板し95年に13勝を挙げるなど即戦力と言っていい人材だった。ちなみに、現ヤクルト監督の高津臣吾氏(亜細亜大)も90年のドラフト3位である。
「ヤクルト時代は、編成部もオレの意向を踏まえたドラフト戦略を立ててくれた。特に投手については本当にうまくいった」と監督も振り返っていた。
また、編成部に任せると言いつつも、ドラフトについての持論を持っていた。
「球が速い、遠くに飛ばす、足が速い。これらは教えてできるようになるものではなく、天性のもの。天性のものを持っている選手を指名すべき」
という考え方である。同じような趣旨で「走攻守すべてにおいて平均点、という選手よりも、一芸に秀でた選手を獲得すべき」とも語っていた。
「一芸に秀でた選手」という監督の考え方がもっとも反映されたのは、阪神時代の 赤星憲広 氏(JR東日本)の獲得だろう。シドニー五輪の強化指定選手として阪神のキャンプに参加した赤星氏の足の速さを、監督は高く評価していた。「足だけ」というスカウトの評価を意に介さなかった監督の意向で、2000年のドラフトで4位指名された。その後、新人王や5度の盗塁王に輝くなど大活躍したのは、ご存じの通りである。
短所を克服したからこそドラフトで獲得したあとの育成はどうするべきか。監督はこんなふうに語っていた。「よく言われるのは、長所を伸ばすのと短所を直すのとどちらがいいのか、ということ。オレは自分の経験から、短所を直すべきだと思う。4年目に本塁打王を獲ったあとの2年間は成績が下がったのは、カーブを苦手にしていたから。配球やクセの研究で読みを武器にしてカーブを克服したから、その後のオレがある。自分の経験からも、プロでは短所をそのままにしていては通用しない」
この言葉を聞いて意外に思う人もいるだろう。一般的には短所の矯正よりも長所を伸ばすことこそが、人材育成に必要だと言われている。阪神時代のある指導者も、「野村監督はドラフトでは一芸に秀でた者を獲れと言いながら、プロでは短所を直せと言う。それは矛盾している」と疑問を感じていたと聞く。ただ、この疑問にはやや誤解があるようにも思う。
例えば足はめちゃくちゃ速いが長打力がない、という選手がいたとする。「非力」というのはバッティングにおいては「短所」である。それを直すということは、本塁打を打てるようなパワーをつけることなのかというと、そうではない。バッティングが弱いという短所を、何とか出塁できるレベルまで引き上げるということが、短所を直すということになるのだ。
さらに言えば、「出塁できるレベル」とはきれいなヒットを打つことに限られない。四球を選ぶ選球眼だったり、三遊間に転がして足を活かして内野安打を稼いだりすることも、立派な「出塁できるレベル」である。つまり、必ずしも長打力やパワーを向上させなくても、「非力」というバッティングの「短所」を克服することはできるのだ。
ドラフトで獲得される一芸に秀でた選手たちが原石だとすれば、短所の克服はすなわち原石を磨いて宝石にすることである。監督のもとで数多くの原石が磨かれ、その多くは引退後も指導者として野球界の宝になっている。
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