(本記事は、小島 一貴氏の著書『人を遺すは上 専属マネージャーがはじめて明かす 野村克也 言葉の深意』=日本実業出版社、2023年2月10日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし
負け試合には必ず敗因がある
数多くの名言を残した野村監督。その中でもファンの人気第一位はこの言葉になるのではないか。私も監督に出会う十数年前、この言葉を聞いたときには衝撃を受けた。野球に限らずスポーツや勝負事をしたことがある人なら、誰でも頷ける言葉だ。
この言葉、私自身も監督が考案したものと勘違いしていたのだが、実は江戸時代の平戸藩主である松浦 静山 という人物が遺した言葉なのだという。松浦は藩主でありながら剣の達人だったとのこと。「野球の達人」とも言える監督も、この言葉を気に入ったのだろう。
この言葉の意味は今さら私が説明する必要もないだろうが、一応記しておく。
「勝ち試合の中には勝つべくして勝ったという試合もあるけど、こっちも不甲斐ない内容なのに相手が自滅してくれて勝てた、という試合もあるじゃない。だけど、負け試合には必ず敗因がある」
監督に言わせればこのような感じだった。
私がマネージャーを務めていた監督の評論家時代、インタビューでも講演でも、仕事先で色紙にサインを求められることは多かった。相手方の指定がないとき、監督は通常、「野球に学び、野球を楽しむ」という言葉を添えてサインをする。「野球」にはいつも「しごと」とルビをふっていた。そして、相手方から指定がある場合に、よくお願いされていたのが冒頭の言葉だった。
こうした要望を受けると監督は、「書いてくれってあまり言われたことないから、うまく書けないけど……」と必ず前置きをしていた。もちろん見事な達筆で相手は大喜びなのだが、そんなシーンを私だけでも何度も見ているので、「勝ちに不思議の……」を頼まれることは多かったはずだ。「あまり言われたことないから」は、監督なりの謙遜だったのか、あるいは失敗したときの保険だったのか、おそらく両方の意味だったのだと思う。
負け試合のあとに機嫌がいい?
さて、この言葉を聞いて、「さすが野村監督、素晴らしいことをおっしゃる」という理解で留まっていては、監督の深意を理解したことにはならない。
監督はこのように不思議な勝ち試合があることを言語化し、首脳陣や選手に意識させた上で、勝ち試合で発生した反省点をどうやったら彼らがしっかりと振り返ってくれるか、そしてそうすることでチームを進化させることができるか、まで考えていた。参考にしたのは、やはり南海で現役時代をすごしたときの監督である鶴岡一人氏だ。
監督に言わせると、鶴岡監督は負け試合のあとは機嫌がいいが、勝ち試合のあとは機嫌が悪いのだという。最初はなぜかわからなかったが、捕手としてキャリアを積むうちに、鶴岡監督の狙いがわかってきたそうだ。負け試合のあとは、選手たちもそれぞれ反省点があるし悔しいので、次に勝つためにはどうしたらよいか、放っておいても考える。だから鶴岡監督もことさらに反省を促す必要はない。
しかし勝ち試合のあとは、選手たちはどうしても反省しようとしないし、仮に反省したとしても深く追及しない。勝ち試合の中での小さなほころびを放置していれば、いずれそのほころびは大きくなり、試合の勝敗、ひいてはシーズンの成績を左右するようになる。それゆえに鶴岡監督は、勝ち試合のあとこそ、選手たちに反省点を追及させようと機嫌悪く振る舞っていたんだろう、とのことだった。
監督は一般的には鶴岡氏のことを「根性野球、精神野球」「学ぶところはなかった」などとあまり評価していないように話していたが、こうした細部の話になると、実は鶴岡監督を参考にしていた部分は少なくない。
そして、「さすが三大監督(三原、水原、鶴岡の三監督)だよ。大監督と言われるだけのことはある」と高く評価することもしばしばだった。もちろん、監督も鶴岡氏の選手操縦法を見習った。勝った試合こそ選手や首脳陣に反省してもらうために、不機嫌に振る舞っていたそうだ。
こうした一連の逸話を語った最後に監督が持ち出すのは、誰もが知っているあの言葉だった。「まさに、『勝って 兜 の緒を締めよ』だよ」。
- 監督の深意
- 常に反省させるために、勝ち試合では不機嫌に振る舞った
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