(本記事は、小島 一貴氏の著書『人を遺すは上 専属マネージャーがはじめて明かす 野村克也 言葉の深意』=日本実業出版社、2023年2月10日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
エースとは、四番とは
「本塁打や打点が多いだけでは真の四番ではない」
よく監督は「〝○○とは〟と考えることが大事。オレは〝とは理論〞と呼んでいる」と語っていた。物事の本質を見て理解し、原理原則を踏まえた上で野球をしなさい、ということのようだが、これは野球に限らないだろう。「野球とは」「バッティングとは」という原理原則について理解していなければ、選手としても指導者としても大成しない、という考えを持っていた。
指導者としてよく言っていたのが、「四番とは」であり「エースとは」であった。監督は言う。
「本塁打や打点が多いだけでは真の四番ではないし、勝利数が多いとか防御率がいいとかいうだけでは真のエースではない。監督の立場で言わせてもらえば、何かあったときに〝あいつを見習え〞と言えるような選手が四番でありエース。V9の巨人で言えば誰よりも練習する長嶋が真の四番。もちろんオレも、現役時代はその意識でプレーしていた。四番を打つ以上、練習でも手を抜けなかったし、むしろ『オレを見てみろ!』という意識で取り組んでいた」
楽天の監督時代、「四番」の役割を期待したのが山﨑武司氏だ。「野村監督は俺みたいな選手は嫌い」と思い込んでいた山﨑氏に対して、「おまえはオレと同じで誤解されやすいだろう?」とアプローチして心をつかんだのは既述の通り。その後「おまえが四番だ。他の選手の手本になれ」と言葉をかけてチームリーダーとしての自覚を促した。山﨑氏が試合中も若手の選手を指導したり鼓舞したりする姿は、監督の目にも映っていた。
ある試合で、内野ゴロを打った山﨑氏が、足のケガを抱えながら全力疾走し、相手のゲッツーを崩すべく一塁にヘッドスライディングをしたことがあった。楽天ファンには忘れられないシーンだろう。楽天の前に在籍していたオリックスでは当時の監督とケンカをし、退団時には野球を辞めようと思っていたほどの選手が、楽天で数字を残したのはもちろん、見事にリーダーシップを発揮したのである。「山﨑という真の四番がいたからこそ、チームとして成長できた」と監督も振り返っていた。
「岩隈で負けたらしょうがないとチームのみんなが思った」
他方で、監督の楽天時代の「エース」については、田中将大選手か 岩隈久志 氏か、判断がわかれるところだろう。監督も試合後のコメントなどで田中選手のことを「ウチのエース」と言っていたことがある。他方で岩隈氏については、どちらかというと厳しい言葉を発していたことを覚えているファンの方も多いかもしれない。
実際、楽天時代に監督が岩隈氏を「エース」と呼ぶことはほとんどなく、岩隈氏のことを「真のエース」だと思っていなかったのかもしれない。ただし、最後の最後で監督が岩隈氏に対する評価を一変させたことは、あまり知られていないだろう。その理由は2009年のクライマックスシリーズ(CS)にある。
この年、シーズン後半の快進撃で2位となり、クライマックスシリーズの第1ステージでソフトバンクを撃破した楽天は、第2ステージでシーズン1位の日本ハムと対戦した。第1戦をターメル・スレッジ氏の逆転サヨナラ満塁本塁打で落とした楽天は、第2戦で岩隈氏が先発完投するも連敗。第3戦を1点差で勝利して、迎えた第4戦のこと。4対6とビハインドの8回、楽天は中1日で岩隈氏を投入する。
監督によると、岩隈氏から志願があったのだという。その心意気を買っての投入だったがCS絶好調のスレッジ氏に3ラン本塁打を浴び、CS敗退が決まった。試合後の岩隈氏は涙していたそうだ。退任が決まっていた監督を両チームの選手やコーチが胴上げした、あの試合である。
「それまでは肩が痛いとか無理させられないことが多くて、とてもじゃないが真のエースという感じではなかった。でもあのCSでは、チームのために無理をして志願登板。結果的に打たれて負けたけど、そのあと泣いている姿も含めて、真のエースになったよな。岩隈で負けたらしょうがないとチームのみんなが思っただろう」
数年後のこと。監督の取材があり、いつものホテルでインタビューが行なわれた。取材が終わって私がトイレに向かうと、通路で岩隈氏にばったり遭遇した。監督がいらっしゃるのでぜひご挨拶を、と私が言うと岩隈氏も向かったのだが、途中で足がピタッと止まった。「いや、今日はひげを生やしているんで、やっぱりまずいですよね?」と岩隈氏。私もその場で数秒間、全力で悩んだが、「おそらく、そのことよりも挨拶に来てくれたことを監督も喜ぶと思いますよ」と伝えると、岩隈氏も意を決して再び歩きはじめた。
沙知代夫人と並んで座っていた監督は、緊張した面持ちの岩隈氏が姿を現すと満面の笑みで迎え入れた。会話したのは時間にしてほんの数十秒だったか。岩隈氏が立ち去ったあとの監督は、「あんなふうに来てくれるのは、やっぱりうれしいよ」とずっと笑顔だった。
- 監督の深意
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