「欲から入って欲から離れよ」ノムさんの欲に流されないメンタル術
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(本記事は、小島 一貴氏の著書『人を遺すは上 専属マネージャーがはじめて明かす 野村克也 言葉の深意』=日本実業出版社、2023年2月10日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

欲から入って欲から離れよ

監督が抱いていた「欲」とは?

すでに触れたように、監督は少年時代、大変な貧しい生活を送っていた。子どもの頃からお金持ちになりたい、苦労している母親に楽をさせてあげたいと思い、美空ひばりさんに影響されて歌手を目指して歌唱部に入ったり、映画ブームに影響されて鏡の前で役者の真似事をしたりしたが、いずれも早々に才能がないことを悟ったそうだ。

そんな中、中学校時代に友だちに誘われて入部した野球では、高校時代に公式戦で本塁打を放つなどして、もしかしたらお金を稼げるかもしれない、という手応えをつかんでいたようだ。

このように、監督がプロ野球選手を目指した動機は、ズバリ「お金を稼ぐ」こと。それは紛れもない「欲」であるし、監督の「欲」は特に強烈なものだったようなのだが、なぜ監督はそれでも成功できたのか。その秘密はこの「欲から入って欲から離れよ」という言葉に隠されていると思う。

そもそも「欲」には害しかないのかと言えば、そうではないだろう。「欲」は時に強力なモチベーションになり得る。監督を例に取れば、ハングリー精神に置き換えてもいいだろう。あんなに貧乏な生活は絶対に繰り返したくない、という思いが強ければ強いほど、お金を稼ぎたいという動機も強くなる。そういう意味では、「欲」も成功するために必要な要素なのである。これが「欲から入って」である。

そして監督が優れていたのは、この「欲」に流されなかった点にある。

プロ1年目、シーズン中も宿舎で素振りをしているのは自分だけだったと監督は振り返るが、「着替えてこい、お姉ちゃんが待ってるぞ」という先輩の誘いにグラグラっときながらも乗らなかった。この頃は年俸が安すぎて学生服以外の私服を持っていなかった、という幸運もあったのだが、「欲」に流される人であればそれでも華やかな夜の街に繰り出していただろう。

監督はそのような一時の金持ち気分を味わうことよりも、自分の実力を伸ばしてお金を稼ぐことを目標にし、そのための努力を怠らなかった。このように「欲」に流されないことこそ、「欲から離れる」なのではないだろうか。

「欲」の存在は、長期的な目標を設定すること、そしてそのために努力を続けることに資する。そのため「欲から入る」ことは大切なことなのだ。

反面、「欲」に流されてしまうと、目標もあやふやになり、努力を続けることも怠るようになる。ブレずに努力を続けるためには「欲から離れる」ことも大切なのである。

「欲」が強ければ強いほど、次の一球への準備に余念がなくなる

監督はさらに、「欲から入って欲から離れよ」は、1試合の中、1打席の中でも必要になることを説いていた。

「勝負事だから、勝ちたいという欲がどうしても出る。無心、無欲はできない。でも一球一球テーマを持っていれば、欲から離れられる。欲から離れさせることは監督の大事な仕事の一つだよ」

この言葉について、私なりの解釈はこうだ。

野球選手であれば誰でも成功したい。重要な場面で打席がまわってきて、何とかヒットを打ちたいという「欲」を持つこと、すなわち「欲から入る」ことは自然なこと。しかし、その思いだけでヒットが打てるほど、プロの世界は甘くない。そこで、「ID野球」の出番である。

この投手はこういう場面で初球は何から入ることが多いのか、カウントによってどの球種をどこに投げる確率が高いのか、そういったデータを事前に頭に入れ、さらには今日の調子、傾向、今現在の表情などをしっかりと観察して、次の一球に準備する。

それはまさに、一球一球にテーマを持つことに他ならず、こうした作業をしていれば、打席の中で「欲」が頭をちらつく余裕もなくなる。むしろ「欲」が強ければ強いほど、次の一球への準備に余念がなくなり、「欲から離れる」ことができるのではないか。

プレッシャーのかかる場面で、頭をフル回転させて次の一球への準備をし、結果を出す。仮に結果が出なくても、その結果を踏まえてさらなる改善につなげることができる。そのような経験を繰り返してこそ、選手として次のレベルに到達することができる。

監督は選手にそのような手ほどきをすることを、自身の重要な仕事の一つだととらえていた。「野村監督の指導を受けてみたかった」という選手やOBが多いのも頷ける。

監督の深意
一球一球テーマを持っていれば、欲から離れることができる
人を遺すは上 専属マネージャーがはじめて明かす 野村克也 言葉の深意
小島 一貴(こじま・かずたか)
1973(昭和48)年生まれ。東京大学法学部卒。高校まで野球を続けるも肩を故障する。大学卒業後に単身渡米。サンフランシスコ州立大で自身の肩の治療も兼ねて運動学を専攻。2001年、トレーナー見習いとして独立リーグ球団エルマイラ・パイオニアーズに入団するが、日本人選手獲得により通訳を兼務。同年オフ、プエルトリコのウィンターリーグにて故・伊良部秀輝氏の通訳を務める。2002年、MLBテキサス・レンジャースにて同選手の通訳。2003年より代理人事務所にて勤務。2006年より故・野村克也監督のマネジメントを担当。以後、2016年の独立を経て氏の逝去直前までマネジメントを担当した。並行してアジアでプレーする外国人選手の代理人や、北米でプレーする日本人選手の代理人を歴任。2020年から光文社『FLASH』にて野球記事を不定期連載しており、コアな野球ファンからの人気が高い。

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