ナイキ 最強のDX戦略
(画像=PaulShlykov/stock.adobe.com)

(本記事は、白土 孝氏の著書『ナイキ 最強のDX戦略』=祥伝社、2022年4月28日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

「ハローワールド」とジョーダンの「失敗」

1996年にオンエアされた「ハローワールド」は、同年にアマチュアチャンピオンからプロに転向したタイガー・ウッズのテレビCMですが、これもやはり社会的なタブーに対して問題提起する広告でした。このテレビ広告ではウッズの幼少期からの画像が流され、そこに次のような文字が挿入されます。

アメリカにはまだ
肌の色が原因でプレイできないゴルフコースがあります
準備ができていないと言われています
準備はいいですか?
ハローワールド

このキャンペーンもまた「タブーに挑戦」するCMで、黒人差別という米国社会の根深い問題に焦点が当てられています。そしてこのCMは、伝統を重んじるゴルフ界に大きな波紋を投げかけました。当時ゴルフ記者たちすら、この広告に憤慨したと言われています。あまりの批判の電話の多さに、広告を制作した有名なワイデン・アンド・ケネディー社のジム・リズウォルドは電話番号を変えようかと考えたほどだというエピソードが残されています。またゴルフ選手たちも広告が刺激的だと批判し、多くのクラブがナイキ製品の持ち込みを拒否しました。しかし案の定、強い反発は強い共感を呼び、18歳から29歳までの消費者の48%が広告に好意的で、ナイキのコア顧客層である若者に改めて支持を広げた形となりました。

ナイキのこのメッセージ広告をサポートしたのは、タイガー・ウッズの亡父アール・ウッズの発言でした。1996年12月に彼は「タイガーは人類の進路を変えるために歴史上の他のどの男よりも多くのことをするだろう」とスポーツ・イラストレイテッド誌に語りました。

この発言は1997年にタイガーがマスターズで優勝すると各所で引用され始め、タイガー・ウッズの活躍はスポーツの成果としてだけでなく、社会変革のための活躍であるかのような状況となりました。しかし面白いことにウッズ自身は社会変革には関心が薄く、元ナイキ幹部であるマイク・シャピーロによれば、「彼は社会問題に興味がない。彼の心には唯一ゴルフがあるだけだ」と語っています。ナイキのメッセージと選手の意見が必ずしも一致していないことは注目しておく必要があると思います。

もうひとつスティーブ・ジョブズを感銘させたと思われるCMが、マイケル・ジョーダンの「失敗」というテレビ広告です。これは1997年にオンエアされ、成功物語のジョーダンではなく「失敗」をジョーダン自身が語る印象的なものでした。そこには他のジョーダンCMと違って、シューズは全く登場しません。映像はジョーダンがシカゴ・ブルズの本拠地ユナイテッドセンターの地下で車を降りアリーナに入るまでの姿を追い、そこにジョーダンのナレーションが入ります。

私はこれまで9000回以上のショットをミスした
ほぼ300試合で敗退した
26回、ウイニングショットを放ったと信じたが
それはミスに終わった
私は何度も何度も何度も失敗した
そして人生においてもまた
その失敗は
私が成功できた理由だ

シカゴトリビューン紙は「このスポットは靴を売る良い方法かもしれないし、そうでないかもしれない。しかし失敗と成功との不可欠な関係についての批判的で見過ごされがちな真実を伝えるための素晴らしい方法」と書いています。もちろんタイガー・ウッズの広告と同じで、この台詞もマイケル・ジョーダン自身が書いたものではなく、ワイデン・アンド・ケネディー社のライター兼クリエイティブディレクターのジェイミー・バレットの手になるものです。ジェイミー・バレットはナイキのほかに、ESPN、NBA、HBOなどで優れた広告をディレクションしました。

彼は広告マンとして「最大のヒット」は何かと聞かれ、「シボレー、イーベイ、コムキャストなど多くのブランドと仕事をする機会がありましたが、私にとって最も意味のあるコマーシャルは『9000ショット』と呼ばれるマイケル・ジョーダンの言葉を使った広告です」と答えています。またナイキは、バレットが書いた台詞は「ジョーダンとの会話の結果」で、「ジョーダンの気持ちを正確に反映している」とコメントしています。

失敗を繰り返すことで成功を獲得できるというのは、ナイキがジョーダンを描く上で重要なストーリーで、それをスーパーヒーローである彼が語ることに重みがあり、そのメッセージは少年少女たちに大きな影響を与えます。実際、ワイルド・チャイルド・スポーツのサイト(子供用の乗り物などを販売するサイトのブログ)では、子供たちに教訓を与えるジョーダンの失敗に関する次のような言葉が紹介されています。

「成功は与えられるものではありません。それは獲得するもの。トラック、フィールド、ジムで。血と汗と時折の涙で」

「アスレチックの偉大さへの道は完璧さによってなされるものではありません。それは逆境と失敗を絶えず克服する能力によるものです」

「どういうわけか、偉大さは選ばれた少数の人々、スーパースターのためだけのものであると信じるようになりました。真実は、偉大さは私たち全員にあります。これは期待を下げるということではありません。それは最後の1人を引き上げることを意味します。偉大さは特別な場所にあるのではなく、特別な人にあるのでもありません。偉大さは、誰かがそれを見つけようとしているところならばどこにでもあるのです」

「トレーニングは難しいと思いますか。ならば負けてみてください」

「意志の力は障害を知りません。あなたの偉大さを見つけてください」

「無名なスタート。記憶に残るフィニッシュ」

「やめない限り何も終わらない」

「人生はスポーツ。大切にしましょう」

ナイキ 最強のDX戦略
白土 孝
1954年生まれ。靴の量販店を全国展開する株式会社チヨダで、取締役としてマーケティングやIRを担当。2013年からカジュアル衣料チェーン、株式会社マックハウスの代表取締役社長を務めた。
2019年に同社退任後、コンサルティングサイト「LINK496」を設立。チヨダ在職中の2000年にECサイトを立ち上げるなど、ITリテラシーの高さと実績を生かし、事業者のデジタル経営をサポートしている。
またチヨダでは自ら店頭に立ちナイキのシューズを販売するとともに、ナイキという企業の経営戦略を研究。訳書に『スウッシュ――ナイキ「裏社史」』(小社刊)がある。

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