(本記事は、オードリー・タン(Audrey Tang)氏の著書『天才IT大臣オードリー・タンが初めて明かす 問題解決の4ステップと15キーワード』=文響社、2021年12月9日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
必要なのは、競争力か中核能力(コア・コンピタンス)」か
台湾では、特定の大学に入学した若者は、おそらく子どものころから個人間の競争で勝ちなさい、と言い聞かされて育ったことでしょう。この種の話は心理的には非常に不健康ですし、そもそも必要なわけでもありません。実際、社会に存在するほとんどの競争は団体戦、つまり企業間や組織間の競争であって、個人対個人の競争はほとんど残っていないのです。
ですから若者が何らかの圧力にさらされたときに息抜きしたり一時的に逃避したりする機会も得られなかったら、彼らはこの世からのログアウトを早める(自殺する)ほうがましだと思うようになるでしょう。これは社会の病巣だと思いますし、その原因を突き詰めると、やはり個人間の競争に行きつくのではないでしょうか。
課程綱要の見直しによって大学入試制度も一新されたため、今後は基本的には成績の学年順位は大学入学の判断材料にはならず、むしろ学習履歴のほうが重視されるでしょう。
かつて「competence(コンピタンス)(何かをするために必要な能力)」が「競争力」と翻訳されたために、個人の競争力を鍛えろ、スタートラインで敗北するな、と叫ばれるようになり、産業全体もこれに倣いました。
ですから今になって突然、「個人間に競争など存在しませんよ、大切なことは核心素養(個人が現在の生活に適用し、将来の課題に対峙するために備えておくべき知識や能力、態度)だけですよ、皆さん考えを改めてください」と言われてもすぐには切り替えられないでしょう。もちろん、団体間の競争は進歩を促します。ですがそれは、個人が一人で完成させられるようなものが存在しないからです。
つまり、「個人の競争力」は誤訳だったのです。原語にもそのような意味はありません。competence はコア機能、中核能力(注7)、コアリテラシーなどと訳すべきでしょう。
実際の話、従業員同士を競争させるような社長のいる会社には、大した競争力はありません。従業員が社内で疲弊してしまうため、社員が助け合っている会社に負けてしまうのです。
例を挙げましょう。ヒトゲノム計画(ヒト染色体の遺伝情報を解読する計画)ではオープン・イノベーションが重視されていますが、あるチームが利益の追求方法を考え尽くして、できるだけ早く特許を取るべきだと主張したところ、別のチームが反対しました。当初は団結力がなさそうに見えたこのチームが、さまざまな部門の能力を結集して公共の利益のために尽力したことで、最終的にはヒトゲノムが特定の企業の特許にならずに済みました。この話はよく知られています。
かけっこで勝つ必要はない
人はなぜ組織を作るのでしょうか。一人の手で完成させられるものなどないため、誰かと作業を分担する必要があるからです。個人間の競争は、今では陸上競技くらいしかありませんし、私たちはほとんどの時間を、志を同じくする人たちとチームを組んで過ごしています。
私が問題視しているのは、社会が特定の大学の学生に向ける期待が、陸上競技場で行われる個人間競争と似ているという点です。これは実際には、必要ないことです。
「個人の競争力」という言葉が出てきたら、必ず心がダメージを受けます。
私が幼いころから天才児と呼ばれてきたのは、誰かを押しのけてきたからではありません。個人の競争力など、起業には必要ないのです。
人々が期待しているのは、私の起業テーマによって社会に何か新しい学びが生まれたり、社会問題が解決されたりすることであって、私が競技場でほかの選手たちとタイムを競い合うことではないでしょう。人々が私を賞賛するのは、社会全体をよりよく変えるために勇気を持ってリスクを引き受けてくれる人を称えたいからだと思います。
私をほめてくれる人は私に媚(こ)びているわけではなく、私がそのリスクテイカーの部類に入っているから評価したいのでしょう。私のことを、起業する勇気を持った社会的成功者ととらえているからでしょうが、そのことと個人間の競争は、まったく関係ないことです。
競争ではなく、分かち合う文化を
なお、仕事の場合、今重視されているOKR(目標と主要な結果)という概念では作業者が自分で目標を立てるのですが、昔のKPI(重要業績評価指標)では自分以外の人が目標を立てていました。自分で目標を立てると、人から目標を与えられるよりも自主性が高まります。この点が両者の違いです。
もし私が「私の作品の方向性が私自身ではなく、お金を出してくれる人に決定され、しかもその人に著作権や独占権なども求められる」という状況に置かれそうになったら、私はすぐに相手と条件を話し合います。
私は10代のころにはすでに、自分の作品は無償で提供するけれど自分の時間はとても貴重だと確信していました。当時は、自分が20歳になったときの時給を3000元(約1万2000円)に想定しましたが、もし「私が生み出したものを無償にすれば誰でもそれを使えるし、未来でも使ってもらえる」という前提があれば無償でいいと思っていました。
ですが仮にAさんが私の作品を独占したいと言ったら無償にはせず、時給6000元(約2万4000円)の価格をつけます。この場合、私の作品はAさんと私の二人しか使えないことになるからです。
そしてBさんという別の使用希望者が現れた場合にAさんが「これを使うには自分の許可が必要だ」とか「Bさんが使ったことで社会によい影響を与えたら、その功績も私のものだ」などと言い出したら、さらに高い金額を提示するでしょう。作成者の私ですらそれを使えなくなるのですから、この場合は時給1万2200元(約4万8800円)を請求します。
たいていの場合はこの三つのパターンに分けられます。ここには競争という概念は存在しませんし、私が面接でライバルを蹴落とす必要もありません。私に何ができて何ができないかを、面接官もすでに承知しているからです。ヒューマンリソースという既存の概念は影響を及ぼしません。
実はこのような経歴は、自分の価値を学歴や個人間の競争に必要な経歴よりも高めることのできる、非常に戦略的なものなのです。私は自分の主な経歴は学界や実業界でのキャリアではなく、社会部門で行ってきたことだと考えています。
私が無償提供したものが広く使われるようになったために、私の会社が倒産したり私の手掛けたプロジェクトが中断したりしても、多くの素材は未来の人に使ってもらうことができるのです。
これが協働による共通の利益の実現です。限りある資源をみんなで奪い合ってセクショナリズム(注8)を形成することではないのです。私は20歳のときにこの「みんなで分かち合うシェア文化」に触れました。私にとって一番自然な文化ですし、糧(かて)にしています。
【注1】機会コスト
複数の選択肢から一つを選び、実行した場合に得られる利益と、別の選択肢を実行していた場合に得られていたであろう利益との差。会計学上の利益ではなく、経済学上での利益を指す。
唐鳳。台湾デジタル担当政務委員(閣僚)を経て、2022年8月に台湾デジダル発展省大臣に就任。1981年台湾台北市に、新聞社勤務の両親のもとに生まれる。幼少時から独学でプラグラミングを学習。14歳で中学校を自主退学、プログラマーとしてスタートアップ企業数社を設立。19歳のとき、シリコンバレーでソフトウエア会社を起業する。2005年、プログラミング言語Perl6開発への貢献で世界から注目を浴びる。トランスジェンダーであることを公表。2014年、米アップルでデジタル顧問に就任、Siriなどの人工知能プロジェクトに加わる。その後、ビジネスの世界から引退。蔡英文政権において、35歳の史上最年少で行政院(内閣)に入閣、デジタル政務委員に登用され、部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担っている。2019年、アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』のグローバル思想家100人に選出。台湾の新型コロナウイルス対応では、マスク在庫管理システムを構築、感染拡大防止に大きく寄与。
著 黄亜琪
ジャーナリスト・作家。『今周刊』(台湾金融メディアアクセス数No.1)『商業周刊』(台湾金融メディア知名度No.1)、『経理人月刊』、天下グループ(台湾で最初に創設された金融動向メディアグループ)の各種雑誌で主筆、編集長を歴任。取材歴20年超。金融業界、インタビュー、テクノロジー、文化、教育など多岐にわたる分野で手腕を発揮している。
訳 牧髙光里
日中学院と南開大学で中国語を学ぶ。帰国後はステンレス意匠鋼板メーカーの海外事業部で貿易事務、社内通訳・翻訳等に携わったのち、西アフリカのマリ共和国で村落開発に関わる。帰国後は出産と子育てを経て、現在は産業翻訳と出版翻訳で活動中。
※画像をクリックするとAmazonに飛びます