(本記事は、オードリー・タン(Audrey Tang)氏の著書『天才IT大臣オードリー・タンが初めて明かす 問題解決の4ステップと15キーワード』=文響社、2021年12月9日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
私の名前は、自由に使ってください
私の名前「唐鳳」は、以前から無償提供しています。つまり、肖像権も著作権も放棄しているので、誰がどのように使ってもよいのです。その結果、今ではたくさんの人が私の名前「唐鳳」を動詞や形容詞として使っています。
例えば、誰かが「私の投稿が『唐鳳』されちゃった(私の投稿が政府から監視されてしまった)」と言うこともよくあります。ほかにも実際に、「唐鳳」がいろいろな意味に応用されたり、客家委員会が「唐鳳過台湾(客家の伝統歌曲「唐山過台湾」をもじったもの)」というキャッチコピーを作ったりしていますから、まるでいつでもどこでも「唐鳳」に出会う印象を受けます。
もちろん、「唐鳳」の二文字は何かを描写するために使われているにすぎず、私はこの名前がどう使われようが構いません。私はこの名前の所有者ではなく、現在の使用者にすぎませんから、将来の使用者にあれこれ言う権利は私にはありません。
ですから今後これを使いたいという人が出てきたら嬉しく思います。私は自分の名前に何の執着もないのです。
入閣前に何度か雑誌の取材を受けたとき、私は自分でカメラを持って、インタビューを受けながら撮影もしました。そして今と同じように、少なくとも私が登場する部分については著作権を放棄していました。
当時のインタビュアーはおそらくやりにくかったでしょう。「インタビューの一切合切を公開したら、記事なんて誰も読まないだろう」と。ですがほとんどの場合、最終的には私たちの思いが形になりました。もちろん、そのときの対話の公開も双方の同意のうえで行われました。
肖像権や著作権の放棄は社会への恩返し
私にこうした考え方が芽生えたのは、英文の古典文学を真剣に読み始めた1994年から1995年ごろでした。私が読んだ書籍の多くは最も知られたナレッジベースであるプロジェクト・グーテンベルク(注1)に収載されており、多くは著作権が切れたパブリックドメインの作品です。ですからそれらを翻訳してもいいし、いろいろな形式へと自由に変換しても構いません。誰でもそこから学べるのです。
プロジェクト・グーテンベルクがなかったら、古典文学を読む基礎力は身につかなかったでしょう。当時の私の英文読解速度は、速くもなければ優れてもいなかったからです。プロジェクト・グーテンベルクのおかげで、私は自分のペースで、完全に無料でハイレベルな知識に触れることができましたし、学校へ行かなくても自分の研究プロジェクトを全うできたのです。
ウェブサイトarXiv(アーカイヴ)(注2)の使用も同様でしょう。arXiv は物理学、数学、統計学その他の最先端のナレッジベースであり、誰かが投稿した論文を自由にダウンロードできるサイトです。
「飲水思源(いんすいしげん)(受けた恩は忘れてはならない)」という言葉がありますが、私が知識を吸収する習慣は、著作権や財産権が放棄された環境によって養われたものです。ですから私は、誰かから受けた恩をほかの誰かに返しているというわけです。
インターネットで培われた無償提供やシェアという世界観
インターネットにはもともと、ある世界観があって、それは私の世界観でもあります。Internet が単なるNet ではなくInternet と呼ばれる理由は、インターネットプロトコルを通じて情報交換が行われるからです。それができなかったら、私たちは地域ごとに断片化されたネットワークしか持てなかったでしょうし、全世界をカバーする本当の意味でのインターネットは生まれなかったでしょう。
interとは、「網際(ワンジー)(インターネット)」の「際(ジー)(相互に)」の部分を指します。これをリアルな世界に当てはめると、interは「人際(レンジー)(人間同士の)」、つまり人と人との関係、いわゆる間主観性を指しています。
私の仕事のほとんどは、この中のinterの部分を強化することです。主観性(subjectivity)の強化はすでにたくさんの人が行っていますから、私はinterの部分を強化するために、多文化、分野横断、世代横断などの活動で発揮する対話力にエネルギーを費やしています。
1993年、中学生だった私は既存の教育を受けるのをやめ、学校を自主退学しましたが、それがオープンソースに触れる出発点にもなりました。同じ年ごろの子どもが学校で勉強に励む中、私はインターネットの世界を満喫していました。システム開発は、私の心の中にあったパンドラの箱を開けました。その後はインターネット・アーキテクチャに関与し、今のように政務に追われるようになっても、まだ関わり続けています。
現在、ハッカー文化は隆盛を誇っていますが、1990年代の初めには早くもそのひな形が存在しており、フリーソフトウェアの公開も行われていました。そのころの私は、プログラミング言語やAI、インターネットといった目新しいおもちゃに興味津々でした。
プログラマーたちは全員オンラインで作業し、そこで使用されているツールの多くは誰でも使用できるよう無償で公開されていて、誰も「自分さえよければいい」なんて思っていないことを知りました。そこでは作品のシェアが自然に行われていたからです。
ですから、私にとって無償提供やシェアとはライフスタイルのようなものです。作品は公開されることでより多くの人に届くと考えていますし、オープンソースモデルはリレー方式での作業に意欲がある人なら継続的に行うことができ、一生関わることができるものだとも思っています。
私の考えは今でもまったく変わっていませんが、以前と違うのは、インターネットが普及したことで、自分もやってみたいという人が増え、シェアがより簡単になったことです。
唐鳳。台湾デジタル担当政務委員(閣僚)を経て、2022年8月に台湾デジダル発展省大臣に就任。1981年台湾台北市に、新聞社勤務の両親のもとに生まれる。幼少時から独学でプラグラミングを学習。14歳で中学校を自主退学、プログラマーとしてスタートアップ企業数社を設立。19歳のとき、シリコンバレーでソフトウエア会社を起業する。2005年、プログラミング言語Perl6開発への貢献で世界から注目を浴びる。トランスジェンダーであることを公表。2014年、米アップルでデジタル顧問に就任、Siriなどの人工知能プロジェクトに加わる。その後、ビジネスの世界から引退。蔡英文政権において、35歳の史上最年少で行政院(内閣)に入閣、デジタル政務委員に登用され、部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担っている。2019年、アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』のグローバル思想家100人に選出。台湾の新型コロナウイルス対応では、マスク在庫管理システムを構築、感染拡大防止に大きく寄与。
著 黄亜琪
ジャーナリスト・作家。『今周刊』(台湾金融メディアアクセス数No.1)『商業周刊』(台湾金融メディア知名度No.1)、『経理人月刊』、天下グループ(台湾で最初に創設された金融動向メディアグループ)の各種雑誌で主筆、編集長を歴任。取材歴20年超。金融業界、インタビュー、テクノロジー、文化、教育など多岐にわたる分野で手腕を発揮している。
訳 牧髙光里
日中学院と南開大学で中国語を学ぶ。帰国後はステンレス意匠鋼板メーカーの海外事業部で貿易事務、社内通訳・翻訳等に携わったのち、西アフリカのマリ共和国で村落開発に関わる。帰国後は出産と子育てを経て、現在は産業翻訳と出版翻訳で活動中。
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