(本記事は、オードリー・タン(Audrey Tang)氏の著書『天才IT大臣オードリー・タンが初めて明かす 問題解決の4ステップと15キーワード』=文響社、2021年12月9日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
自分の経験に基づいて相手を理解する
問題解決の大前提である「対話」の最初のステップは傾聴です。相手の感じ方を進んで受け入れて、エンパシーを抱き、それから何らかの反応を返すことです。誰かと対話するとき、私はあまり自分に集中してはおらず、ほとんどの感情を相手と同調させています。「間主観性(intersubjectivity:二人以上の人またはものごとにおいて同意が成り立っている状態。相互主観性)」が存在しているような感じです。
ここでいう「エンパシー」とは、相手のコンディションがよくないから、自分もそのよくない状態に合わせるのではなく、自分自身の経験に照らして相手を理解しようと試みることです。
例えば、あなたが「昨晩はよく眠れなかった」と言ったとしたら、自分ならそんなときにどんな感じがするだろうと考えることから「エンパシー」が生まれます。自分が過去に体験した類似の経験に基づいて、もし自分が睡眠不足だったら、誰かと話をするときには、相手には一気にロジックや理論に入るのではなく、ゆっくり話してほしいなとか、例を多めに挙げて説明してほしいなと考えるわけです。
つまりこれは、対話を通じて感情移入が生まれ、それから共感が生まれてエンパシーに至ることを意味しています。
「エンパシー」は、自分の経験から生まれるものであって、単純な同情心ではありません。相手の心の声に耳を傾け、それから自分の経験に基づいて相手の状況を想像し、理解することです。まず相手の話を真摯に聴けば、自分が口を開くときにはすでにエンパシーを使って話せるようになっています。
これは最も基本的な対話プロセスでしょう。エンパシーを表す「同理(トンリー)」の「理」は「知識」を意味しています。そうでなければ単に「同情」と呼ばれるはずです。
一方、シンパシーとは、感情の共有、つまり共感です。私は、そのときの相手の話すスピードや口調なども含めた、相手のオリジナルメッセージに対し、相手と協調しながら反応しています。そういう場合、私の心は感受性が高くなっているようです。そのときどきに感じるものに反応しており、こういうふうにしようとあらかじめ計画しているわけではありません。
ちなみに、ユーモアのセンスもシンパシーの一種でしょう。ユーモアがあれば双方がもともと抱いていた感情を、楽しく、建設的でポジティブなものに変えることができます。
何かを話すとき、私の頭の中では文脈構造が完成しているので、順を追って一歩一歩話を進められます。ですから感受性とシンパシー(のチーム)と、理性と思考(のチーム)が互いに支え合っていると言えるでしょう。逆に、一方がもう一方を押さえこむことはありません。
コミュニケーションを図るときは、相手の現在の状態を頭の中で再現していますが、もし二つの(チームの)うち、例えば感受性とシンパシーは感じているけれど理性と思考は欠けているといったようにどちらかが不在だったら、コミュニケーションはただの独りよがりになってしまいます。
理性と思考は存在しているが感受性とシンパシーが欠如しているという場合もそうです。いずれの場合もスムーズなコミュニケーションは図れません。
このようなコミュニケーションプロセスは、シミュレーションしてできるものでも、無理やり頑張ればできるものでもなく、アクティブリスニング(注1)と相手の話を中断しない聴き方を練習する必要があります。
人の話を聴くときは、ただ黙って聴くだけでなく、頭の中に反論や意見が湧いてきてもそれらは無視して聴き終えるように心がけていれば、早急な判断を下さなくなるでしょう。この練習を3週間続けると、対話力がつき始めます。
わずか10分間で対話力をアップする簡単な方法
頭で考えるよりも、実践あるのみです。一番簡単な方法は、友達や家族をこんなふうに誘ってみることでしょう。
「ちょっと私に付き合ってもらえないかな。5分間は絶対にあなたの話に口を挟まないと約束するよ。5分たったら私が、あなたから聴いた話の内容を説明するね。その後で今度は私が5分間話をするから、黙って聴いてほしい。試しに一度、練習してみよう」。
この10分間の「傾聴」練習では、お互いに5分ずつ持ち時間があります。最初の5分は相手が話してあなたが聴く時間、次の5分は、相手の話を聴き終えたあなたが、何を聴いたか話す時間です。このような簡単なトレーニングで対話を深めていくことができます。
対立から対話へ進む世界
少々話が大きくなりますが、例を挙げましょう。
台湾と日本の両国はそれぞれ、921地震(1999年9月21日に台湾中部で発生したマグニチュード7.6の大地震)と東日本大震災を経験し、抗えない脅威に直面した私たちは、大自然に対し畏敬の念と謙虚さを抱きました。
しかし別の見方をすると、エンパシーと共感によって、文化の違う両国の間に対話のきっかけが生まれたとも言えます。台湾で921地震が発生したとき、「社会部門(ソーシャルセクター) 」と呼ばれる多くのボランティアが助け合いの力を発揮しました。東日本大震災を経験した日本の皆さんなら、私の言う社会部門の重要性を身に染みてご存じだと思います。
ですが台風や地震を経験したことのない多くの国では、私たちが感じている意義、つまり災害時の助け合いの重要性を人々が感じることはないのです。
対話とは自分と人との間の会話だけを指すのではありません。自分と文章との対話や、インターネット上でメディアによって実現される、公共の利益を出発点とする対話、いわゆるアナーキズム(無政府主義)状態の対話までも該当します。
例えば国民には選挙権がありますから政策決定に実際に参与できますし、自由で民主的な社会では誰でも「オードリーはバカげた政策を決めたものだ!」と批判の声をあげることができます。実はそうなったときこそ、その人との関係を修復するチャンスなのです。
これが公的部門に所属している人間のメリットでしょう。すべての市民が顧客(クライアント)なのです。もし私が一般企業の人間だったら、私と私が担当する顧客との間でしかこんなことは起きないでしょう。
ですが公的部門の人間にとっては、すべての人が顧客であり、すべての声が智慧なのです。意思決定は、それぞれが持っているジグソーパズルのピースによって形成されるものです。そうでなかったら、パズルのピースが未来予想図に変わることはないでしょう。
例えば台湾の公共政策インターネット参加型プラットフォーム「Join」では、5000人を超える賛同を得られた提案に対し、関連部会は回答が義務付けられています。
「Join」には非常に多くの提案が寄せられますし、参加者同士も討論しています。つまりここではある種の対立状態が起きていて、誰かが「この教材は学校には要らない」と主張すれば、別の誰かが「いや絶対に必要だ」と反論したりしています。
こうしたプラットフォームでさまざまな話し合いが行われるなか、私たちにできることは、対話の透明性を高めて公開し、参加者全員を巻き込んで、さらなるコンセンサスが得られるようにすることです。
「私たちはこれまで、民主とは二つの価値観の対立だと思っていた。だがこれからは、民主は多様な価値観の間で行われる対話でなければならない」。
これは蔡英文(ツァイインウェン)総統の就任演説の一部で、私はよくスピーチの冒頭でこの言葉を引用しています。「対立」から「対話」への転換は、この時代に生きる私たちの使命です!
国民に迅速に回答し、血の通った民主政治を実現するのです。
2020年のアメリカ大統領選挙では、当選したバイデン氏が「我々はライバルかもしれないが敵ではない。我々はすべてアメリカ人だ」と述べています。ここに込められているテーマは、蔡総統が就任演説で述べたこととほぼ同じと言えるでしょう。
そして、私たちもまた(台湾社会に存在する従来型の)青陣営(主に国民党及び統一派)と緑陣営(主に民進党及び独立派)の対立、あるいは世界観や歴史観の違いによる対立が、今のような同舟一命(みんなが一つの船に集り、運命を共にする)の状態へと発展するプロセスを目の当たりにしてきました。
それはまさに、エンパシー、共感、共通認識のもとで、対話を限りなく積み重ねて生まれた光景なのです。
【注1】「アクティブリスニング」(active listening)
アメリカの臨床心理学者カール・ロジャースが提唱した、相手の言葉を進んで〝傾聴〞する姿勢や態度、聴き方の技術。「積極的傾聴」。受容の精神と共感的理解をもって相手の話に耳を傾け、その言葉の中にある気持ちや考えを理解し、その本質を明確にすることで問題解決に導く聴き方。
唐鳳。台湾デジタル担当政務委員(閣僚)を経て、2022年8月に台湾デジダル発展省大臣に就任。1981年台湾台北市に、新聞社勤務の両親のもとに生まれる。幼少時から独学でプラグラミングを学習。14歳で中学校を自主退学、プログラマーとしてスタートアップ企業数社を設立。19歳のとき、シリコンバレーでソフトウエア会社を起業する。2005年、プログラミング言語Perl6開発への貢献で世界から注目を浴びる。トランスジェンダーであることを公表。2014年、米アップルでデジタル顧問に就任、Siriなどの人工知能プロジェクトに加わる。その後、ビジネスの世界から引退。蔡英文政権において、35歳の史上最年少で行政院(内閣)に入閣、デジタル政務委員に登用され、部門を超えて行政や政治のデジタル化を主導する役割を担っている。2019年、アメリカの外交専門誌『フォーリン・ポリシー』のグローバル思想家100人に選出。台湾の新型コロナウイルス対応では、マスク在庫管理システムを構築、感染拡大防止に大きく寄与。
著 黄亜琪
ジャーナリスト・作家。『今周刊』(台湾金融メディアアクセス数No.1)『商業周刊』(台湾金融メディア知名度No.1)、『経理人月刊』、天下グループ(台湾で最初に創設された金融動向メディアグループ)の各種雑誌で主筆、編集長を歴任。取材歴20年超。金融業界、インタビュー、テクノロジー、文化、教育など多岐にわたる分野で手腕を発揮している。
訳 牧髙光里
日中学院と南開大学で中国語を学ぶ。帰国後はステンレス意匠鋼板メーカーの海外事業部で貿易事務、社内通訳・翻訳等に携わったのち、西アフリカのマリ共和国で村落開発に関わる。帰国後は出産と子育てを経て、現在は産業翻訳と出版翻訳で活動中。
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