日本社会は長く、労働者保護の対象を「雇用者」であることを前提としてきた。しかしいま、フリーランスといった雇用契約を結ばない多様で新しい働き方が急速に普及している。

フリーランスは身に付けてきた専門的能力を活かし、自由な働き方や自律的なキャリア形成を図る積極的選択肢になりうる。しかし一方で、近年独立した一部には、コロナ禍などで離職を強いられた結果、当初は消極的選択として「起業」し、従来の労働者保護を受けることができず社会的に不安定な立場に置かれてしまっている人も存在する。社会はいま、この課題に対しどう対応しようとしているのだろうか。

動きのひとつとして挙げたいのが、2022年1月に方針が示された、失業手当の受給資格を離職後最大4年まで維持できるようにする、雇用保険法の改正だ。

この制度改正が実現すれば、従業員時代に獲得した失業手当受給資格を延長させることが可能になり、万が一起業後に廃業した際のセーフティネットとなる。

これを岸田内閣が掲げるスタートアップ促進施策の一環と捉える見方もある。しかし、雇用保険法の目的を踏まえるとこの改正は、いわゆるスタートアップ起業家のためではなく、コロナ禍で離職を強いられた末に見出した「新たな働き方」として、個人事業主として起業に至ったフリーランス保護の一環と考えるのが妥当なのである。

目次

  1. 失業手当はスタートアップ「起業」振興の主流施策ではない
  2. 急増するフリーランスという働き方の社会制度上の曖昧さ
  3. 世界的潮流となっているギグワーカー
  4. 新しい働き方を支えていくために、社会保障の必要性
  5. 急速に変化する社会環境で、人間の尊厳を保つ働き方を実現するための一歩

失業手当はスタートアップ「起業」振興の主流施策ではない

日本のスタートアップ起業率向上のために、セーフティネットの充実が図られるべきだという議論はこれまでもされてきた。2022年2月に行われた第4回経済産業政策新機軸部会でも、セーフティネットの拡充が図られるべきとのコメントが多数委員たちから出ている。しかし、ここで具体的に挙げられているのは、経営者の個人保証(経営者個人が会社の連帯保証人となり、保証債務を負うこと)にまつわる事項であり、失業手当に関する議論はなされていない。

また例えば、Z Venture Capital代表の堀新一郎氏らは、著書の中で以下のように述べている。

「たとえ立ち上げたサービスが1年でクローズする憂き目にあったとしても、アイディアを探すために誰よりも詳しくなり、事業構想を実現するためのメンバーを集め、素早く必要最小限の機能を定義しプロトタイプを開発し、ユーザーに使ってもらいながら仮説検証を進め、顧客を獲得し、投資家に資金調達のプレゼンを行った経験は、何ものにも代え難い。起業経験者を雇いたい大企業やスタートアップの経営者は山ほどいる」
『STARTUP優れた起業家は何を考え、どう行動したか』 NEWSPICKSパブリッシング

つまりスタートアップ起業家の多くは、事業に失敗した場合であっても失業保険に頼ることを想定しておらず、失業手当の拡充は起業を促すスタートアップ振興文脈の主流ではない。

急増するフリーランスという働き方の社会制度上の曖昧さ

ではそもそもフリーランスという働き方は、現在日本でどの程度普及しているのか。

ランサーズが行った新・フリーランス実態調査「2021-2022年版」では、一般的に副業などを含む「フリーランス」約1,500万人の中で個人事業主・法人経営者として、1人で事業を営んでいる人たちは500万人いると示している。2020年2月実施の調査の296万人と比較すれば、急増していることがわかるだろう。

ただ、フリーランスの定義はそもそも定まっていない。例えば一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会はフリーランスを「特定の企業や団体、組織に専従しない独立した形態で、自身の専門知識やスキルを提供して対価を得る人」と定義しているが、法令上における正確な定義はない。そのため、各種統計調査の取り方も未だ定まっておらず、実は政府統計では(調査は実施されているものの)「フリーランス」の存在を十分に把握できていないのだ。

内閣官房日本経済再生総合事務局 「フリーランス実態調査結果」を参照し、編集部作成
(画像=内閣官房日本経済再生総合事務局 「フリーランス実態調査結果」を参照し、編集部作成)

世界的潮流となっているギグワーカー

フリーランスの中でも世界的な注目が集まる新たな働き方であるギグワーカーは、インターネット上のプラットフォーム事業者を通じて、顧客と契約し、サービスを提供する。プラットフォームとしては、個人と顧客を結び付けるランサーズや、タクシー配車やフード注文・配達プラットフォームのUberが例に挙げられる。

では、日本のギグワーカーの実像はどうなのだろうか?ギグワーカーの代表例であるフードデリバリー配達員について、一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会がフードデリバリー配達員1万人超に対して行った調査「フリーランス白書2022」の結果を見てみよう。

本調査によれば、仕事への満足度は全体として高いことが伺える。プライベートとの両立、収入の2項目ではフリーランス全体と比べて高い評価になった。配達業務への満足度は62.5%、配達業務継続意向(「ずっと続けたい」「しばらく続けたい」の合計)は、81.9%に上った。さらに、配達員を専業にしている(=生活の基盤をここで得ている)と答えている人も28%いる。

更に読み進めていくと、配達員を始める前の働き方に関する課題として、「コロナで仕事を失った」「仕事が見つからない」と挙げる人がそれぞれ10%程度存在していることがわかる。2021年版小規模企業白書によれば非正規の職員・従業員数が大幅に減っている(職を失っている)ことが確認されている中、ギグワーカーという働き方は失業を防いだり、就業機会を提供したりすることに寄与している面も伺える。

一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会「フリーランス白書 2022」を参照し、編集部作成
(画像=一般社団法人プロフェッショナル&パラレルキャリア・フリーランス協会「フリーランス白書 2022」を参照し、編集部作成)

「コロナ失業で職を失い、求人募集が減った中でオンラインで履歴書や面接がなく登録後すぐに働けるフードデリバリーの仕事は僕にとって救いになりました」(20代)

「職業的に空き時間や休日が長く取れるために以前は工場などで短期に行っていたりしましたが、募集していなかったり収入面でデリバリーは本当に家計的に助かりました」(50代)

「会社員で経理の仕事をしていたが体を壊して退職。とっかかりとして、外に出ようと思い、配達を始めた」(50代女性)

新しい働き方を支えていくために、社会保障の必要性

一方で、フードデリバリー配達員としての仕事に満足が得られていない点として、「社会的地位」(17.0%)「多様性に冨んだ人脈形成」(19.0%)が挙げられる。また、ジョブセキュリティの不安定さを上げる声も散見され、同調査には以下のようなコメントが寄せられている。

「ギグワークとして裁量のある働き方ができるのは非常に魅力的に感じます。 反面、専業として働くにはアカウント停止・報酬制度の変更など不安定な要素が多く、やはり副業として働く事が最も良い付き合い方という風には感じます。」(30代男性)

国際労働機関(ILO)は、ギグワーカーと顧客を結び付けるプラットフォーム(デジタル労働プラットフォーム)の数を調査し、2010年時点で142だったところ、2021年1月時点で少なくとも777まで増加したと発表している。また同時に「業務上の安全、健康、社会保障の現状と保護の必要性」を訴えている。

日本でも、内閣官房・公正取引委員会・中小企業庁・厚生労働省が2021年3月に「フリーランスとして安心して働ける環境を整備するガイドライン」を発表し、環境整備を図っている。この中では、発注主による報酬支払の遅延や一方的な値引き、著しく低い報酬額の提示、業務のやり直し、不要な商品やサービス購入の強制などを独占禁止法や下請法の禁止行為に当たると示している。また、プラットフォーマーによる利用規約の一方的な不利益変更も独占禁止法の優越的地位の濫用にあたりうると示している。

また、内閣府の成長戦略会議が発表した2021年6月の成長戦略フォローアップの中では「フリーランスについては、多様な働き方の拡大、ギグエコノミーの拡大による高齢者雇用の拡大、健康寿命の延伸、社会保障の支え手・働き手の増加などの観点からも、個人がフリーランスを選択できる環境を整える必要がある。」 と述べている。

こうした社会的な流れを受けたのが冒頭の雇用保険法改正だ。他にも、通常従業員のみ加入が認められている労災保険に対して、フリーランスや個人事業主で一定の職業に従事する者も特別加入制度を通じて加入可能であったが、2021年にその範囲を拡大する改正が行われた。フリーランスを積極的選択として選ぶことが出来るよう、日本の社会保障は遅ればせながらではあるが変わりつつあるのだ。

急速に変化する社会環境で、人間の尊厳を保つ働き方を実現するための一歩

厚生労働省が2016年に開催した「働き方の未来2035:一人ひとりが輝くために」懇談会の報告書の中で、技術革新のインパクトの影響を以下のように予測している。

「2035年の企業は、極端にいえば、ミッションや目的が明確なプロジェクトの塊となり、多くの人は、プロジェクト期間内はその企業に所属するが、プロジェクトが終了するとともに、別の企業に所属するという形で、人が事業内容の変化に合わせて、柔軟に企業の内外を移動する形になっていく。その結果、企業組織の内と外との垣根は曖昧になり、企業組織が人を抱え込む「正社員」のようなスタイルは変化を迫られる。(略)企業に所属する期間の長短や雇用保障の有無等によって「正社員」や「非正規社員」と区分することは意味を持たなくなる。」

多様な働き方を実現することは、多様な願いを持つ現代に働く人にとって重要なテーマだ。ただ働くということは、個人が社会とかかわる上で、収入を得る以上に重要な役割を果たしているということを忘れてはならない。例えばILOは「権利が保障され、十分な収入を生み出し、適切な社会的保護が与えられる生産的な仕事」を意味する「ディーセント・ワーク」を掲げている。

多くの人にとって尊厳のある働き方になるように、急速に変化する世の中に、社会保障が対応しようとしている。そのための着実な一歩として、起業時の失業手当受給期間延長を評価したい。

(執筆者:髙原 康次)GLOBIS知見録はこちら