(本記事は、土屋 守氏の著書『人生を豊かにしたい人のためのウイスキー』=マイナビ出版、2021年3月24日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
シングルモルトのシェア拡大や、世界的な品評会でシングルカスク余市と響21年が受賞するなどの明るいニュースがありつつも、ウイスキー消費量の下降に歯止めはかからず、2008(平成20)年まで下がり続けました。底を打った2008年の消費量は7万4000キロリットル。1983(昭和58)年のピーク時のおよそ5分の1にまで減っていました。
しかし、ウイスキーの消費量は2009(平成21)年から上昇に転じます。長いウイスキー不況に終止符を打ったのは、ハイボールブームでした。
2008(平成20)年ころから、サントリーは角瓶をソーダで割る「角ハイボール」、通称「角ハイ」の広告を展開。「ウイスキーが、お好きでしょ」の名曲をBGMに、女性店主が営むバーの様子を描いたテレビCMは大いに好評を博しました。そして、若者を中心にハイボールが大ブームとなり、そのおかげで消費量が上昇に転じたのです。ハイボール人気は10年以上経った今も継続中で、スーパーやコンビニではハイボール缶が並び、ご当地ハイボールも誕生しています。
ウイスキーの国内消費量の底打ち、ハイボールの流行、そしてウイスキー消費量の回復と、2007~2009年はウイスキー産業にとって潮目が大きく変わった時期です。と同時に、クラフトウイスキーという新たな潮流が生まれた時期でもあります。
2007(平成19)年、埼玉で一つのクラフト蒸留所が産声を上げました。ベンチャーウイスキー社の秩父蒸溜所です。創業者の肥土伊知郎さんはサントリーで営業職として働いて経験を積んだのち、父親が経営する東亜酒造に入社。その後、父親の後を継いで社長に就任します。東亜酒造は、創業1625(寛永2)年の老舗の酒蔵です。1960年代からはウイスキーの製造にも乗り出し、1980年代の地ウイスキーブームの際には「ゴールデンホース」をリリース。これが大ヒットとなり、地ウイスキーの東の雄として名を馳せました。
しかし、2004(平成16)年に他社への事業譲渡が決定してしまいます。肥土さんは譲渡先から、祖父が開設した羽生蒸留所の売却と、製品化されずに残っていたウイスキー原酒400樽相当の廃棄を求められました。肥土さんは原酒を守るため、秩父市でベンチャーウイスキー社を設立。翌2005(平成17)年に、残った原酒を使ったシングルモルトウイスキー「イチローズモルト」をリリースしました。
その後、肥土さんは秩父市の工業団地の一画に秩父蒸溜所を建設し、2008(平成20)年2月から蒸留をスタートさせます。くり返しになりますが、2008年は国内のウイスキー消費が最低だった時期です。「このタイミングで個人が蒸留所を建てるなんて無謀にもほどがある。すぐに閉鎖に追い込まれるのではないか」と誰もが危惧していました。けれども、肥土さんは周囲のそんな予想を見事に裏切ります。2011(平成23)年に秩父蒸溜所で蒸留した原酒を使った「秩父 ザ・ファースト」をリリースすると、全7400本がその日のうちに完売。それから10年、秩父蒸溜所は世界に名だたる蒸留所となりました。
秩父蒸溜所、あるいはイチローズモルトのファンは世界じゅうにいます。2019(令和元)年8月に行われた香港ボナムズのオークションでは、イチローズモルトのカードシリーズ54本セットが、約9750万円(719万2000香港ドル)という高値で落札され、大きなニュースになりました。これは日本産ウイスキーの落札額としては過去最高です。
今、国内各地にウイスキー蒸留所が誕生し、クラフトウイスキーブームが起きています。その先駆けとなったのが、肥土さんと秩父蒸溜所なのです。
※画像をクリックするとAmazonに飛びます