人生を豊かにしたい人のためのウイスキー
(画像=donfiore/stock.adobe.com)

(本記事は、土屋 守氏の著書『人生を豊かにしたい人のためのウイスキー』=マイナビ出版、2021年3月24日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)

押さえておきたいウイスキー業界のトレンドを二つ、ご紹介しましょう。

一つめは、ウイスキー投資です。すでにお話ししたように、2019年8月に行われた香港ボナムズのオークションにおいて、イチローズモルトのカードシリーズ54本セットが約9750万円(719万2000香港ドル)で落札されました。

カードシリーズは、2005年から2014年にかけて順次発売されました。それぞれのボトルには異なる樽で熟成された原酒が瓶詰めされており、54本すべてがそろったフルセットは、世界に数セットほどしかないといわれています。とても貴重なものなのです。とはいえ、発売時の価格は1本平均で1万5000円、54本そろえても81万円です。それがおよそ120倍の価格で落札されたわけですから、出品者もさすがに驚いたのではないでしょうか。

また、同年10月には、イギリスのサザビーズで60年物の「ザ・マッカラン」が約2億1750万円(150万英ポンド)で落札されました。このマッカランは1926年に蒸留されたのち、60年間シェリー樽で熟成されていたという代物です。同じ樽から瓶詰めされたものが30〜40本あるといわれており、そのうちの12本が、1986年に1本100万円で販売されました。

当時発売されたものと、今回オークションに出品されたものとでは、ラベルなどに違いがあり、まったく同じものというわけではないのですが、中身は一緒です。100万円で売られていたものに、33年後に約216倍の値がつく―。夢のような話だと思いませんか。

先述のイチローズモルトの落札者もマッカランの落札者も、おそらくは飲むのが目的ではなく、投資目的で落札したのでしょう。これほど高額な取引にならずとも、自宅に眠っていた、あるいは蒸留所の売店で購入したウイスキーを、ネットオークションやフリマアプリなどに出品する人もいるようです。

近年は、ウイスキーに投資するファンドも登場しています。世界のウイスキー市場は2026年まで拡大が続き、年間平均成長率は5%超を記録すると予測されています。ウイスキー投資ブームも、まだしばらく続くのではないでしょうか。

二つめのトレンドは、ウイスキー新興国の台頭です。

おいしいウイスキーは冷涼な土地で生まれる―。ウイスキー業界では長らくそういわれてきました。外気温の変化が少ない寒冷地のほうが熟成がゆっくりと進み、その分、味に奥行きが出ます。ゆえに、暑い地域でつくられたウイスキーは、これまであまり評価されませんでした。それが今、変わりつつあります。

暑い地域でもおいしいウイスキーをつくれることを世界に知らしめたのが、台湾のカバラン蒸留所です。カバラン蒸留所から新製品が出るたびに話題になり、品評会でも多くの賞を受賞しています。

2020年に開催された第2回東京ウイスキー&スピリッツコンペティション(TWSC)では、出品された全128品のシングルモルトのなかから、カバラン蒸留所の「カバラン ソリスト ヴィーニョ バリック」が最高賞の「ベスト・オブ・ザ・ベスト」を受賞。さらに、2位、3位にもカバランのウイスキーが選ばれ、スコッチやジャパニーズを差し置いてトップ3をカバランが独占するという結果になりました。

インドウイスキーも要注目です。実はインドは、世界一のウイスキー消費国であることをご存じでしょうか。また、世界のウイスキー販売量ランキングにおいて、1位を獲得しているのもインド産ウイスキーです。

ただ、インドで親しまれているのは、モラセスを原料としたウイスキーです。モラセスは、サトウキビから砂糖を生成する際に出る副産物で、日本では廃糖蜜または糖蜜と呼ばれます。モラセス原料のウイスキーは、インドでは180ミリリットルサイズの紙パックで売られていることが多く、価格はなんと50円ほど。その安さから、インドの人々の国民酒となっています。

ただし、国際基準に照らし合わせると、モラセスを原料とするインディアンウイスキーは、「ウイスキー」とはいいにくいものがあります。事実、EU域内では、インディアンウイスキーをウイスキーとして販売することはできません。EUでは、ウイスキーは「穀物を原料とする蒸留酒を木の樽で熟成させたもの」と定義されており、モラセス原料のウイスキーはその定義からはずれているからです。これまでインディアンウイスキーがあまり注目されてこなかったのも、国際基準からはずれる製品がほとんどだったからでしょう。

しかし近年、本格的なシングルモルトをつくる蒸留所が増え、インディアンウイスキーに注目が集まっています。

インドではじめてシングルモルトをリリースしたのは、アムルット蒸留所です。アムルット蒸留所は、インド南部のカルナータカ州の州都バンガロールにあります。1948年の創業以来、ウイスキーのブレンドやボトリングを行っていましたが、1985年からウイスキーづくりをスタート。当初はモラセス原料の安いウイスキーをつくっていましたが、その後蒸留所を新設し、2004年に世界初のインディアンシングルモルト「アムルット」をリリースします。

サンスクリット語で「人生の霊酒」を意味する「アムルット」のおいしさは、やがて世界のウイスキー関係者に知られるようになります。『ウイスキー・バイブル』の著者であり、ウイスキーの世界的権威でもあるジム・マーレイ氏は、2010年刊行の著書で、「アムルット・フュージョン」に100点満点中97点という高得点をつけ、「世界第3位のウイスキー」と讃えたほどです。

インド南西部の街ゴアにあるポール・ジョン蒸留所も、インディアンシングルモルトをつくっています。ポール・ジョン蒸留所を運営するのは、「オリジナルチョイス」などのモラセス原料のウイスキーで知られるジョン・ディスティラリー社です。同社は、「世界に通用する本格的なシングルモルトをつくりたい」との想いから、2007年、ポール・ジョン蒸留所を新設したのです。

私はこれまで、カバラン蒸留所、アムルット蒸留所、ポール・ジョン蒸留所を訪れ、ウイスキーを何度も飲んでいますが、どれもとてもおいしいのです。とくに、熟成年数が短い製品の出来映えは、五大ウイスキーの老舗蒸留所のものに引けをとりません。一般に、熟成年数が短いウイスキーは、熟成年数が長いものに比べて味に深みがなく、香りも広がりに欠けます。ところが、カバランやアムルット、ポール・ジョンのウイスキーは、熟成年数が3年、4年という若い製品であっても、8年物、あるいは10年物に匹敵する〝熟成感〟があるのです。

ウイスキーの熟成に使われるのは木製の樽です。ウイスキーがもれない程度には密閉されていますが、気体はとおれます。ゆえに、ウイスキーは熟成している間も少しずつ蒸発しています。これを「エンジェルズシェア」(天使の分け前)といいます。ウイスキーが蒸発して樽の中身が減ると、その分、樽のなかに酸素が取り込まれます。ウイスキーは樽のなかで酸素に触れながら、少しずつ熟成していくのです。

一般に、スコッチのエンジェルズシェアは年間2%ほどで、熟成がピークを迎えるのに15〜30年かかります。対してカバラン蒸留所では、エンジェルシェアは17〜18%になるそうです。

ウイスキーが蒸発すれば、それだけ取り込まれる酸素の量が増え、熟成はダイナミックに進みます。カバランの場合、5~6年もすれば熟成はピークに達します。アムルット蒸留所やポール・ジョン蒸留所のウイスキーも同様で、実際の熟成年数以上の熟成感が感じられるのは、カバランと同様に熟成の進みが早いからでしょう。

現在、イスラエル、インドネシア、タイ、パキスタン、南アフリカなどにもウイスキーの蒸留所ができています。いつか、暑い地域のウイスキーが「六大ウイスキー」「七大ウイスキー」に数えられるようになり、「ウイスキーは暑い地域でつくられたものに限る」といわれる日がくるかもしれません。

人生を豊かにしたい人のためのウイスキー
土屋 守
作家、ジャーナリスト、ウイスキー評論家、ウイスキー文化研究所代表。1954年、新潟県佐渡生まれ。学習院大学文学部国文学科卒業。フォトジャーナリスト、新潮社『FOCUS』編集部などを経て、1987年に渡英。1988年から4年間、ロンドンで日本語月刊情報誌『ジャーニー』の編集長を務める。取材で行ったスコットランドで初めてスコッチのシングルモルトと出会い、スコッチにのめり込む。日本初のウイスキー専門誌『The Whisky World』(2005年3月-2016年12月)、『ウイスキー通信』(2001年3月-2016年12月)の編集長として活躍し、現在はその2つを融合させた新雑誌『Whisky Galore』 (2017年2月創刊)の編集長を務める。1998年、ハイランド・ディスティラーズ社より「世界のウイスキーライター5人」の一人として選ばれる。主な著書に、『シングルモルトウィスキー大全』(小学館)、『竹鶴政孝とウイスキー』(東京書籍)ほか多数。

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