(本記事は、鏑木 毅氏の著書『50歳で100km走る!』=扶桑社、2022年1月29日刊=の中から一部を抜粋・編集しています)
見据えるべきは、その先の50年
物事を始めるには賞味期限があります。運動生理学的には、60歳くらいから人間の運動能力や筋力は大きく落ち込むそうです。確かに私がこれまで指導させて頂いた方々を見ても、その傾向は顕著に見られます。50代後半まで集団走についてこられた方が、60歳を越えると今までのようにはついてこれなくなってしまいます。
裏を返せば、50代はまだまだ強くなる余地は十分あるとも言えます。
実際に、50代中盤にランニングを始め、当初はかなり体力的に厳しいなと感じられていた方でも、本人の努力によって、数年間でフルマラソンを3時間20分で走り切るまで走力を引き上げた方もおられます。
その方も、60歳を越え確かに走力は落ちてはきましたが、50代で適切なトレーニングを行って高めた持久力や脚力は急激には落ちることはありませんので、今も100㎞級のトレイルランニングレースを完走するなど活躍しています。
ランニングに必要な能力は、他のスポーツのそれに比べて一度獲得すれば落ちにくいという特性があります。
もちろん60、70歳になってもランニングを始められますし、楽しむことは十分できます。ただ、100㎞といった高いレベルのところまで挑戦するとなると、30歳が人生のラスト チャンスになると言えるのです。
また、それ以前から走り始めた方にとっても、50代が自分の能力を伸ばす最期のチャンスで、ある程度高いレベルに引き上げれば、その後も同じように走り続けることができるのです。50代で培ったラン能力が、その後のランニングレベルを決定づける大切な年代でもあるのです。
仕事以外に情熱を傾けられるものを手に入れる
人生は努力の量に比べれば見返りが少ないもの。ここまで生きてきて感じるのはこの言葉です。
特に、15年間勤めたサラリーマンの頃、このことを感じたものです。
新しい企画を考えるなど、自分ではそれなりに仕事はできると感じていました。 しかし、ある日、職場で私がしばらく離れた時のことでした。上司が電話で神妙な顔で話していました。相手は人事だったと思います。
「そうですね。仕事はまずまずですかね」
話しぶりから私のことを話しているとすぐにわかりました。これほど一生懸命に頑張っているのにまずまずなのか......。しばらくは仕事が手につかないほどにかなりショックでした。
上司や同僚に認めて貰いたくて、必死に頑張ってもさほど認められず、周囲は自分が思うほどには評価していないのだと痛烈に感じました。時には褒められたりするものの、同期に比べ昇進が遅いとか、仕事で「認められていない」という思いは日増しに募って行きました。
一方、30歳手前から始めたトレイルランニングでは、一人でコツコツ努力を積み上げているなかで、確実にステップを上がる充実感を感じていました。
人間は何かをすれば、わかりやすいかたちですぐにその見返りが欲しいと思うものです。
ランニングというスポーツがいいのは、その成果が実にわかりやすいということ。
スポーツ自体が世の中の事象の中で、成果がはっきりしたものだと思います。とりわけランニングは、他のスポーツと比べてもその努力値が、タイムや距離などとして見えやすいものとなってわかるのです。
「走ること」で広がる人間関係
あなたには子供くらい歳の差のある若い友人はいますか?
50歳になると仕事人生としての終わりはなんとなく見えてきます。この先の人生で大切な存在は気が置けない友人の存在ではないでしょうか。
特にこのコロナ禍、人間関係はとりわけ希薄になりつつあります。
ランニングは個人スポーツですから、チームを組む必要もありませんし、対戦相手がいなければ成立しないものでもありません。必ずしもチームやクラブに属さなければならないものではありませんが、私はランニングコミュニティに入ることを強くお勧めします。
仲間からさまざまな生きた知識を得られますし、自分より強い人からの刺激は、マイペースでできてしまう個人スポーツだからこそレベルアップには欠かせないのです。
そして何より仲間、友人の存在です。
友人なんて面倒と思う方もいらっしゃると思いますが、大切なのは互いにストレスを感じない気の置けない友人の存在です。
とりわけ私は子どもほど歳の離れた友人をお勧めします。コミュニティに入れば容易にできるものです。
若い人達と付き合うと自分は歳だなと感じることは多いのですが、とにかく刺激を貰えます。確かに気おくれすることもあるでしょうが同じ人間、こちらが垣根をつくらず話してみれば歳の差などたいしたものではないものです。
ランニングコミュニティは深く繋がりたい方も、浅く繋がりたい方も自分にあった関わりが持てる。そんな鷹揚な人の繋がりの心地良さがあります。