この記事は2022年5月19日に「テレ東プラス」で公開された「コンビニ・スーパーに頼らない~自販機に賭けるダイドードリンコ:読んで分かる『カンブリア宮殿』」を一部編集し、転載したものです。
飲み物だけじゃない ―― おむつ、ストッキングも自販機で
自動販売機は今や飲み物を売るだけじゃない。東京・墨田区の商業施設「オリナス錦糸町」にあるのは、紙おむつ「グ~ン」(2枚入り240円)が入っている自動販売機。匂いが漏れないオムツ専用のゴミ袋も付いている。出先で急に足りなくなった時に助かると、子育て世代に重宝されている。
一方、ある企業のオフィスに設置された自販機にはストッキング「サブリナ」(500円)が入っていた。伝線して困っている女性社員のために導入したという。
そんなユニークな自販機を世に出しているのがダイドードリンコだ。創業は1956年、大阪に本社を置く中堅飲料メーカー。缶コーヒーが有名だが、実はお汁粉やコーンポタージュ、さらには参鶏湯などという攻めた商品も出している。
▽ユニークな商品を世に出しているダイドードリンコ
炭酸飲料「ぷるっシュゼリー×スパークリング」には「10回以上振って」と書いてある。やってみるとゼリー状になって出てきた。ゼリーが炭酸を閉じ込めるので泡を噴き出す心配はないという、新感覚のドリンクだ。
ダイドードリンコは売り上げの8割を自販機で稼ぐ。コロナ禍の外出自粛でライバル各社が自販機での売り上げを減らす中、あえて設置台数を増やし、去年は増収を達成した。
ダイドーグループホールディングス社長・髙松富也(45)は創業家の3代目。コロナ禍で自販機不況の今、あえて自販機を武器に業績を回復させてきた。
「今のままの自販機だけだったら、どこかで限界がくると思いますが、その場所ごとに求められているものをもっと提供できるように進化をしていけば、まだまだ世の中に認めてもらえて価値を生み出していける可能性があると思っています」(髙松)
自社の自販機を置いてもらうため、ダイドーはその場その場で求められる付加価値を付けている。
自販機戦略1「機能性で勝つ」
兵庫・淡路島にある直売所「美菜恋来屋」の店先には、ダイドーの淡路島限定自販機がある。島の特産品「淡路島なるとオレンジ」のラッピングがしてあるが、「なるとオレンジ」のドリンクが入っているわけではない。これはボタンを押すと香りが出てくる特殊装置付きの自販機。島の名産「なるとオレンジ」をもっと買ってほしいという店の要望に答え、ダイドーが開発した。
「おいしそうな匂いだったら店内で買ってもらえる。購買意欲が上がって、『なるとオレンジ』の売り上げも伸びています」(店長・茱萸健太さん)
自販機のほうも面白機能で客を引き付け、ドリンクの売り上げアップにも繋げている。
ダイドーは買う客側に立った研究も進めている。例えば、自販機の上に特殊なカメラを設置した実験。これで顔の輪郭と目の位置を認識すると、自販機のどこを見ているかが分かる。実験内容を明かさずに、一般のモニターに実際に飲み物を選んでもらう。そのデータを集めていくと、お客の購買につながるヒントが見えてくるという。
▽自販機のどこを見ているかが分かる特殊なカメラを設置
以前は、上段の端にミネラルウォーターを置いていたが、分析の結果、スポーツドリンクや炭酸水などさわやか系と並べて置くことで売り上げがアップしたという。
社員の間では新たな自販機のアイデア出しも盛んだ。彼らは、自販機は単に商品を売るための機械ではないという。「我々は自販機を店舗として捉えて、お客とコミュニケーションをとってくれる店員さんだと思っています」と言うのだ。
ご当地限定「方言自販機」に、警察と連携の防犯機能付きも
自販機戦略2「しゃべって勝つ」
今では当たり前となった自販機のおしゃべり機能。ダイドーはこれをさらに進化させ、おしゃべり自販機を「地域の顔」にした。
青森市の道の駅「なみおかアップルヒル」にある自販機は「ど~もど~も 釣りっこ忘れねんでの~(お釣りをお忘れなく)」と、津軽弁で話す、方言自販機だ。一方、徳島では阿波弁で「おいでなして!(いらっしゃいませ)」、沖縄では「お釣り、わしみそーんなよー(お釣りをお忘れなく)」といった具合だ。
地元客はもちろん観光客にも親しんでもらおうと、現在18の方言自販機を展開。地域に寄り添うことで購入アップにつなげている。
2022年4月には新たなおしゃべり自販機を導入した。京急本線横浜駅に設置された自販機から聞こえてきたのは、去年惜しまれつつも引退した「ドレミファインバータ」の愛称で知られる京浜急行の名物車両の発車音。復活を望むファンの声に応え、ダイドーがおしゃべり自販機として発車音やアナウンス音などをよみがえらせたのだ。
「電車が走っていくような臨場感があるので、さすがダイドーさんの自販機だと思いました」(京急ストア・塩田正さん)
さらに、おしゃべり自販機は意外なかたちで役に立っている。
「知らない人からの声掛けや、後をつけてくる不審者には注意しましょう」と、人通りの少ない場所で、30分に1回、自動で声掛けをしてくれる自販機。防犯に役立てようと、青森県警とタッグを組んだ地域貢献自販機だ。
「地元の方からは『安心できます』や『非常に効果的』などの声をいただいています」(青森県警・佐藤誠さん)
▽30分に1回、自動で声掛けをしてくれる自販機
自販機戦略3「地域貢献で勝つ」
東京・板橋区の自販機は、機械の側面で「ご自由にどうぞ」と、傘を無料で貸し出している。ダイドーはこのレンタルアンブレラを220カ所に設置している。よく見ると傘の種類はバラバラ。鉄道会社と連携して、保管期間を過ぎて廃棄される忘れ物の傘を、譲り受けているのだ。資源の再利用にもなっている。
町に寄り添う自販機。それが大手とは違うダイドーの独自路線だ。
「ダイドーの自販機は単なる飲料を販売するだけでなく、いかに地域で生活している方々のお役に立てるか。そこに特化してビジネスを伸ばしていこうと」(髙松)
コンビニに頼らない ―― ダイドーの自販機特化戦略
現在、国内で自販機を作っているメーカーはたったの2社。その1つが群馬・前橋市の「サンデン・リテールシステム」だ。
自販機はほとんどがオーダーメード。メーカーによって仕様が違うからだ。だから手作業が多くなる。そんな工場の敷地内には自販機ミュージアムも。中には歴史を感じさせるレトロな自販機がズラリ。1955年製の瓶の「コカ・コーラ」自販機、1960年代に活躍した噴水型自販機……。「昔は粉を溶かしたジュースだったので、ジュースを回すことによって、粉の沈殿を防いで、いつでも同じ濃さのジュースを飲めていたそうです」という。
▽自販機ミュージアム、歴史を感じさせるレトロな自販機がズラリ
戦後間もなく、髙松富也の祖父・富男は置き薬の仕事を始める。置き薬とは、各家庭に薬箱を預け、次回訪問した時に、使った分だけ料金をもらい、薬を補充するという商売。販路を全国に広げた富男は1956年、大同薬品を創業。工場を作り、当時としては珍しいキャップ式ドリンク剤の製造販売を始めた。
物流が鉄道からトラックへとシフトした1970年代。ドリンク剤は「眠気覚ましに効く」とトラックドライバーの間で人気となる。それに続けと、富男は缶コーヒーの製造も開始。これがダイドーの自販機ビジネスの始まりとなり、ドライブインなどでよく売れた。
そして、ある革新的な自販機がダイドーを一気に躍進させる。1977年に登場したホットとコールドが1台で出せる自販機だ。これが爆発的に普及し、ダイドードリンコは本格的に自販機ビジネスへと舵を切っていく。
しかし、1990年代に入るとダイドーに大きな壁が立ちはだかる。大手ビール系の飲料メーカーが缶コーヒーを売りにした自販機を大量投入。さらに追い打ちをかけたのがコンビニの台頭だった。自販機に特化していたダイドーは窮地に追い込まれていく。
そんなダイドーを救ったのが地方だった。かつて創業者は、全国をまわりながら、ダイドーの自販機を広める特約店を開拓していた。秋田市の「秋田ダイドー」もその1つ。もとは牛乳配達をしていたという。
「創業者がドリンクをドライブインなどに置いて歩いていた。1軒1軒、末端のお客でも直接行くのが大事だということを、ダイドーさんから教わりました」(会長・松本勲)
置き薬を広められたのは地域とのつながりを大切にしたからこそ。その創業者の思いは今も受け継がれている。ドリンクを補充した作業員が、商店の店頭に回り「身体の具合は大丈夫?」などと声をかける。こうして地域の人の信頼を得て、自販機を置いてくれる場所を増やしていく。これがピンチに陥っていたダイドーを救ったのだ。
「ダイドーの強みは地域を大事にすること。それがあるから生き残った」(松本)
アポなし飛び込み営業から、ニーズに合った自販機に
ダイドーの3代目として、現社長の髙松は1976年に生まれる。京都大学時代は野球部で活躍。卒業後はモノづくりを志し、三洋電機に入社した。しかしその3年後、祖父・富男の死で気持ちに変化が起きた。
「お別れの会をやった時に、創業からの歴史を振り返る写真を見るなどして、思いを持って築いてきた事業なんだなと知りました」(髙松)
髙松は社長となった父を助けようと、2004年、ダイドードリンコに入社した。しかし外からダイドーに入った髙松は、徐々に違和感を覚え始める。
「社員たちは自販機ビジネスは安泰だという思いが強かったのかもしれません、だから何も変えなくて今まで通りでいいと」(髙松)
特に危惧したのは、飛び込みがメインの営業方法だった。
「古株の社員たちは、ローラー作戦で飛び込みで一軒一軒つぶしてまわって、刈り取ってしまったら、狩猟民族みたいにまた違うところに行くという、その日暮らしのやり方をしていました」(髙松)
危機感を感じた髙松は、会議の席で「行き当たりばったりの営業はやめて、本当に自販機を必要としているところを攻めるべき」と訴えた。ベテラン社員からは反発もあったが、髙松は新たな営業のやり方を推し進めていった。
例えば、防災に力を入れている企業に提案したのが災害救援の自販機。「ハンドルを回すことで自販機からジュースを排出する分の電気を発電できる。発電すれば無料で飲み物を出すことが可能」という。
▽災害救援の自販機、ハンドルを回して発電すれば無料で飲み物を出すことが可能
単に自販機を売り込むのではない、提案型の営業を進めているのだ。
社員の1人は、「ただ単に『自販機をつけてください』という営業だと、すぐに電話を切られてしまうことが多い。企業が取り組んでいることをホームページで調べることで、『私たちの取り組みが役立てるかもしれません』という情報交換をさせて頂いてから、接点を構築するようになりました」と言う。
埼玉・飯能市の食品メーカー「大平きのこ研究所」に提案した自販機は、ドリンクのボタンを押して顔を枠に合わせると、お金を入れずに商品が出てくる。顔認証で商品が買える自販機だ。この工場では衛生面への配慮から、スマホや財布は持ち込み禁止。それを知ったダイドーが画面に顔をかざすだけで料金が個人のクレジットから引き落とされる「顔認証自販機」を提案した。
▽顔認証で商品が買える自販機
「従業員にとっていい環境ができるので導入しました。便利です。これを使うと他が使えなくなる」(社長・大平洋一さん)
2014年、37歳で社長となった髙松は自販機ビジネスの仕組みをガラリと変えていく。
その1つが「作業の効率化」。それまで、どのドリンクがどれだけ売れているかは、自販機を開けるまで分からなかった。そのため、補充の際、持ち込む商品が多すぎたり、足りなかったりという無駄があり、作業員の大きな負担となっていた。
それを解決するために導入したのが、自販機とオンラインでつなぎ、商品の売れ行きデータを常に把握できるシステムだ。
担当者の1人は「今は事前に販売本数がわかるので、売れていない自販機には行かなくていいという判断ができるし、逆にいつもより売れている自販機があれば、早めに行こうという判断ができるようになりました」と言う。
これによって倉庫でも、どの自販機にどの商品を何本補充すればいいかが表示される。事前に準備できるようになり、現場の負担も減ったという。
~ 村上龍の編集後記 ~
自販機は大切な店舗であり、現場の汗が生命線らしい。自販機のオペレーションのことだ。夏は汗まみれに、冬は手がかじかむ。ルート担当者のトラックには清掃用具が積んであり、自販機だけではなく周囲も掃除する。
グンゼと提携したストッキング、大王製紙と組んだベビー用オムツ、便利だと評判だった。最近、おしゃれって何なんだという論議になった。自販機は確かにおしゃれではない。おしゃれは大切だ。だが、便利な方がいい場合がある。世の中はそっちのほうが圧倒的に多い。
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<出演者略歴>
髙松富也(たかまつ・とみや)
1976年、奈良県生まれ。2001年、京都大学経済学部卒業後、三洋電機入社。2004年、ダイドードリンコ入社。2014年、代表取締役社長就任。2017年、ダイドーグループホールディングス代表取締役社長就任。
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