イギリスのストリートアーティスト・バンクシーは、その正体不明のアイデンティティ、神出鬼没なスタイルから2000年代前半頃から徐々に知名度が上がり、瞬く間に世界が大注目するアーティストへと成長した。
人気は止まることを知らず、ついに2021年上半期、世界のオークション市場落札金額ランキングで、存命するアーティストの中で1番の座についた。そんなバンクシーのキャリア初期から人気が高く、映画好きの人にもお馴染みの作品《Pulp Fiction》を解説。モチーフになった映画やオリジナルの壁画が辿った経緯などを見て、一体どんな作品なのかを紐解いていきたい。
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元ネタは名作映画『Pulp Fiction』
この作品のタイトルでもある『Pulp Fiction』(パルプ・フィクション)とは、アメリカのクエンティン・タランティーノが監督を務めた1994年のクライムドラマ映画である。同年のアカデミー賞では脚本賞、カンヌ国際映画祭ではパルム・ドール賞を受賞。3つのエピソードを元に、バラバラの時系列でストーリーが絡み合う巧みな構成が見応えのある作品で、公開から25年以上経った今でも古臭さがなく、スタイリッシュで根強いファンが多い名作だ。
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バンクシーの《Pulp Fiction》は、この映画でジョン・トラボルタ(左)とサミュエル・L・ジャクソン(右)が演じたギャング・キャラクターの2人の有名なシーンを描いたもの。実際のシーンでは拳銃を構えているが、バンクシーの作品では「バナナ」に置き換えられているところがポイントである。
作品を構成する要素
・反暴力・反戦へのメッセージ
なぜ、バンクシーは拳銃をバナナに変えたのだろうか?このバナナが持つ意味を考える時に浮かぶのが、バンクシーが度々作品を通して、反暴力や反戦争を訴えてきているアーティストであることだ。
例えば、イラク戦争が起きた2003年に制作された《BOMB LOVE》(または「Bomb Hugger」とも呼ばれる)。明るいピンクの背景を背負って、笑みを浮かべる少女が抱き抱えているものは「爆弾」。暴力的な武器である爆弾がもたらすのは「笑顔」ではなく、涙や怒り、恐怖である。相反するふたつの要素を対比させることによって、皮肉な表現が生まれている。反戦を訴える作品として、バンクシー作品の中でも知名度の高い作品だ。
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《Flower Thrower》(「Love is in the Air」とも呼ばれる作品)は、イスラエル軍の軍事占領と攻撃に投石で抗議したパレスチナの抗議運動をモチーフにした作品。パレスチナにあるベツレヘムという街の建物の壁面に描かれ、イスラエル側へ「石」ではなく「花束」を投げる構図で描かれている。これは、バンクシーがパレスチナ人の権利を主張して制作したものであり、初期の代表作のひとつに挙げられる作品だ。
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以上のふたつの他にも、反暴力・反戦を訴えた作品を多く制作しているバンクシー。バナナのお陰でクスッと笑ってしまうようなコミカルさが全面に押し出されている《Pulp Fiction》ではあるが、根底にあるのは《BOMB LOVE》や《Flower Thrower》と同じように、暴力への反対を訴えたメッセージが込められているのではないだろうか。
そして、『Pulp Fiction』はギャング達が出てくることもあって暴力的なシーンを多く含む。そういった“アメリカ”の有名な映画を取り上げることで、大衆文化へのリスペクトを表しつつも、アメリカの外交政策や銃社会を批判する側面を持っているとも捉えることができる。
・アイコニックなフルーツ?「バナナ」
さらに、バンクシーは人類の愚かさなどを揶揄する時に「猿」をよく作品に描くことでも知られている。幾度となく争いを繰り返す人間達への嘲笑の意味も込めて、猿を連想させるバナナを描いたのかもしれない。ところで、「バナナ」「アート」で他に思い当たる作品はないだろうか?
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これは、ポップアートの代表作家であるアンディ・ウォーホルが手掛けた、アメリカのバンド「The Velvet Underground &Nico」の1966年のアルバムジャケットである。バンクシーは、ウォーホルのマリリン・モンローのポートレートやキャンベル・スープ缶をオマージュした作品も制作していることからも、ウォーホルから大きな影響を受けていると言っても良いだろう。
バンクシーの良い点は、反暴力や反戦争など政治的なメッセージから生々しさを弱めて、ユーモアや知性が感じられる表現方法で見る人に伝えているところ。それは、バンクシー独自の個性を強めている重要な要素だ。《Pulp Fiction》は、その要素と名作映画、そしてファッション性が高いポップアーティストを想起させるような、カルチャー性の強さが人気を呼んでいる。
「COME BACK」の声で壁画復活
バンクシーの壁画は保護されたり、撤去されたり、はたまたその価値を狙われて盗難に遭うなんてこともしばしば。作品がストリートに登場する度、保護の是非は必ず議論されるトピックに挙がっている。
《Pulp Fiction》の場合は、2002年にロンドン市内の地下鉄の駅、オールド・ストリートの近くに登場。結果として5年後の2007年、不健全な社会的雰囲気の創造への寄与を理由にロンドン交通局が塗りつぶすまでは存在していた。当時、この壁画には30万ポンド(約7,140万円)の価値がつくと推定されていて、塗りつぶされた時はニュースにもなるほど。
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塗りつぶされて真っ黒になった壁面に、地元のアーティストから「COME BACK」というバンクシー宛のメッセージがペイントされた。バンクシーはそれに応える形で、今度はキャラクターが手に本物のピストルを持ち、バナナの着ぐるみを着た壁画を制作。
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さらにコミカルさを強めた作品で「COME BACK」への返事をするところに、バンクシーのストリートアーティストとしての遊び心の強さが感じられる。バンクシーの《Pulp Fiction》と言うと、このバージョンが制作されたストーリーも含めて語られることが多いので、是非覚えておきたい。
実はお蔵入り希望の作品だった!
2002年にストリートに登場後、2004年にサインあり150部、サインなし600部のエディションを制作して販売された《Pulp Fiction》。現在に至っても、バンクシーのプリント作品の中でも評判の高い作品のひとつである。しかし、実はバンクシーは販売から数年後、当時の販売会社Pictures on Wallsに、作品の回収と返金を頼み込んでいたそうだ。
その理由は「It’s total shit. (全くもってクソ)」だから。しかしPictures on Wallsは、既に高騰したバンクシー作品の市場価格を全て支払うことは不可能で、回収を断念。逆を思うと、Pictures on Wallsがカバーできる額であったのなら、今では存在しない幻の作品になっていたわけだ。2021年9月、Bonhams(ボナムズ)の「Prints and Multiple」オークションでは《Pulp Fiction》が2番目に高額で落札され、バンクシーの思いとは裏腹に高い人気を見せる結果となった。
自身の作品に納得のいかないことは、表現を追求するアーティストにはよくあることのはず。ましてやキャリア初期なら尚更だ。バンクシー個人的には納得のいかない部分の多い作品かもしれないが、受け手としてはそのストーリーも含めて貴重さを感じるし、楽しませてもらえる。モチーフである映画、バナナの意味や壁画の経緯など全てひっくるめて、アート好きにはたまらない作品が《Pulp Fiction》である。
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参考URL
・http://news.bbc.co.uk/1/hi/uk/6575345.stm
・https://www.myartbroker.com/artist/banksy/pulp-fiction/
文:ANDART編集部