独占インタビュー|ノア・アッシャー氏(前駐日イスラエル大使館経済公使)
日本企業のイスラエルへの投資額は70億USドルを超え、ビジネス関係がますます強化する日本とイスラエル。しかし、2014年以前はイスラエルに興味を持つ日本企業はごくわずかでした。それでは一体、何がこれほどまでに日本とイスラエルのビジネス関係を強化したのでしょうか。
その鍵を握るのは、前駐日イスラエル大使館経済公使のノア・アッシャー氏。彼女は、驚くべき方法で、日本の企業や投資家たちにイスラエル市場を開放して行ったのです。ISRAERUウェブマガジンでは、彼女のキャリア、日本での仕事、そして新型コロナ禍時代の日本とイスラエルの未来に関して、お話を伺いました。
海外で働くことを夢見て始まったキャリア
ノアが日本に来日したのは2014年。その時には既に豊富な国際的経験を持ちあわせていました。
弁護士としてキャリアをスタートした彼女は、まず起業家たちの弁護士として活躍し始めます。既に外国の会社に売却済みの企業もいくつかありました。そしてその状況下、イスラエルをもっと外国に売り込み、国際マーケットで活発化させたいと思うようになります。軍務時代には、外事部に身を置いていた彼女にとって、国外で仕事をこなす事は新しいものではありませんでした。
その後、テルアビブ大学で修士課程を修めていた時、新聞の見習い過程に応募します。その過程後、彼女は2年間に渡り、アジア担当デスクとしてそこに勤めました。
その次に彼女が務めたのは、イスラエル経済産業省チーフサイエンティスト部門のスタッフ長です。その政府機関は、ハイテク企業のサポートと、起業家たちによってデザインされた様々なプログラムのプロモーションをサポートしていました(その部門は、後にイノベーション・オーソリティという名称に変更されます)。最終的には、シカゴ在勤の商務官の地位に就き、4年間をそこで過ごすことになります。
イスラエルへ帰国後、国際支援プロジェクト部の長として3年を過ごし、様々なイスラエル企業の海外進出をサポートします。そこでは、世界銀行など、主だった国際的金融機関との協業が重要な仕事でした。
日本での挑戦
次の赴任地として、東京かロンドンかの選択を迫られた彼女は、日本を選びます。イスラエルと親交の深い、英語を母国語とする国との仕事を経験してきた彼女にとって、英語を母国語としない国での挑戦への準備は出来ていました。
「2014年に東京に赴任した頃は、イスラエル産業界とそのイノベーションセンターとしてのイメージは、日本では全くと言っていいほど浸透してませんでしたね。そこから、一つ一つ、日本企業のドアをノックして回り、イスラエルへの興味を持ってもらえるよう活動を始めました。」
最初はもちろん容易なことではありませんでしたが、徐々にそのドアは、彼女に向かって開き始めたのです。
「2019年末には、私のスケジュールは、イスラエル企業と一緒に働きたいという日本企業とのミーティングでいっぱいになりました。最初は、イスラエルという国への、物理的にも文化的にもある隔たりから、日本企業の皆さんも、やや及び腰でしたね。でも今は積極的にイスラエルとの協業を考えていらっいますよ。」
ノアによれば、日本とイスラエルの間に、明確な競合関係が存在しないことが大きな理由だと言います。
「日本は、長年に渡って電気製品と部品の分野に於ける世界的リーダーでした。そして今、特に先進技術と共に、ハードウェア、ソフトウェアの両面で、外部からのサポートが必要なことを日本企業の皆さんは認識されています。この部分は長年日本の弱点と言われてきた分野ですよね。他方、イスラエルの小規模なIT会社は非常に優れたソフトウェアを持っていますが、国際的なマーケットでは、他国の巨大な競合企業と太刀打ちできるだけの能力を持ち合わせていません。そう、この状況は、パートナーシップを組む事で、日本とイスラエルにウィン – ウィンの関係がもたらされるのです。」
また、日本とイスラエルの間での経済支援活動は、新たなビジネスチャンスを生む土壌でもありました。
「私が日本に赴任したのは2014年8月なのですが、その翌年の2015年1月、イスラエル政府は、日本との経済的結び付きを強める決定を下します。この決定に基づき、私たちは様々なプロジェクトを推進してきました。例えば、関西地区の企業にイスラエルの技術を紹介していくため、大阪にKIBCを設立したのもその一つです。
また、イノベーションセンターとしてのイスラエルのイメージを植え付けていくのも私たちの役割でした。日本の産業界にとって、イスラエルが技術革新のハブの一つであることを認識させていくことが目的です。ですので、様々な日本メディアとのコンタクトも、私たちの重要な仕事でした。」
その活動は大きな成功を勝ち取りました。2015年の国家イメージ調査では、イスラエルのイメージは「戦争」や「紛争」といったネガティブなものばかりでしたが、2018年の同じ調査では、そのイメージは「革新」や「ハイテク技術」に大きくシフトしてきています。
彼女は、代表団の派遣やセミナーの開催などで、日本とイスラエルの間の経済的結びつきを強化するために創設された組織である、日本 – イスラエル技術革新ネットワーク (JIIN) を立ち上げる際も重要な役割を果たしました。
「そこでの一つの大きな成果は、2019年1月に、日本の経済産業大臣を公式にイスラエルに迎えると共に、99もの日本企業から200名以上の派遣団を組織できたことですね。3日間に渡り行われたイスラエル – 日本フェスティバルでは、イスラエルと日本の企業との間で、様々なミーティングやセミナーが行われました。」
日本で学んだこと
日本とイスラエルは、互いに全く異なる国家であり、まるで違った文化を持つ国です。経済的分野で重要なポストに就いた外国人女性として、日本では、様々な困難が待ち受けているであろう事は、赴任当時から認識していました。彼女はその壁に正面から立ち向っただけでなく、日本という国をできる限り学ぼうと決意したのです。
「日本での滞在からは、本当に様々なことを学びましたね。調和、ということもその一つ。日本で大切なのは、ビジネスの中にも調和を作り出し、関係者全てが幸せになれる事ですからね。一緒に働く人間が、一体どんなところに興味を持っているのか、それをしっかりと認識する事は、ビジネスを進めていく上で本当に重要な事だと思います。私は、日本とイスラエルの未来を信じていますし、互いにもっと学べる分野があることを信じて疑いません。」
日本の男性優位社会の中では、彼女の存在はとても目立ちました。様々な会合で、女性は彼女ただ一人、という状況はいつもの事でした。
「1000名を超えるような一大レセプションパーティーでも、女性の参加者はたった3名だけ、なんていう事も多々ありましたね。」
しかし彼女は、その女性としての目立つ存在を、逆に利用してきたのです。
「私はまず女性にアプローチすることから始めましたよ。なんと言ってもやはり関係を作りやすいですからね。そして、重役のポジションに女性をもっと就けるべきだと説いてきました。何人もの優れた女性の重役たちが、しっかりと仕事をこなしていく事を見てきましたからね。まあ、男性であれ女性であれ、性別という事は仕事にとって関係のない事ですよね。一人の人間としての質を問われる場なのですから。」
新型コロナウイルスと日・イスラエル関係の未来
新型コロナの蔓延は、社会に大きな不安をもたらしました。しかし、このパンデミックが、日本とイスラエルの関係に停滞をもたらすとは、彼女は思っていません。
「この現在のモメンタムを維持していく事が、今、私たちにとって非常に大切な事だと思います。新型コロナのこのような状況においても、新たなビジネス機会を見つけていくプロセスを止めようとは思いません。デジタル分野で、日本企業の皆さんはビジネスを加速させていくための変革を求めています。例えば、「判子」という今までの日本の決済システムも、デジタル化への早急な移行が求められています。新型コロナは、イスラエル企業が持つ、このような分野での技術革新への需要を作り出してくれているのです。この状況は、日本とイスラエルの結びつきをますます強化するでしょう。将来に渡りこの関係を深めていくためにも、様々な活動をこれからも行っていく予定です。」