「機械翻訳」の今と可能性
海外企業とのビジネスにおいて最も大きな障害が言葉の壁である。この言葉の壁を取り払ってくれると期待されているのが機械翻訳である。既に多くの方がGoogle翻訳を始めとしたツールを試したことがあると思うが、日英語においては、シンプルな表現の翻訳ならほぼ完ぺきに訳されることが多く、長文では多少違和感や間違いがあるものの、概要把握にはそれなりに役立つという意見も多いと思う。完璧な機械翻訳は現時点では存在しないが、辞書を引きつつ読解するしかない時代を考えれば、驚くべき進歩である。
機械翻訳の歴史は1950年代に遡り、辞書と文法をコンピューターに教え、一定のルールに基づき翻訳させる「ルールベース機械翻訳」、コンピューターが大量のデータを統計的に処理することにより翻訳する「統計的機械翻訳」と進化し、現在ではディープラーニングを応用した「ニューラル機械翻訳」が利用されており、2016年以降、GoogleやMicrosoftなどの企業がこの技術を利用したサービスを提供している。
但し、言語体系が大きく異なる日本語と英語間の翻訳の精度も高めたと言われるこの最新のシステムでも、
「お昼何にする?」
と入力すると、
“What are you going to do for lunch? (ランチに何をする?)”
また、
「山田、で予約しています。」
は、
“I have a reservation at Yamada.(山田(という場所)で予約しています。”
更に最新のスマホに付属の翻訳アプリでは、
「寂しくなりますね。」(別れ際などに、自分が寂しくなるとい意味で)
と音声入力すると、
“You will miss me.(あなたは寂しくなります。)”
となった。これは主語を省きがちで、目的語もあいまいなことが多い日本語の特徴が原因と思われるが、単独の文章(発話)だけでは文脈により変わる表現を表すことが困難ということもあると考えられる。
他にも、業界や企業独自の専門用語、同じ文脈であっても複数の訳語が考えられる場合などはどう対応しているのか、検証してみたいが、機械翻訳の問題点を指摘するのが目的ではないので割愛する。
ただ、現在ではディープラーニングを採用したAI翻訳のシステムには、各企業に特有の用語や表現を反映させることもできるようになっており、コスト的にも翻訳者が全て訳す場合の10分の1以下とも言われ、今後の更なる機械翻訳の進化は楽しみでもある。今やビジネスに不可欠となったウェブ会議システムにおいても、同時通訳ツールが一般的に活用できるようになれば、大きな可能性が広がる。
しかしながら、現時点ではビジネス文書などにおける実用的なレベルの翻訳が必要な場合、「ポストエディット」と呼ばれる機械翻訳後の人手による修正作業が必要であり、それにかかる時間がトータルの翻訳コストを左右する。また、文芸作品のような想像力が必要で単純な翻訳では対応できないものも人間の翻訳が不可欠である。
ここまで述べたことを振り返ると、機械翻訳が進化しても外国語学習の必要性が全く無くなることはないという結論に至りつつある。つまり機械翻訳は表計算ソフトを使うのとある意味で似ていて、大量の情報を効率的に処理するのには役立つ。(ただし、データを処理した結果はExcelと異なり100%信頼することは出来ない。)Excelを使えば大量の難しい計算を瞬時に行えるが、ちょっとした桁の多い計算なら計算機のほうが手っ取り早くてよい。計算機があると言っても、九九くらいは憶えていないと日常生活に不便だ。翻訳も、基本的な単語は知っていたほうが会話などのコミュニケーションでは手っ取り早い。 新しい便利なツールは大いに活用すべきと感じる。ただ、それを効果的に使いこなすためのスキルは必要である。先述の「ポストエディット」も、対象言語の知識がないと行えない。
完璧な「自動翻訳」の後の国際ビジネスコミュニケーション
仮に完璧な自動翻訳が実現できたとしたら国際ビジネスにおけるコミュニケーションの問題は解決するのか?外国語習得の必要性の有無はひとまず置いておくとして、もちろんそうはいかないと考える。
海外に駐在した場合、多くのビジネスパーソンは現地の文化、習慣、考え方が日本のそれと大きく異なることに愕然とする。少なくとも、どうもこちらの意図が伝わらない、なぜ言ったことを実行してくれないのか?といった問題に直面することは多い。
言葉の壁を何とかテクノロジーの力で乗り切ったとしても、異なる文化、習慣に対する理解、対人能力 (interpersonal skill)、異文化におけるマネジメントスキルをこれまで以上に日本のビジネスパーソンは身に付ける必要がある。以前なら、アジアを中心とした海外の工場で「日本式」、を押し付けて済んだこともあるかも知れない。だが現在は海外の同僚の文化や習慣を尊重し、お互いの理解を深めながらよりよいマネジメントや効果的な商談を行う必要性が高まっている。国によっては、企業で働くという概念すら未だ無い場合もあるので、まずそこから共通認識を持たなくてはならない。
近年、異文化環境でのマネジメント能力を測るテストのサービスもいくつかの企業で開発されている。これは、つまり今後は語学力だけが海外とのビジネスに必要なスキルではないと認識されている証拠でもある。製造業では過去世界的にも優位を保ってきた日本企業であるが、今後は新たな産業分野での優位性を獲得するだけではなく、海外の人々とのコミュニケーションを始めとしたビジネススキルに磨きをかけることが間違いなく必要である。
※一般的に自動翻訳は主として音声翻訳のことを指す。自動翻訳において、コンピューターによって言語を別の言語に変換することを機械翻訳と呼ぶ。音声翻訳の場合、音声が文字に変換され、その変換された文字情報を翻訳する工程が機械翻訳と呼ばれる。よって、文字入力による翻訳は基本的に「機械翻訳」と言える。
2020年10月
マーケティング本部 国際ビジネス推進グループ 部長 瀬戸鋼一