他業界に比べて出遅れていると言われる金融業界のマーケティング。金融業界が向かうべき方向性、そして超えるべきキャズムとは?今回はデジタルマーケティング領域で著名な久下正史(くげただし)さんをゲストに招き、注目が集まるMOps(マーケティングオペレーション)をキーワードに、マーケティングの最新事情と今後について語り合いました。
目次
デジタルマーケティングのトレンドと金融機関
青柳さん 今回のテーマはデジタルマーケティング。特に「MOps」をキーワードとして取り上げます。MOpsとは簡単に言うとマーケティングのオペレーションのことを指します。「モップス」なのか「エムオプス」なのか、実はまだ読み方も定まっていない新しい言葉です。
例えば、MOpsには複雑化している最近のマーケティングをうまく推進するための組織づくりなども要素として含まれます。日本ではまだなじみが薄いですが、欧米ではポピュラーになりつつある考え方だそうです。
ところで、突然ですがクイズです。代表的な広告媒体というと、ラジオ、新聞、テレビ、雑誌、インターネットなどがありますが、みなさんはどのメディアの市場規模が一番大きいと思いますか。
青柳さん 正解はインターネット。実は2022年にインターネットの広告費が初めてマスコミ4媒体を上回り、約3兆円に達したことが話題になりました。これだけ伸びた理由は、やはりスマホの普及に伴うネット広告の成長が大きいようです。
こうした市場の変化も踏まえると、2023年はマーケティングがより複雑になる始まりの年だったと言えますね。あらゆる企業において、デジタル領域の特性を理解しながらマーケティングに取り組むことが重要になってきているのです。
青柳さん 久下さんはNTTデータ入社以前にも、製薬会社のデジタルマーケティングや、クレジットカード会社向けのDMP(データ・マネジメント・プラットフォーム)の開発・ビッグデータ分析などに携わったご経歴をお持ちですよね。マーケティング領域の有識者として、この市場変化をオペレーションの観点ではどう見ていますか?
久下さん 今までのマーケティング業務とはだいぶ変わってきている認識です。これまで多くのシェアを占めてきたマス4媒体(テレビ・ラジオ・新聞・雑誌)は、放送や出版の数週間前に広告素材を渡す業務運用が基本で、ウォーターフォール型の広告だと言えるでしょう。初めに決めたことが後から調整できないので、最初の戦略立案や市場調査などが非常に大事になります。
ですが、いまはデジタルマーケティングが広告費の多くを占める時代です。この領域で勝つには、これまでと違う新たな業務が必要となります(図2)。これがMOpsと呼ばれる領域です。従来の業務とMOpsを両方高度化させないと成果を出せない時代になっているのですが、広告代理店でもMOpsをきちんとできる会社はまだまだ多くない印象です。
青柳さん 銀行もデジタルマーケティングへの取り組みを進めています。金融商品などの販売プロセスにおける活用、あるいは広告を新しいフィービジネスとしてとらえて手数料を獲得していくような取り組みも見られます。
例えば、三井住友フィナンシャルグループは自社アプリを広告メディアとして活用したり、電通グループと広告・マーケティング事業を営む新会社を設立したりしています。最近ではOliveを軸にした横断的な金融プラットフォームを通じて、ユーザー導線を捉えた広告展開を図るような試みも注目されています。
三菱UFJ銀行もサイバーエージェントと提携して広告事業への参入を表明していますし、新業態銀行の住信SBIネット銀行は、生活者の個人データの利活用で得られた利益の一部を生活者に還元することを目指したID広告エコシステム事業を手掛けています。地銀でもふくおかフィナンシャルグループや西日本シティ銀行などが地域事業者に向けた広告事業を展開するなど、こうした動きは業界全体に広がっています。
他方で、デジタルマーケティングにはさまざまなデータやシステムが組み合わさっていて、運用が複雑化しています。これをいかに効率的かつ効果的に実践していくのかが、今後の課題になっているとも感じています。
久下さん 金融業界のデジタルマーケティングには金融ならではの特殊性もありますよね。例えば、効果測定に制限があることです。エンタメアプリなどであればインストール数などを比較的計測しやすいですが、システムの機密性が高い金融機関では成果が見えにくいこともあるでしょう。データ活用にしても、利用者の金融資産情報などを扱うには当然に配慮が必要です。
重要なのは「いいデータ」と「クリエイティブ」
久下さん ここ数年、市場拡大に伴ってインターネット広告には多くの企業が参入してきています。大手代理店もMOpsの領域に本格的に力を入れてきています。ただ、みながうまくいっているわけではないと考えています。
最近ではGoogleやMeta、Yahoo!などを筆頭に、広告配信の最適化手法がどんどん高度化しています。2010年頃は人の手でターゲティングを調整していましたが、いまは媒体に指示を出せば自動的に最適化してくれるようになっています。それ自体は便利ですが、みなが同じことをやれば、当然競争優位性がなくなります。
青柳さん そうすると、工夫すべきはどこになるのでしょうか。
久下さん ひとつがクリエイティブ(制作物)、そしてもうひとつがデータ活用だと考えています。
クリエイティブは広告代理店がうまく作ってくれるかもしれませんが、データの質を高める作業は彼らには難しい領域です。データ収集基盤の構築やデータを整えるクレンジング、機械学習で分析するといった工程が必要ですし、そもそもデータにアクセスできないという場合もあるでしょう。
うまくデータを活用して、いかにGoogleやMetaに質の良いデータを渡してあげるか。そこが競争の源泉になっていくと思います。
ファーストパーティデータへの回帰
久下さん マーケティングのデータ活用を語るうえで、クッキー依存からの脱却には注目しておきたいですね。2024年の後半には、Googleがターゲティング広告の配信に使われる「サードパーティー・クッキー」を廃止することを発表しています。
これまでデジタルマーケティングの8~9割がクッキーに頼っていたとも言われますが、これができなくなる。ではどうなるのかというと、次はシステム領域に入ってくるわけです。どんどん顧客データが必要になってくるので、その仕組みを整備しなければなりません。
青柳さん この話を聞くと「リテールメディア」という言葉が頭に浮かびます。リテールメディアとは一般的には小売業が提供する広告媒体のことで、例えばコンビニのアプリやドラッグストアのデジタルサイネージのようなイメージです。自社が持つファーストパーティデータ(※1)を活用して、ユーザーのインサイトを掴んでリーチしていく。
サードパーティデータ(※2)の活用が難しくなるなかで、自社が持つファーストパーティデータを使ったマーケティングが重要になる。そう考えると、ユニークなデータを持つリテールメディアの方向感と、金融業界がめざすべき方向感は似ている面があるような気がします。
※1 店舗への来店やウェブサイトへの訪問を通じて自社が収集した顧客データ。
※2 広告配信サーバーから配信されるクッキーなど、第三者が収集したデータ。
久下さん リテールメディアの強みは購買情報の活用です。極端な例ですが、Amazonのようなマーケットプレイスが媒体になると、コカコーラを買った人にペプシコーラが広告を出す、ということができます。国内外で活用事例も増えています。
要は、いかに重要なデータを持っているのかがポイントになるということです。その点では金融業界も同じことが言えるかもしれませんね。資産がこれくらいだったらこういうニーズがあるだろうとか、そうした金融業界ならではのアプローチは増えてくると思います。
青柳さん 金融機関は質の高いデータを持っていますよね。口座の入出金データなどはもちろん、例えばOliveのような金融サービス横断的なアプリなら証券口座のデータや決済データも獲得することが可能です。リテールメディアの先行事例を研究して金融業界に取り入れていくというアプローチはありだと思います。
久下さん そうですね、データは強みにつながります。例えば広告業界を見てみるとヤフーとカカクコムはどちらも広告収入を事業の柱としている会社ですが、カカクコムのほうがPV数ははるかに少ない一方で、広告の単価は高かったりします。「ユーザーが購入に至る直前」に閲覧し、購入に近い媒体だからです。
広告業界の課題解決にも期待されるAI
久下さん 最近、AIモデルを使った伊藤園のCMが話題になりました。タレントがすべてAIモデルに置き換わることはないと思いますが、こうした技術を一部に取り入れていくのはいいことだと考えています。
生身のタレントだとスケジュール管理も大変ですし、撮影にも多大な労力がかかります。でもAIモデルの利点はそれだけではありません。モデルを最適化できるということが大きいと思います。
例えば、タレントを40代にしてみたり、ヒゲを生やしてみたり、髪色を変えてみたり、といったことが比較的容易にできるようになります。企業広告のタレントはその企業の顔ですから、きちんとオリジナルを作りたい。そうした希望を叶えながら人物の最適化をやっていく。そうした試みはどんどん増えてくると思います。
青柳さん ターゲットを自在に変えられるのは便利ですね。実際の世界だとモデルを選ぶのも大変ですから。20代だとこのタレント、30代だとこのタレントといった具合で、それぞれに広告を作るのは大変です。そういった意味ではABテストのようなこともしやすくなる。AIの出番はますます増えそうですね。
久下さん 質のいいデータを整備したあとは、それを使ってどういう主体にどういうメッセージを届けていくのかを考えなければなりません。そこにはAIの出番があるでしょうね。
青柳さん 2023年のIT業界では、言葉を聞かない日はなかったくらい「生成AI」が注目されました。マーケティングの世界でも、生成AIの活用はやはり注目度の高いテーマなのでしょうか。
久下さん 広告業界ではクリエイティブ制作は広告代理店が制作会社に委託するケースが多数です。こうした構造は制作会社をどんどん疲弊させています。その緩和にも生成AIが大事になると思っています。広告主の活用より、広告を制作する側が生成AIを活用して業務を効率化していく、そういう側面もあるのかなと。
IT化が進むマーケティング業界 - 2024年はこれがくる!
Data Clean Room
青柳さん 2024年のマーケティング業界では、ズバリ、何がきますか?
久下さん まずはやはり「生成AI」が増えてくると思います。
そしてもう一つ注目しておきたいのは「Data Clean Room」です。広告事業を行うプラットフォーマーが続々とリリースしてくるのではないかと考えています。
青柳さん Data Clean Roomとは何でしょうか。
久下さん マーケティングツールの一種だと捉えてもらえると良いと思います。データをマスキングしながら、プラットフォーマーが蓄積した他のデータと掛け合わせることができる仕組みです。
例えばAmazonは「Amazon Marketing Cloud」というData Clean Roomを提供しています。ここにメールアドレスを暗号化して入れると、Amazonで特定の商品を買っている人が何人いるか、といった情報を掛け合わせて抽出する。そんなイメージです。そこから広告配信するような仕掛けも増えてくるでしょう。
青柳さん ある意味、高度な匿名化、を行う仕組みと言えますね。
Conversational Marketing
久下さん あとは「Conversational Marketing」も押さえておきたいですね。これまでウェブサイトは、SEOや広告で引っ張ってきてコンバージョンしてくれるのを「待つ」ものでした。
でもこれからは、ウェブサイトでもプッシュ型のアプローチができるようになってくる。「Conversational Marketing」は会話型マーケティングとも訳されますが、例えばチャットボットなどを使ってユーザーと対話を重ねながら、コンバージョンへと導いていく。海外ではすでに増えてきています。
共通して言えるのは、今後どんどんマーケティングがテクノロジー化していくということです。データ活用やそのためのシステム構築をしないと他社に負けてしまう。
青柳さん アドテックという言葉もありますが、ここ数年で広告・マーケティングツールは急激に増えていますね。何を使えばいいのか困ってしまうほどの数です。
それにデジタルマーケティングがどんどん広がっていくと、カスタマージャーニーを端から端までとらえたシームレスなデータ活用が必要となるので、当然企業内の組織もまたがるし、WebアプリからCRMといった具合に手段についてもまたがりますよね。
マトリクス的なケイパビリティが求められるようになると思いますが、これを自社で丸っとやるのが難しい、というのがオペレーションサイドの問題としては大きくなってきそうです。
青柳さん NTTデータでは「データドリブン・カスタマーエクスペリエンス(DDC)」を掲げ、データ活用をベースとしたマーケティング戦略の策定・実行をクイックに回せるフレームワークを作って発表しています。久下さんにも伴走支援してもらっていますが、MOpsにおいてNTTデータが果たせる役割はありますか。
久下さん NTTデータはデータ取得から施策実行までを一気通貫で支援できるケイパビリティを備えています。NTTデータが広告領域を手掛けているイメージはあまりないと思いますが、実は自社でしっかりと運用メンバーを抱えています。
広告代理店がやっているようなターゲティング選定からメディア・プランニング、クリエイティブ・ディレクションまで実行可能です。先述したように、MOpsで重要になるのは「クリエイティブ」と「データ」ですから、この両面をカバーできるのは大きな強みですね。
青柳さん これだけ広いMOpsの領域にいっぺんに取り組むのは難しそうですね。
久下さん 大事なことは、小さくてもいいので3ヵ月で結果を出すことです。それができないと、社内でもなかなかデータ活用が進まないと思います。例えば、一からシステムを構築するのではなく、まずはSaaSのツールを導入して広告施策で短期的に結果を出すのは有効だと思います。
青柳さん 金融業界ではデジタルマーケティングはまだまだこれからです。今後、デジタルマーケティングを定着させるうえで超えるべきキャズムはどこにあるとお考えでしょうか。
久下さん 一番は同意管理でしょうか。個人情報の壁にぶつかるケースは多く、データをどこまで使えるかがカギになると思います。それを解決する手段としてData Clean Roomも選択肢になるかもしれません。そうしたツールも使いながら同意管理を簡易化していくことが重要になると考えています。
青柳さん 今後、金融業界でもそうした話が事例として増えていくのでしょうね。個人的には「MOps」の読み方が早く確定して欲しいなと思っています(笑)。「モップス」というのか「エムオプス」というのか……。
久下さん 「モップス」のほうが業界っぽいので、普及させていきたいですね(笑)。
青柳さん 来年には確定していることを期待します。今日はありがとうございました。
<プロフィール>
久下 正史 さん
NTTデータ デザイン&テクノロジーコンサルティング事業本部 デジタルサクセスコンサルティングユニット 部長
インターネット専業広告代理店にてコンサルティング営業・子会社CEOを経験。その後、ネット関連企業での新規事業(DMP、ビッグデータ分析、AIなど)、製薬会社でのデジタルマーケティングなど、データ活用・マーケティング業務を幅広く経験したのち、NTTデータへ。現在は、企業のデータ活用とデジタルマーケティングの高度化支援のチームをリード。
青柳 雄一 さん
NTTデータ 金融戦略本部 金融事業推進部 部長
入社以来、数多くの金融系新規サービス立ち上げに従事。2015年からはオープンイノベーション事業にも携わり、FinTechへの取り組みを通じて、複数の金融機関のデジタル変革活動を推進。NTTデータのデジタル組織立ち上げ、デジタル人材戦略策定/育成施策も実行。現在は当社金融分野の新デジタル戦略、外部連携戦略策定・実行にも従事。2021年10月にリリースした金融APIマーケットプレイス「API gallery」の推進をリード。
API Gallery (https://api-gallery.com)
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